どうすればプロ野球ファンはキレなくなるのか
キレるファン、キレないファン
皆さん、突然ですがこんな経験をしたことありませんか?
・選手がミスをした時「ふざけんな!」と声を荒げる。
・チームが負けると次の試合まで凹む、イライラする。
恐らくほぼ全てのプロ野球ファンが一度は経験したことでしょう。私もずっとそんな感情を抱いてきました。
しかし、よくよく考えてみるとおかしい話です。娯楽のために見ていたプロ野球がいつのまにかストレスのタネになっていたのですから。
しかも自分はいくらでもミスしてしまうのに、プロ野球選手の些細なミスを許せなくなってしまっているのです。一言で言うと、寛容さが無くなっている状況です。
よく「好きだからこそ叱る」ということが言われます。親が自分の子供に特段厳しく当たる理由は「好きだからこそ」。これが正しいか間違いかは分かりません。叱る(批判する)理由の是非などどうでも良いのです。
では、なぜわざわざこんな記事を書くに至ったのか。それは、批判することが馬鹿らしくなったからです。どれだけ熱を帯びて批判しても、いつか虚しさが訪れます。何のためにムキになってんのって。今そんなことを思わないって人も、恐らくいつかこんな気持ちになります。時間の無駄じゃんって。
今回の記事は、チームや選手の失敗に怒りを感じる、また将来感じるであろうファンの方に自分の考えをしたためておくためのものです。なので、この記事に何ら価値を感じない方もいるかと思います。まあ、どんなコンテンツもそんなもんでしょうか。
「怒り」を消す二つの方法
では、どうすれば怒りの感情が消えるのか。単刀直入に言うと二つの方法があります。それは「期待しないこと」「侘びること」です。一つずつ説明していきます。
「期待しないこと」
私たちは何事においても期待という感情と共に生きています。プロ野球ファンであればチャンスの場面で打席に立った選手に対して「ここで打ってくれよ」という期待を持って見ていますよね。これは当然のことです。自分の応援しているチームの勝敗がきまるわけですから。
しかし、野球はゼロサムゲーム。つまり勝者もいれば敗者もいる。当然、贔屓の選手が敗れることもあるわけです。そんな時に過度な期待を持っていると、失望感でいっぱいになります。「なんでここで打たないんだよ!勝つ気あるのかよ」と。
思えば、私たちが怒りの感情を持つ一番の理由は期待することにあります。例えば、友達がなんの連絡もなしに待ち合わせの時間に1時間遅れたとします。皆さんなら友達のことをどう思いますか?恐らく、怒ってしまう方が多いと思います。これは友達が待ち合わせ通りの時間に到着することを期待していたからです。
ではどうすれば怒りの感情が起こらなかったのでしょう。一番に思いつくのは友達を遅刻させないようにすることです。しかし、相手を完全にコントロールすることなど出来ませんから、あまり現実的な方法ではありません。経験された方ならわかると思います。他人を変えるのは難儀です。
ではどうするか。それは他者に期待しないことです。相手が遅刻することが分かっていたら、つまり相手が時間通りに到着することを期待していなかったら、怒りの感情は湧きづらいでしょう。野球を見るときも「まあどんな好打者も3割しか打てないもんなあ」「誰だってミスぐらいするもんなあ」と思ってみるだけで、怒りの感情はだいぶ減ります。
今言ったようなことを言うと「期待すること自体が悪いの?」と言われるのですが、期待すること自体は悪いことではありません。期待されることがモチベーションになることは多々ありますから。しかし、過度に期待して裏切られストレスを溜めるのは精神衛生上良くありません。なので、程々の期待程度が良いのです。勝ったら万々歳、負けても次があるかの精神です。それができない方は一度全く期待しないで見てください。驚くほどストレスを感じません。それに慣れたら徐々に期待を増やしてください。自分の中の期待の最適バランスを追求すると楽しいですよ。
「侘びること」
二つ目は「侘びること」。さて、侘びるとはどういう意味でしょうか。ウィキペディアによると「貧粗、不足の中に心の充足を見出そうとする意識」だそうです。すごく貧しい生活をしているけど、そこに虚しさではなく美しさを見出すような感じでしょうか。日本に昔からある美意識の一つなんですが、最近では少し薄れている感じはします。
チームが負けた時、選手がミスをした時を思い浮かべてください。本来なら貧粗な状況です。しかし、この貧しい現状に美しさ(価値)を見出すことで希望が生まれます。つまり失敗を愛することが重要になるのです。
毎日何となく歩く光景。毎日何となく会う人。変化がないようで、実は日々変化しています。見方を変えるだけで自分の抱く印象、感情は大きく変化します。その景色が良いか悪いかは、その人次第です。そう考えると失敗を愛することができるのではないでしょうか。
批判することにも意味がある
恐らくこの侘びの精神を受け入れられない人もいるかと思います。万年下位に沈むチーム、監督の采配が狂っているチームを応援するファンは「綺麗事言いやがって」と思われるでしょう。失敗を愛してもチームは強くなりません。このようなチームのファンは失敗を愛するよりも批判することに意義があるでしょうから。
今まで述べたことは全て「自分を変えること」に集約されます。これはここ数百年の間の流行です。
しかし、今求められることは「自分を変えること」ではなく「世界を変えること」です。大げさに思われるかもしれませんが、インターネットが存在する限り可能だと感じます。
例えば、ネット上では坂本勇人は昔(2013年頃?)から守備が上手いと評価されてきました。しかし、それが世間に広まりゴールデングラブを獲得できたのは2016年。これは間違いなくネットの影響が大きいと思います。昔ならあり得なかったことです。このように、ネット上の議論が現実に影響を及ぼすとしたら、批判する意義は十分にあるでしょう。
しかし、だからといって怒りの感情に身を任せて批判することが良いとは感じません。自分、また他人に対しても悪影響を及ぼします。批判と怒りは同義とは言い切れません。現在の状況を適切に見抜く観察眼と失敗を愛する母性、寛容性を伴うことで、初めて建設的な批判が完成するのではないでしょうか。
今日も明日も試合は行われます。もしチームが負けてしまった時、好きな選手が活躍できなかった時は、是非この記事を思い出してください。そうすれば、今まで感じていた負の感情が少しはマシになっているはず、、、だと信じています。
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※この記事は決して応援スタイルの正解を定義するものではありません。多様性のある応援がプロ野球の発展に寄与するという考えを前提に書かれています。
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