縄文海進と古神道、神社、天皇制(3)
Yahoo!知恵袋で、このようなやりとりを見かけました。
Q「加曽利貝塚が陸地の奥に立地している理由はなんですか?」
A「縄文時代はそこが東京湾の海岸だったからです。縄文時代はかなり温暖で、海面が今より2~3メートル高かったのです」
ハイ、この答え、ブーッですね。1万数千年前には既に縄文時代は始まっていました。ところが、その頃は『ヤンガードゥリアス期』という小氷期の頃。1万2,800年前から1万1,600年前のたった千二百年の間に、地球平均気温が6℃下がりました。海面は今よりも100メートルほど低かったでしょう。東京湾もほとんど陸地。その頃は、後期旧石器時代から縄文時代初期の時代。狩猟と漁業で食っていたでしょう。貝塚だってあったはずです。しかし、その貝塚は今や水深数十メートルの海の底。跡形もないでしょう。
今度は1万1,600年前から2千年の間、1万年前までに地球平均気温が8℃上がりました。地球の各地域で海面上昇はバラツキがあります。日本の場合は、6,900年前頃の縄文海進が新生代完新世で一番海面上昇がひどかった時期です。今よりも海面が5メートル高かったようです。1万年前から6,900年前の後期旧石器時代から縄文時代初期の古代日本人の貝塚から生活の跡から何から、海の底になってしまいました。だから、その頃の海岸沿いの遺跡は、海の底で侵食されていて跡形もないでしょう。アニミズム的な古神道の遺跡があったとしてもそれももはやありません。残っているのは、6,900年前頃の海岸線にあった貝塚とか、古跡の神社だけなのです。
ここいらあたりの話は、ダブってしまいましたが、『ヒンズー教と仏教の原風景Ⅳ』でも触れました。
●紀元前30,000年頃、後期旧石器時代始まる。
立川ローム基底部(X層)で日本の旧石器文化発見
群馬県新田郡笠懸村岩宿の局部磨製石斧発見
縄文人の祖先
●紀元前25,000年頃、鹿児島県にある姶良火山が大爆発、
これ世界の大噴火のトップ15!
この頃を境にナウマンゾウが日本列島から姿を消します、寒いからねえ・・・
●紀元前18,000年頃、ユーラシア大陸からの人類の移動、
メキシコに到達、早いっす、
●紀元前18,000~16,000年、最終氷期の最も寒い時期、
海水面の高さが現在よりも約150メートル低かった、
●紀元前16,000~14,000年頃、沖縄県島尻郡具志頭村港川で人骨発見、
沖縄も地続き!
●紀元前14,000年頃、縄文時代の始まり、
縄文土器がつくられはじめる、
●紀元前12,000年頃、中国長江流域で陸稲稲作の開始、
この寒い時期に?!陸稲なら可能か?!
●紀元前11,000年頃、日本、縄文時代草創期、
日本列島でオオツノシカが絶滅って、暖かくなってきた?
●紀元前10,000年頃、縄文時代早期、
日本列島の温暖化・温潤化が進む、完新世、
●紀元前6,900年頃、完新世の期間で、
縄文海進で日本列島の海岸線が最も後退した時期
さて、アニミズム的な古神道は、日本で自然発生的に生まれたんでしょうか?
古事記、日本書紀などで書かれている國造神話など世界の神話・聖書に共通する物語があります。
また、漢字伝来以前に古代日本で使用されたと紹介された多様な文字、文字様(主に神社の御神体や石碑や施設に記載)の神代文字、伊予文字、秀真文字(ほつまもじ)などのヲシテ、カタカムナ文字など自然発生的に生まれたとは思えませんね?
それらが、縄文海進の前後で、遠く中東から、中央アジアの陸路やインド・東南アジアの海路を通って後期旧石器時代から縄文時代初期の古代日本に伝わった可能性も否めませんよね?