
躾とは…
「躾」と聞くと、子どもなどに礼儀作法を教えて身につけさせること、とイメージすることが多い。
躾。その漢字を見ると、「身を美しくする」と書く。
子供に礼儀作法を教えることだけでなく、自分も身を美しくする、そう努めることが、自分自身の躾にもつながるんだなぁと感じたことがあった。
きっかけは幸田文という女流作家の作品を読んだことにある。幸田文は幸田露伴という明治時代の小説家を父に持ち、生涯着物を着ていたということもあり、着物に関する作品を多く書いている。
着物好きの私は着物というキーワードから幸田文に行きついたが、 映画「Perfect Days」で主人公が幸田文の「木」という作品を読んでいたことから、少し前に彼女の作品が話題になっていた。
幸田文が書いたものを読んでいたら、私はすっかりこの人・・というか幸田家そのものに惹かれてしまった。
特に魅了されたのは幸田露伴をはじめとする、幸田家の人々の哲学。教育の仕方や子供への躾の仕方、生き方そのものが素晴らしく、明治時代の教えでありながら、今の時代にも継承していきたい教えがそこに書かれていたからだ。時代が時代なので、男尊女卑を感じさせる瞬間もあるものの、そこへの不快感をすぐに打ち消してくれるのは、父親である露伴が身を持って文に教えを説いているからかもしれない。
例えば、幸田露伴はこんな風に文に掃除の仕方を教える。
文がはたきを持って障子をぱたぱたと掃除していると、すかさず露伴がこう声をかける。
「はたきの房を短くしたのは何の為だ、軽いのは何の為だ。第一お前の目はどこを見ている、埃はどこにある、はたきのどこが障子のどこへあたるのだ。それにあの音は何だ。学校には音楽の時間があるだろう。いい声で歌うばかりが能じゃない、いやな音を無くすことも大事なのだ。あんなにばたばたやって見ろ、意地の悪い姑さんなら敵討ちが始まったよって駆け出すかもしれない。はたきをかけるのに広告はいらない。物事は何でもいつの間にこの仕事ができたかというように際立たないのがいい。」
そして露伴はさらに文をあおるように、「いいか、おれがやって見せるから見ていなさい」とはたきを手にする。
房のさきは的確に障子の桟に触れて、軽快なリズミカルな音を立てた。何十年も前にしたであろう習練はさすがであった。技法と道理の正しさは、まっすぐに心に通じる大道であった。かなわなかった。
と、最後に文が感想をつぶやく。
すべての物事において父・露伴は自身の美意識を持って動く。いかに美しく、いかに正しく、そして効果的に立ち居ふるまうのか。幸田文の本を通して、そんな世界観を見せてもらった気がした。
読後、「美しい人」の概念すら変わっている自分に気が付いた。
どんなに外見が美しくても、動作や振る舞いが雑だったりすると、全く「美しい」と思えなくなっていた。
そして、いつもの自分の行動を顧みずにはいられなかった。
・私の行動に美しさはあるのだろうか。
・美意識を持って行動することは出来ているのか。
・普段ドアを開け閉めする動作
・職場でパソコンを打つ際
・お皿を戸棚にしまう際
・お会計でお金を払う際・・・
私の身は美しいのか・・?きっと美しくないことの方が多いだろうなぁと反省した。それほど普段、無意識に動いてしまっている。
このタイミングで幸田家の哲学に触れることが出来たことに心から感謝する。
躾は身を美しくすること。自分への戒めとして、今一度心に留めておきたい。