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お大事に。

職業柄、学生さんからよく欠席の連絡をもらう。
「風邪で休みます」
「それは大変、お大事に」
ありふれた会話だ。大体「お大事に」以降、返事はない。私も公欠処理をした上で、翌日には忘れている。

欠席連絡だけじゃない。病気の人を見れば、私たちはとりあえず「お大事に」と言っておく。相手を心配してないわけではない。ただ、どっちかというと、そう言っとけばいいだろうという安心感の方が強いのではないだろうか。

この「お大事に」には、わたしたちの病気の「普通」が詰め込まれているように思う。
大事にしていればきっと治る。
病気は治るものだ。
治らないなら、大事にしてないんだ。
病人なんだから、大事にしてなきゃいけないんだ。
私たちは、こういう「普通」を相手に期待し、逆に「普通」によって相手を縛る。

ただ、当たり前だけど、病気は治らないこともある。うちの母は脳梗塞で亡くなった。でも、見舞いに来た父方の親戚は、その母にも「お大事にね、絶対治るからね」と言った。控室では葬式の話をしていたけれど。

もちろん、親戚に悪気があったわけではないだろう。彼らと同じ立場なら、私も同じように言ったかもしれない。学生さんにいう「お大事に」と同じように。

そんなこんなで、私は「お大事に」という言葉がよくわからなくなっている。いや、わかってはいる。病人に対してとりあえず言っておけばいい、病気に関するコミュニケーションを終わらせる言葉だ。
ダースレイダーさんの「イル・コミュニケーション」は、この終わりを乗り越えようとする本なんだと思う。

イル・コミュニケーション―余命5年のラッパーが病気を哲学する― (叢書クロニック)

本書に限らず、ダースさんは自身の活動において、「ド派手な病人」というコンセプトを掲げている。ド派手に振る舞うのは、通常「お大事に」する振る舞いとは真逆のものだ。もしかしたら、身内に病人がいる人など、不謹慎だと怒る人もいるだろう。また、病人本人だって、「私だって頑張っているんだ」と怒る人がいるかもしれない。

でも、ダースさんがド派手に振る舞うたび、「お大事に」で終わらせられた幾つもの病気たちは、全く新しい形で蘇るのだ。イルコミュニケーションでは、お母様、お父様の病気、ご自身の病気、仲間たちの病気など、いくつもの病気が再生される。そして、その声が響き渡る限りにおいて、終わりなき病気をめぐる対話が継続していく。

人は誰しも病気になる。場合によっては死ぬこともある。でもだからこそ、「お大事に」で終わらせるのではなく、なんとか再生し続ける回路を切り開くこと。イルコミュニケーションは、そんな回路を軽やかかつ鮮やかに切り開く壮大な実験なのだと思う。

その一方、「お大事に」の意味も考えてみたい。つまり、病気に関する対話を終わらせることの意味だ。私たちはすべての病気に向き合うことなどできない。「お大事に」は相手を心配しつつ、対話を終わらせ、病気と向き合わないようにするための便利なツールの一つになるだろう。「お大事に」は、人間の弱さであり、強さでもある。イルコミュニケーションは、こういうツールの意味を考える機会にもなるだろう。

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2024年2月2日、ダースレイダーさんと学問バーkisiにて、ここまで書いてきたイルコミュニケーションをめぐる対話イベントを企画しました。あの距離感でダースさんとお話できるのはなかなかないはずです。皆様ぜひお越しください!

イル・コミュニケーション 余命5年のラッパーと病気を哲学する
場所:学問バーkisi
時間:17:30〜21:00(ダースさん21:00退席。その後、アフタートークあり)
登壇:ダースレイダー、あべ、塚越健司(アフタートーク)
タイムチャージ:最初の1時間(学生は2時間)2000円、その後1000円
※上記の他に飲食代がかかります(ドリンク500円〜)

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