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叔父の命日
今日は叔父の10回目の命日だ。
叔父は父の弟だけど、叔父との思い出は楽しかった思い出しかない。
父との思い出は特にいい思い出はないけど。
自分は父より叔父から色々な影響を受けた。
特に映画とプラモデル、車やバイクなどだ。
叔父はTSUTAYAで働いていたので、レンタル落ちのVHSをよく持ってきてくれた。
特にディズニーアニメが多くて、ディズニーが好きになったのも叔父の影響だと思う。
叔父は一風変わった人だったと思う。
実家の隣にログハウスを建てて、プレーリードッグを飼いながら1人で生活していた。
愛車はロータスヨーロッパスペシャル。
けっこう長く乗っていたと思う。
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家に入るとビートルズの音楽がよく流れていた。愛用していたギターはリッケンバッカー325ジョンレノンモデルのレプリカをベッドに腰掛けてよく弾いていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1736842169-QxPVZKR39XchpUiykAqJbDTL.jpg?width=1200)
結構なイギリス人かぶれだったと思う。
叔父は生涯独身だった。
独身を謳歌していたと思う。
その分、自分たちとよく遊んでくれた。
叔父は誕生日になるとよくトイザらスに連れて行ってくれた。
たまに気まぐれで連れて行ってくれることも。
両親はおもちゃなど買ってくれない人だったため、叔父と行くトイザらスはとにかく楽しかった。
特にスターウォーズのおもちゃとレゴブロック、好きなDVDをよく買ってくれた。
父はゲームを買ってくれない人だったので、自分はゲームを通じた友人との共通の話題について行くことができなかった。
小学生の時、家にプレステ2があると一躍人気者だった。
叔父はそれを知ってかどうかは分からないけど、小学4年生のクリスマスにプレステ2を持って家にやってきた。
その時は心の底から喜んだのを覚えている。
父もプレステ2でDVDが見られるようになったことを喜んでいた。
父と叔父は2人兄弟だったが、口うるさく自分の意見が絶対だった父に対し、叔父は物静かな人間だった。
父には何かと否定されることが多かったが、叔父は自分の意見を尊重してくれた。
自分がグレなかったのも、叔父の存在があってこそだと思う。
自分が高校生くらいの時、叔父はTSUTAYAの店長をしていたがリーマンショックの煽りを受けてか、働いていたTSUTAYAの業績が悪化し、店長を解任。おまけに極端に給料を下げられるというダメージを喰らっていた。
その頃から生活が思うように行かなくなり、数年後、叔父は自分が大学生の時に膵臓ガンになった。
どうにか手術は成功し一命を取り留めたのだが、一年後に別の所に転移がある事が分かった。末期だった。
ロータスヨーロッパも手放していた。
その頃自分は東京で一人暮らしを始めていたのだけど、叔父の危篤の一報を聞いて叔父が入院している病院に向かったが、死目には会えなかった。
最後に直接会ったのは、2014年の秋ごろ。
たまたま実家に行った時に、当時所有していた車をいじっていたら叔父が家から出てきたのだ。
抗がん剤で髪が抜けてたけど、意外としっかりと歩いていた。
叔父の死期が近づいていることを悟ったけど、自分にはどうすることもできないもどかしさから、叔父の好きなラーメンを食べに出かけた。
叔父も楽しそうだった。
後から聞いた話だけど、叔父は末期がんと分かってからほとんど家から出なかったようだが、その日だけはイキイキと外に出てきたらしい。
今、叔父の残した家には叔父の母である祖母が住んでいる。
しかし、二階にはまだ叔父の残した遺品がそのまま放置され、整理できていない。
いつか遺品整理しなければと思いながら10年も経ってしまった。
まだ叔父を思い出として消化できていないのだと思う。
いつかケジメをつけないとと思いながら過ごす10回目の命日であった。