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Kurt Cobainの命日にnoteを始める。

このnoteは、音楽日記であり、極個人的な感想のメモとして使っていきます。全体的にグダグダとしていますので、お許しを。

昨年から、自分が遅い青春を過ごした時期に当たる、90'sの音楽をよく聴く様にしています。理由は、新しいものに飽きてしまったから。と言うだけではなく・・・最新の楽曲に何か欠けている物がこの頃の昔の物にはあると言うか、90年代のあらゆる音楽(ロックでもラップでも)はもっと自由だったな、と。

特に最近また聴き込んでいるのがGrunge Rock。(と言っても実態がある様でない様なジャンルですが..) 90年代オルタナをリアルタイムで聴いて過ごしていた私は、今また他にもネオアコとかシューゲイザー、Sonic Youthの様なノイズ系まで色々と広く聞き返しているのだけど、もう本当にこの90年代と言う時代はバラエティに富んでいて、進化や音楽ジャンルの細分化のスピードも速くて何気に凄く、音楽的には非常に恵まれた時代だったよなぁ、、と思い返したりしてます。

最近聴いているラジオと言えば、英国のAccuradioと言うネットラジオの80’s〜90’sAlternativeか1991 in Rock: 25 Years Laterと言うチャネルを専ら聴いてるのですが、(1991 in Rock、もうその発想が素晴らしい..分ってらっしゃる! 笑)

それらのチャネルで最近、耳をつん裂く様な曲で久しぶりに頭から離れなかったのが、当時大学時代にもかなりハマったCourtney Love率いる"HOLE"の2ndアルバムなど。その時、当時は脳味噌に染み入る程にその辺のロックな音をひたすら聞いていた大学時代が、フラッシュバックして来たのでした…そこから最近の90's聴き直しが始まるのですが。いやぁ、人間て言うのは若い頃に馴染んだ物って早々体から抜けない?っちゅーか、簡単に消えないもんなんですね (^^;)

あ・・・こんな細かい事を説明してたらまた話が長くなっちゃう…(^^;) まぁ、兎に角インンターネットなんて無い時代です。その数年後にはネットが現れては来るのですが..当時の情報源と言えば"雑誌のインタヴュー"が全て、みたいな。

Kurt Cobain/カート・コベインについて、今後、この彼の4月5日と言う命日をスタートに、私なりのカート論・カート愛、を語ってみようと思っています。その序章が本記事と言う事で…カートの死から、今年でもう24年も経ってしまったのですね。そしてNIRVANAの1stアルバムリリースからもう29年です..四半世紀超えてしまった。

命日に合わせてUPする為の時間が残り少ないので(^^;) 恐縮ながら ちょっと乱暴にプロローグをまとめますが、

私がNIRVANAを聴き始めたのは彼らがメジャーから2ndアルバムを出して直ぐ、高3の美大受験特訓真っ最中の冬の頃でした…当時ちょっと好きだった、ガンズ好きだと言う長髪の、美術予備校の先輩にいつも沢山色んなCDを貸してもらってたのですが、Teenage FanclubやDinosaur Jr.のCDに紛れ込んで「コレはヤバイし格好良いし新しいから聴け!」と言う事で発売して直ぐ話題になり、絶賛レンタルして貰ったのが始まり。当時予備校クラスの仲間内でCDを回していました。

そして、カートが死んでしまったのが、美大在籍3年生の時の春。高校から大学まで、「普通に、息を吸う様に」「当たり前の様に」当時の私は、私達はGrunge Rockを聴いていた、でも、それは実はとても途轍も無い程凄い、素晴らしい事だったのではないかと、今になって改めて染み染みと思うわけです・・・(まぁ、NIRVANAが好きだったので)
いや、、只の中年の昔話と思われても結構だし仕方ない、現実にそうなのだろうし、ただあの時、リアルで体験した彼らの音楽と、特に印象が強く大好きだったカート・コベイン…

カートが死んだのを知らされたのは、当時高校の時からずーーっと愛聴していた、在宅の際にほぼ1日中聴いてたであろう米軍ラジオ放送・FEN(現AFN)での早い時間のNewsだった。ハッキリと覚えていて、その日は大学の授業に出る日で朝起きてラジオをつけたら速報で知らされていました。

シュール過ぎて、勿論何回も何回も耳を疑い全力で何度も英語を冷静にヒアリングしても聴こえて来るのは「had committed Suicide」。

そして頭をガーンと打たれた様なその衝撃のまま、いつも通りキャンパスへ出向きそこで同じくNewsを知らされた同級生の仲間達と「信じられない、ショック過ぎる」と騒ぐと言うか語り合ってからのその後、ネットが普及した現代よりは情報も未だ少なかった時代で、その地点からもう徐々に徐々に、カートやNIRVANAの存在は、いやその実とても速く伝説と化して風化して行ってしまった様な、そんな時を私は過ごしました。(今の様にネットがあれば、起きた出来事をじっくりと検証した情報が常に沢山溢れ風化しにくかったかも?知れない)

↓当時、4/10のシアトルでのカート追悼の様子、TVで見たのをハッキリ覚えています..

カート本人は嫌がっていたけれど、実際にその当時の私達にとっては「代弁者的存在」だったのは確かだったと言うか、そうなるのは仕方無かったろうと思うのです、だって私達の気持ちや気分を反映してる音楽で、それはフィットしていた訳だから..(まぁ狭い見方ですが) そんな状況に対し『ケッ』と唾を吐き中指を立てる、みたいなそのストレートな素直さ?も引っ括めて「カートのその態度は素晴らしい…」と言う事だったので(笑)

学校や大人の社会の中で決められた様な型に嵌った意味の無いルール、人と同じ格好・仕事・人生、気持ちの豊かさや自由よりも世の中を牛耳るのはいつだって銭ゲバの商売人達が作り出す代物、そもそもがパンクロックの魂が根底にある様な人間にとっては尚更、NIRVANAの存在、カートの行動、楽曲、発言、他諸々のバンドも素晴らしかったですが、それらは自然に私達にはフィットし共感を得ていた事は当時から普通に事実だったな、と。

世の中普通にアレが、ファッション的な物にまで昇華し「グランジファッション」なんて物が直ぐ後に流行ってた訳ですから(笑) 女性はと言えば、Courtney/コートニーみたいにワイルドでふしだらな風貌のルックスも全然アリ、って時代だったんで(笑) 髪の毛をモシャモシャさせるとか、メジャーな商売の方々の方が、擦り寄って来てムーヴメントになった訳でして…凄い影響ですよ、根はパンクな物な訳だから、あのシアトルのGrungeって。

2000年前後のアメリカの音楽シーンは90年代とは打って変わった物になり、売れ線からインディーまでHiphopとR&Bで埋め尽くされて来た頃だったのですが、自分は高校時代から白人ロック同様に凡ゆる時代の黒人音楽もかなりの量を聴き続けて来たので、当時はHiphopに大分肩入れしてたのですが、それでもそんな自分ですら「最近同じ様な音楽ばかりだな・・・カートがもし生きていたら、、、きっとオルタナロックはもっとシェアを占め続けたままでHiphopが台頭し過ぎて来るのにもうちょい時間が掛かったかシェアを分け合うままだったろうなぁ、彼がいなくなった事でアメリカ音楽シーンも随分変わってしまったものだ…」と、妙に染み染み思ってしまった事があったのです。

それ位には偉大と言うか重い存在であったと言っても、全然言い足りない気がしているのですが、どうもその手の声が今も然程大きくは聴こえてこない様な..まぁ「自分で音楽やれば良いじゃない」と言われそうだけど、私は一視聴者でしかないので(^^;)トホホ..

でも、未だに根強くファンであり続けている人達の中に、消えない灯火が、NIRVANAへの愛、カートへの思いに消えない灯火が絶やす事なく灯し続けられ、今も彼らを愛し続けている人達が居るのですよね。私も、そんな1人です。

さて、1発目から割と駄文と言うか、まぁ正直日記ですのでその辺はもう「暇潰し」として読んで下さい、と言うメンション添えながら、一旦終わりにします・・・

We are still missing you, and Loving you, Kurt・・!R.I.P
5th/Apr/2018.


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