HiGH&LOWの特異点、轟洋介。
近年でも稀に見るほど、それどころか人生でもトップクラスに惹かれたキャラクターである
何がここまで筆者含むオタクを惹きつけるのか。
以下、殴り書き
第一にビジュアル。これは間違いない
サラサラの黒髪ストレートに優等生風メガネ。
学ランを改造せずに着用し、ご丁寧にシャツはイン。
顔立ちは整いに整い、ときには「神作画」と揶揄されるほどだ
誰も彼も初見時には「あ〜脳筋な鬼邪高にインテリ系追加ね?メガネクイッ的なやつね」と思ったはずだ
俺は思った。誰もが思っただろう
しかしそれはまるで見当違いだった
そう、ここは「HiGH&LOW」なのだ。
インテリさとはまるで無縁。
凶暴性を隠す気すらない獰猛な肉食獣。
さらに恐ろしいことに彼はこの異常しかない「HiGH&LOW」という世界でも頭ひとつ抜けて異常ともいえる経歴を持っていた。
元いじめられっ子だったが、あるとき「やるしかねぇだろ」と一大奮起。
自己流で喧嘩を学び、目についた不良を狩りに狩りまくる。
その勢いは止まることを知らず、全国屈指の不良が集まる喧嘩の巣窟"鬼邪高校"へと電撃編入。
瞬く間に全日制を一蹴(文字通り)し、「SWORDのテッペンとんだよ!!」と堂々吼えてのけた。
我々のハートが蹴り抜かれた瞬間である。
一見するとガリ勉(あえて蔑称)だが、その戦闘力は天井知らず。
なにせSWORDの一角、"O"の頭である村山良樹とほぼ互角なのだ。ありえん
喧嘩鬼強ビジュ爆発系冷徹熱血黒髪眼鏡。
こんなキャラクターが存在していいのか?
あまりにカッコよすぎやしないか??
HiGH&LOWの世界では「変わること」がなにより推奨される。
回を追うごとにそれぞれ何かに気づき、変わっていく。
青春の一瞬、モラトリアムの牢獄に取り残されてしまった琥珀さんは「闇堕ち」という形で扱われた。
対して他のキャラたちは変わっていく。
アタマとして、仲間として、過去にケジメをつけ、未来を見据えて。
しかし轟は「変わって」から登場した漢だ。
獲物だった草食動物から狩る側の肉食獣として。
なんならここだけでドラマが撮れてしまうほどの撮れ高だ。
「変わってから」やって来た彼がこの世界にもたらすものとはなんなのか。
もう一度、自分が変わるのか?
それとも今度は他人を変えるのか?
もしかして「世界」を変えるのか?
変わらなければ悪として扱われてしまうこの残酷な世界で。
HiGH&LOWの世界では「暴力」こそが最高のコミュニケーションツールのひとつである。
どうやらここでは様々な暴力がある。
正す暴力、奪う暴力、守る暴力、仲間のため、己のため…そこには喜怒哀楽全てが乗せられている。
あまりに残酷で生きづらすぎないか…?
加えて鬼邪高はSWORDの中で唯一、その拳の使い道が曖昧な場所でもある。
他の勢力が「街を守るため」「女性のため」「生き抜くため」「復讐のため」と目的が明確なのに反して、ここではひたすら喧嘩のために喧嘩をする。
「ヤクザの予備校」という当初の目的も村山によってナシになったね
そんな中で轟は登場早々にハッキリと言い切る。
「SWORDのテッペンとんだよ!!」
対する村山は言う。
「テッペンとってどうするの?」
轟「拳ひとつで成り上がる」
村「成り上がった先に何があると思う?」
轟「名誉と栄光」
村「んなもんねぇよ、帰んな」
多少なりとも村山は面食らったかもしれない。鬼邪高に明確な目標を持った男が現れたのである。
それも自分らを飛び越えてSWORDを見据えて。
今までも鬼邪高を制覇しようとするヤツは山ほどいただろう。ドラマや映画で描かれるキャラは定時全日問わずに皆そうだ。
「荒行」を超えようとしたり、それぞれ学年をまとめて闘おうとしたり。
しかしそれらの大概は不良のトップ、鬼邪高のアタマを見据えている。
村山は知っている。外の世界、SWORDには様々な人間がいることを。そして不良のテッペンの自分より強い男がまだまだいることも。
それを知ってか知らずか轟という男は「そこ」を見ている。
ここでハッキリと轟は村山の"影"として扱われる。
長い因縁の始まりでもある。
ちなみにここの轟は少しキャラにズレがある
「拳ひとつで成り上がる」という村山に対し
「拳ひとつでのし上がる」のが轟である。
…が、上記会話では影としての役割が優先されている
あえて"影"として描かれてますね
ここは鬼邪高。最終的には拳だ。
彼らはここでタイマンを張る。
(全てが圧倒的なHiGH&LOWにおいても神回と称されるseason2の8話にて)
結果としてここでの視点は村山側。
過去の自分、"影"である轟を倒して成長を得る。
では轟側はどうなのか?
同じく村山を"影"と見たのか?
それはなかった。
なんとここでは轟に何も伝わっていない。
あんなにも壮絶な死闘をしたのに、だ。
あれ、不良構文は?
辻と芝マンの手を払い退ける。
「拳」で伝わっていたのなら「仲間」の大切さを感じていてもおかしくないのに。
あれ、殴り合ったら「ダチ」じゃないのか?
"影"の反対に"影"がいることはない。
おそらく轟は村山を"光"として見た。
"光"は正面から直視することはできない。
追うことしか叶わない。
とにかくここから轟はHiGH&LOWの世界で浮きに浮く。
それはもう気持ちの良いぐらいに浮く。
編入先が定時と全日に分かれていることを知らない。殴り合ってもわかり合えない。昼休みに本を読む。缶を倒すゲームは一撃で終わらせる。雨が降ったら傘を差す。
どれもこれもHiGH&LOWの世界ではありえないことだ。
しかし変人なのか?それは違う。
鬼邪高に全日制があったなんて我々も知らなかったし、喧嘩なんて所詮は暴力。わからないことがあれば本くらい読む。轟ほどの投擲力があれば(ザワ本編参照)缶くらい一撃だし、雨が降ったら傘は差す。
そう、彼は我々と"常識"が一緒なのだ。
これこそが人気の所以であると思う。
誰でも自己紹介を茶化されたらそいつをブッ飛ばしたくなるだろう。
「アタマが欲しい」と言われて、かつ自分がそれに興味がなければ「やるよ」と言って何がおかしいのか?
他校と揉めた下っ端に「どしたの?」と伺うなんてもはや理想的な先輩じゃないのか?
雨が降ったら傘を差す。それが最善じゃないのか?
驚くことに彼は「常識人」とまで言える。
異常しかないHiGH&LOWの世界。
「異常」しかない、ときにそれが魅力でもある中で彼はズバ抜けて「正常」なのだ。
逆説的にそれこそがある意味「異常」であり魅力に繋がる。恐ろしいキャラ設計だ
ここで悲劇なのは「轟の常識」と「HiGH&LOWの常識」がまるで違うことである。
我々はテレビ、漫画、アニメ…なにかしらで「不良の世界」というものに触れてきている。
HiGH&LOWなんてまさにその極致、極限だ。
言ってしまえば非常にわかりやすい。
殴り合えばダチ、喧嘩は正面から、アタマがやるといえばやる、実力は拮抗するもの、傘なんて持ち歩くのはダサい…
なんとなく雰囲気はわかる。
「あるある」というやつだ
しかし轟は違った。
彼は元来不良ではない。
もっと言うと今でも彼自身、自分のことを不良とはカケラも思っていないだろうが
おそらく彼は不良の作法をまるで知らない。
SWORD地区出身じゃないのでそもそも空気感を知らない。かといってノボルや誠司のように「不良の幼馴染がいる」わけでもない。
自分で学べるわけもない。なにせ元々"狩られる側"だったのだ。反対側の事情なんて知ったことではない。
おそらく幼少期から私立に通い、勉強勉強の毎日。テレビは許されていない?だから息抜きは隠れて携帯ゲーム。
そう考えると歪だったものが収束する。
・学ランをキッチリ着ている
→「改造学ラン」「私服で登校」という概念をそもそも知らない。学校は制服でしょ?
・喧嘩の仕方が格ゲー的
→「人を倒す方法」をそれしか知らない
眼鏡をかけている
→「勉強ばかりして目が悪いから」以上。
そんな正常、もしくは異常な彼の元へ楓士雄がやってきた。
彼はケンカの天才ではない。村山にはあしらわれて、轟とはやれず、サッチーには負ける。
勝つとしても毎回ボロボロだ。
しかしそれが霞むくらいに確かな「言語力」と「カリスマ性」を持っていた。
そんな彼に「力を貸してくれ」と言われれば?
→貸さない理由は?
まあよくもここまで綺麗に出来たキャラだな、と感心すらしてしまう
結果、轟は「変わる」ことになる。
それは最初の村山とのタイマンで彼が想っていたことでもある。
「自分が変わんないと世界も変わんねえみたいだわ」
「轟、お前にもそのうちわかるよ」
「そのうち」が訪れ、この世界で「変わった」轟。
あんなにも世界で浮いていた、我々に最も近い価値観を持つ漢。
そんな彼が変われたのだ。
それは我々も「変われる」ということ。
こんなにも勇気をもらえることはない。
最高だね、轟ちゃん。