恋しい『日本』
日本にいる時は当たり前であったものやコトが、海外で暮らしてみるとそうでなかったことに気づく、ということは海外移住経験者がよく語ることではある。
私が、ネパールに暮らし始めて23年。
いろいろ恋しく思うものはあるが、歳をとるにつれどんどん恋しくなるのがお風呂である。
私の住むアパートにもバスルームはあるが、シャワーのみ。バスタブはついていない。
バスタブがついている物件もないことはないが、バスタブがあってもそれを満たすだけの十分なお湯がなかったり、バスタブもお湯もバッチリなんてところは手が届かないお値段だったりする。
頼みのシャワーですら、いつもお湯が出るとは限らない。
ネパールではソーラーパネルでお湯を沸かしているところが多く、ソーラーのタンクに貯められたお湯は、早い者勝ちだし(日が落ちた後は、次の日の太陽が差すまでは水は温まらないのだから)、雨の日にはまずお湯は期待できない。
↑ 写真上はうちのソーラー。下は隣の家のソーラー。
そして、私にとっては、これ、お湯とは言えないなあという「冷たくはない程度の水」を、ネパール人は「お湯」という。
確かに冷たくはない。
が、日本人的にはそれをお湯とは言わないし、それで冬にシャワーを浴びる勇気は23年経っても出てこない。
かろうじて服を着たまま髪だけをバケツ1杯の水で洗うのは上手になった。
けれど、それだって、晴れた日の昼間限定である。
↑ 水汲みをしないといけないおうちもまだあります。
だから、十分に熱いお湯がシャワーから出た日は、今日はとっても幸せだな〜と思う。大袈裟じゃなくて、マジで、幸せを感じる。
日本人にとってお風呂は、体を洗う場所だけでなく、疲れを癒し、心を潤す場所でもあるのだ〜!
しかし、このお風呂の偉大さは、バスタブにお湯を張ってつかる習慣がない人々にはなかなか伝わらない。
さらに、冬の朝でも水浴びできるうちのツレアイさんに言わせると、健康のためには、朝水浴びするのが最も良いらしい。
確かに健康法として、冷水シャワーを浴びるのは良いと言う人は大勢いる。
そうなのではあろう。
それができれば素晴らしいと思う。
が、軟弱な私は、水シャワーを浴びるくらいなら、風呂に入らんで寝る方を選んでしまう。
いや、だからさ、朝の冷水シャワーは素晴らしいし、
健康にいいのもわかるけどさ、
私が求めているのは、心の癒しだからさ
と、旦那を前に言い訳がましくモゴモゴ言ってみたりする。
↑水道が家に引かれていない人々が、湖で洗濯したり水浴びをしたりする風景は、ちょっと前まで当たり前に見られました。
こんな私にも、いつか、悟りの境地で、朝爽やかに水浴びをできる日がくるのであろうか。
悟りには程遠いところで今日もジタバタあがきながら生きている私である。
【text by Chikako from Nepal 】
宮本ちか子 瀬戸内海の島で海に囲まれて育つも、なぜか海のないヒマラヤの国ネパール在住。夫も仕事も家財道具も全て捨て、ネパールに移住したのは30歳のとき。ポカラで15年ホテルを経営するが諸々あって、泣く泣くホテルを売却。現在はフリーランスライター、タマラエネルギーワーク、仕入コーディネイト等々。バツイチで結婚は2回、娘が1人、ネパール人配偶者はアーユルヴェーダの治療師。「刺身が食いたい」とつぶやく回数が最近さらに増えてきたアラフィフである。
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