手話通訳について考えてみた
始めに
先日Facebookでお友達がオリンピックの開会式で手話通訳がなかったということに関して書いていました。
それを読んで色々思うことがあったので記録しようと思ったのですが、非常にセンシティブな話である上に、私はこの分野に関して詳しくないです。
このように公開記事を書くあたって、もちろん色んな記事を読んだりしましたが、伝わりやすい言葉で書きたいので不適切な(もしかしたら差別的な)表現があるかもしれませんがご了承ください。
あくまで、耳も聞こえるし、目も見えるし、手も足も動かせる、いわゆる「健常者」である私の一つの感想です。
開会式に手話通訳がなかった
さて、冒頭にも説明しましたがテレビ放送でオリンピックの開会式に手話通訳が付いてなかったそうです。
話題にもなってはいたのでご存じの方もいる方もいるかとは思いますが、簡単に説明すると
・テレビ中継に手話通訳が映っていなかった(競技場にはあったそうです)
・「多様性と調和」「全ての人が、誰一人取り残されることなく尊重される」を目指している以上、字幕だけでなく手話通訳も必要ではないか
↓↓これを受けて↓↓
・全日本ろうあ連盟がNHKや民放へ要望を提出
・NHKが閉会式とパラリンピックの開閉会式では手話を付けると回答(ただしEテレのみ)
(ただしEテレのみ)をわざわざ太字にしたのは、後述しますがどうしてもここに対してモヤモヤするから。
気になったきっかけ
まず、私が目にしたお友達の投稿は「開会式で手話通訳がなかった、(中略)ダイバーシティを謳った五輪の実現の為に手話を必要とする人がいることを知って欲しい。NHKに要望が出せるから賛同してくれた人は協力して欲しい」というもの。
だいぶ端折りましたが中略の中にも、とても大事なことが書いてありました。
これを目にして「確かに手話なかったな」と気付きました。
そして、字幕だけではなく手話を必要としている人がいることを知りました。
なぜ字幕だけではダメなのかというと
「日本語」と「日本手話」は、それぞれ別の言語形態で、文法も異なっており、日本語を第一言語とする人の為の字幕と、日本手話を第一言語とする人の為の手話が必要。
なのだそうです。
#難しい話すぎて私の説明はこれが限度
#これ以上興味を持った人は自分で調べて
「へぇそうなんだ。教えてくれてありがとう。閉会式は手話出して欲しいな。私もNHKに要望出そうか」っていう感想でした。
結果として、気付いた時には閉会式では手話放送が取り入れられることを知り私は何も協力出来ていませんが。
「良かったね。NHKやるじゃん。楽しみだなー」なんてことを思っておりました。
Eテレだけ??
最初にNHKが手話付で放送すると知った記事にも「Eテレで放送する」「なぜEテレのみで総合ではないのか」と書かれていました。
ただ、その時はスルーしたんです。
私はただただ「Eテレね。よし!Eテレで見よう!」と張り切っていました。
そして閉会式当日。結果として総合では途中でニュースが入ったり、ずっと台風情報がL字で入ってきたこともあり、総合からEテレに移ってきた人も多かったようで「手話の人」と結構話題になっていましたね。
余談ですが、バッハ会長と橋本さんのお話あたりでは総合でもワイプで手話通訳がされており、Eテレで見ていると手話通訳の人が2人いるという何とも面白い光景でした。
余談の余談ですが、総合で手話通訳したのは聴者(聞こえる人)の手話、話題になってたEテレで手話通訳してのはろう者の手話だそうです。#ろう通訳というらしい
脱線しすぎたので戻ります。
で、気になったのは「なぜEテレだけなのか」
ニュース記事にも書いてあったのですが、全日本ろうあ連盟はどうやら総合でも放送することを望んでいる。
そして各所で見られた「大きな一歩だが次は総合でも」という声。
総合とEテレ両方で放送して欲しい理由がどうしても分からない。
お友達にも聞いてみたし(ちなみにお友達は聴者)、全日本ろうあ連盟のホームページも覗いてみましたが
「多様性と調和」を掲げるオリンピックだからこそ、NHK総合やEテレのそれぞれとも閉会式を放映するにあたり、手話言語通訳を付与することが多様性と調和がなされた放送・サービスであると考えます。
理解出来るような出来ないような・・・
多様性が共存する世界
多くの人が見る総合テレビで手話通訳を行って欲しい(まだ分かる)。
両方を求める理由がどうしても理解できない。
手話を必要としている人がいるのは分かった。
でも必要としていない人の方が大多数なのはどうやっても否めない事実で。
そんなに多様性を主張するなら、もう1個のチャンネルは色覚異常のある人向けの配慮や英語字幕を付けた方がよっぽど多様性なのではないか。
Eテレが有料なら差別なのかもしれないが。
私たちが映画で字幕版か吹替版かを選ぶ感覚でチャンネルを選んではダメなのか。
そんなことを思ってしまった。
手話を必要としている人にはがいることを知って欲しいのであれば、そもそもテレビを見る人が減っていることを知って欲しい。
他の手段があると思う。
私が理解出来ないばかりに長く書いてしまったけど、ろうあ連盟はすごく真摯に取り組んでいると感じました。
東京2020オリンピック・パラリンピックの開閉会式の放送への手話言語通訳の付与を求める要望の報告とお礼(8月5日:全日本ろうあ連盟)
とはいえ、ろう者に関する理解はまだまだ足りないのは事実で。
聞こえる私が、聞こえない人の気持ちや感覚を分かろうとしても完全には分からないし逆もまた然り。
分かり合うのではなくて寄り添い合わなければいけないのではないのでしょうか。お互いに。
そしてやっぱり触れ合う機会そのものが少ないんです。
だからこそ今回 #手話の人 が話題になったのはすごく大きな意味があると思います。でもまだそれも一部。
私もこれを書いてみて学んだことがたくさんありました。
ここに書ききれないほどの問題も多くあることも分かりました。
機会があればまた勉強して書いてみたいと思います。
興味を持つきっかけをくれたお友達には本当に感謝。
ここまで読んでくれた人がいたら是非パラリンピックの開閉会式の手話通訳を見てみてください。
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