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ザ・マジックを読んでみた
先週の満月…きれいでしたね。
ところで他の惑星に水分が存在する可能性が見つかると、ニュースになる。いわゆる地球外生命体がいるかもしれないと、夢が広がるからだ。
もしかしたら何百万光年ほど離れている惑星でも、私たち地球の存在を認識して同じことで騒いでいるかもしれない。まるでSF物語だけれど、地球が地球であることは紛れもない事実。改めて奇跡の惑星だなぁと思う。水分があり、空気があり、太陽との位置が完璧。そこに今こうして私たちが生きていることはさらなる奇跡といえる。
日本では感謝する際「ありがとう」と言う言葉を用いる。
ありがとうの語源は「有難し」。
普段は起こりえない、奇跡的なことへの気持ちを口に出して生まれた言葉が「ありがとう」だ。つまり地球が存在すること、そして私たちがここに生きていることは、それだけで「ありがとう」に値することなのだ。
子どもの成長を目にするたびに、お腹に子どもが宿った時のことを思い出し、余計そう感じるようになった。
「あずき豆ぐらいの大きさかな」
はじめて訪れた婦人科でエコーを見ながら、私のお腹の中にいる小さな丸を指して、先生はそう告げた。
小さかったあずき豆は無事生まれて、もう90㎝になる。
身長が伸びただけでなく、たくさん笑って、歩いて、たくさんたくさんおしゃべりをする。最近は「大きくなったら何になろう♪」という歌を口ずさむ。すごいことだ。まさに奇跡だなぁと思う。ついつい「ママのところに来てくれてありがとうね」と幾度となくつぶやいてしまう。(娘には聞き飽きたという顔をされるけれど)
私たちにも全く同じことが言える。
私たちはみーんな、同じようにあずき豆だった。
そこから紆余曲折ありながらも今を生きている。
満月を見てきれいだなぁと思えることも、
大好きな人たちと笑い合えることも、
何かを食べておいしいなぁと感じることも、
行きたいところに行けることも、
誰かを愛おしいと思えることも、全てが有難しこと。
悲しいとか、悔しいとか、イライラする・・たまにクソくらえ!みたいな笑、そんな感情さえも全部。
感じられることが、生きていることそのものが有り難く、奇跡なことだから。
ザ・マジック(ロンダ・バーンさんの著書 ここにきて、やっとタイトルの本に触れる)と共に感謝ワークを始めたら、目の前に起こりうること、もの、出会う人、自分自身も含めて神羅万象ありとあらゆるものが奇跡で「ありがとう」の対象なのだと気付かされた。
そう気付いて間もなくして、目の前の景色が変わり始めた。というか、自分の感性が変化して、景色の見え方が変わった、というのが正しいかもしれない。自分がいかに多くの奇跡に満ち足りて生きてきたかを実感するからだ。見えなかったものが見えるようになり、聞こえなかったものが聴こえるようになり、感じられなかったものが感じられるようになる。
足るを知るってこういうことなのかと、全身で納得した。 大袈裟に聞こえるかもしれないが、幸せの感度も上がったように思う。一冊の本が、いつも、どんな人にも、すでに「マジック」が取り巻いているのだということを教えてくれたのだった。