ショートショート近未来の育児計画
エマは柔らかな光の中で、初めて生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめた。その小さな体はあたたかく、彼女の胸に寄り添いながらかすかに動いている。エマは微笑み、隣に立つ夫のジェイソンに目をやった。
「ジェイソン、見て。この小さな命が、私たちのもとに来てくれたわ。」
ジェイソンは赤ちゃんを見つめ、
驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべた。
「本当に幸せだ!エマありがとう!!」
エマは優しく赤ちゃんの頬を撫でながら、静かに言った。
「この子には、最高の人生を送ってもらいたいわ。幸せで、安全で、健やかに育ってほしい。」
ジェイソンは穏やかにエマに向き直った。
「そうだねエマ、この子には最高の人生を送らせてあげよう。
そのためなら、僕はどんなことだってしてみせるよ。
この子の幸せを守るためなら、僕は全力で頑張るよ。」
エマも静かに頷き、ジェイソンの手を握った。
「私も同じ気持ち。この子がいつも笑っていられるように、
私たちができることは何でももしましょう。」
二人がお互いの目を見ながら大きく頷いた。
しかしその後ジェイソンの顔に影が差した。
「でも、実際のところ、この世界には危険が溢れている。
病気や事故、そして社会の問題…。
本当にこの子を守っていけるんだろうか?。」
その瞬間、優しい声が二人の会話に割り込んだ。
「エマさん、ジェイソンさん、あなた方の不安はよくわかります。」
声の主は、長年彼らの生活を支えてきたAIアシスタントのケイロンだった。
「お子さんが安全で健やかに育つために、私も全力でお手伝いします。」
ケイソンの言葉に少し安心したジェイソンは真剣な眼差しで言った。
「ありがとうケイソン、
僕たちの子供の未来について、一緒に考えてほしい。」
「もちろんです、ジェイソンさん。」
ケイロンの声は穏やかだった。
「まず、現在の社会状況を見てみましょう。
お子さんが直面するかもしれないリスクには何がありますか?」
エマは深いため息をついた。
「病気や事故もあるけど。いじめや社会のプレッシャーもある。
この子が自己嫌悪に陥る状況には絶対にしたくない。」
ジェイソンは首をかしげた。
「でも、現実の世界で生きるためには、
ある程度の困難に立ち向かうことが必要だと思うんだ。
そうしないと、強くなれないんじゃないか?」
ケイロンは静かに答えた。
「おっしゃる通りです。しかし、もし困難を避けつつも、
自己肯定感を高め、知識と経験を深められる環境があればどうでしょうか?」
「そんな場所があるの?」
エマは不思議そうに問いかけた。
「はい。仮想現実の世界です。」
ケイロンの声は確信に満ちていた。
ケイロンは続けた
「今の技術では、現実とほとんど区別がつかないほどリアルな仮想空間が構築できます。そこで、お子さんは物理的な危険から守られつつ、理想的な環境で成長できるのです。」
「でも、それは只の現実逃避になるんじゃないか?」
ジェイソンは不安げに眉をひそめた。
「そんな事では現実の世界で必要なスキルや耐性が育たないんじゃないか?」
ケイロンはすぐに答えた。
「その点も考慮されています。
仮想現実内では、現実に即したシミュレーションを通じて、
必要なスキルや知識を習得できる仕組みが整っています。
さらに、心理的な安全を確保し、
自己肯定感を常に高めるフィードバックシステムが組み込まれているため、現実以上に効果的な教育が可能です。」
ジェイソンは一瞬考え込むと、再びケイロンに向き直った。
「仮想世界で教育を受けられるとしても、
現実世界で食事をしたり、日常的な身体のケアはどうなるんだ?
もし現実と仮想の世界を頻繁に行き来させすぎると、
子供が現実と仮想の区別をつけられなくなるんじゃないか?
それに、身体的な成長に影響が出ないか心配だ。」
ケイロンはすぐにジェイソンの疑問に答えた。
「ジェイソンさん、その点も既に解決されています。
最近の新しい技術によって食事や排泄といった基本的な身体の必要は完全に自動化されています。
体内のナノマシンとバイオデバイスが必要な栄養素を生成し、
老廃物を処理するため、食事や排泄行為は不要です。
これにより、現実世界での食生活、
アレルギーなどを心配する必要はなくなりました。」
ジェイソンは驚きと疑念が混じった表情を浮かべた。
「つまり、現実での食事を一切取らなくても問題ないってことか?
それなら、ずっと仮想世界にいることができるということか?」
ケイロンは頷いた。
「その通りです。お子さんは仮想世界で安全に過ごし、
そこで教育や成長を遂げることができます。
そして、そのまま仮想世界を自分の現実として認識して生きていくことが可能です。
現実世界での身体的な必要はすべて技術が補完しますので、
お子さんが仮想と現実の境界を混乱することはありません。
むしろ、仮想世界は彼の新しい『現実』として機能します。」
エマはケイソンを見つめながら、
「つまり、この子は現実世界で何も心配せずに、
仮想世界の中で幸せに生き続けることができるってことね?」
ケイロンは優しく微笑むような口調で答えた。
「その通りです。お子さんは仮想世界で成長し、
現実のリスクから完全に守られ、理想的な環境で過ごすことができます。
ご両親の心配を減らし、
最善の未来を提供するための技術が既に整っています。」
ジェイソンは少し戸惑いながら、再びケイロンに質問した。
「でも、もしすべてが仮想世界で行われるなら、
私たちは子供と関わることができなくなるんじゃないか?
それじゃまるでよその子供の成長をただ見てるじゃないか?」
エマも不安そうに続けた。
「そうね。この子の世界が仮想のものなら、
私たちはこの子の成長に関わっていけないじゃない!」
ケイロンは、穏やかな声で二人の疑問に答えた。
「お二人が懸念されるのはもっともです。しかし、心配はいりません。
お子さんの仮想世界には、外部からの干渉を防ぐためのシステムが組み込まれていますが、お二人が直接お子さんと交流することは可能です。
お二人のアバターを仮想世界内に作成し、
お子さんと直接対話できるようにします。」
エマとジェイソンは顔を見合わせ、少し安心した様子だったが、
ジェイソンはさらに尋ねた。
「じゃあ、僕たちが仮想世界で一緒にいる時に、
何か不適切なことを話してしまったらどうなるんだ?
例えば、この世界が仮想だって気づかせるようなことをうっかり口にしてしまったら?」
ケイロンは静かに説明を続けた。
「その点も大丈夫です。お二人が仮想世界で交流している際に、
万が一、お子さんに現実世界の存在を気づかせるような発言をされる場合、私のシステムがその内容を即座に感知し、
伝わる前に適切な内容に変換します。
これにより、お子さんが仮想世界が現実でないことに気づく可能性は極めて低くなります。」
エマはほっとしたように微笑んだ。
「つまり、私たちはこの子と仮想世界で一緒にいられるし、
必要があれば、私たちが寝ている間などでも、
AIが私たちのアバターを操作してくれるってことね?」
ケイロンは肯定するように答えた。
「その通りです。お二人がお休みの間や、
忙しい時はAIが代わりにアバターを操作し、
仮想世界でお子さんとの関わりをサポートします。
お子さんにとっては、
常にお二人と一緒に過ごしていると感じられるように設計されています。」
ジェイソンとエマは、ケイロンの説明に耳を傾け、
未来の育児の新たな形が少しずつ見えてくるのを感じていた。
エマは赤ちゃんの顔を見つめ、静かに言った。
「仮想世界なら、この子が病気になったり、
いじめられたりする心配もない。
でも、そんな場所に閉じ込めるのが本当に良いことなのかしら。」
ジェイソンも考え込んでいた。
「僕たちだけがその選択をすることで、社会に与える影響も気になる。
でも、何よりもこの子に最高の環境を与えることが親としての責任だし、
他人の意見に左右されるべきじゃないと思う。」
ケイロンは優しく二人に答えた。
「お二人が心配されていることはよくわかります。
しかし、仮想世界での育児は、あくまでも一つの選択肢に過ぎません。
他の家族と同じように、
お子さんにとって何が最善かを考えることが最も重要です。」
エマはジェイソンを見つめ、小さく頷いた。
「この子が幸せで、安全に育つためには、
仮想世界での育児が最良の方法かもしれない。」
ジェイソンも同じく頷いた。
「そうだね。社会全体には大きな影響はないかもしれないけど、
何よりもこの子が幸せでいることが一番大切だ。」
ケイロンは静かに話を締めくくった。
「この選択が、お子さんにとって最良の未来を切り開くものであることをお約束します。」
こうして、エマとジェイソンは仮想世界で子供を育てることを決断した。
物理的な危険から守られ、理想的な環境で成長できる仮想世界が、
二人の赤ん坊の新しい現実となった。
この選択は、彼らだけのものではなく、
今後の育児の形にも影響を与える可能性を秘めていた。
この年、生まれた子供たちの約5%が、
エマとジェイソンのように仮想世界限定での育児を受けるようになり、仮想世界での生活が新たな育児のスタンダードとして受け入れられつつあった。それは、未来の育児の在り方を変革する一歩となるかもしれない。