「打つ」、「打たない」の選択は個人の自由、だが、それに伴う何らかの制限は感受してね
ワクチンを「打つ」、「打たない」これは個々人の判断、選択の権利だから仕方がない。ただし、ワクチンを「打たない」と決めて接種の機会があったのにも関わらず、接種しなかった人は、統計的に「打った」人よりも自分の感染リスク、他人への蔓延リスクが「打たない」人の方が高いのだから、社会生活上の権利は責任を果たしていない分、制限されるのが妥当。
「すべてが平等」という悪しき民主主義の勘違いであって、「機会の平等」はあるが、「受益の平等」はない。均等に機会を与えられていながら機会を利用しない場合は、受け取る利益もそれに比して制限される。
単純な話だが、戦後のアッパラパーの世界で、頭がお花畑、権利の主張ばかりで義務は果たさない風潮では、仕方ないのかも知れない。
「宣言慣れ」夏楽しむ人々、
男子高生「ワクチン1回打ったし大丈夫」
府は不要不急の外出自粛を呼びかけ、企業に対しては、在宅勤務などを活用して出勤者を七割減らすことを要請している。しかし、NTTドコモの「モバイル空間統計」によると、二日午後三時の駅周辺の人出は一週間前と比べ、6・6%減にとどまった。人の流れはこれまでと大きく変わらず、街には夏を楽しむ人たちの姿があった。
心理的に仕方ないことだし、こういう行動をとっているのだから、一概に行政が全て悪い、などという結論にはならないのだが、結局、行政が悪い、になるとなぜか落ち着くわけだ。マスコミもそう報道することだし。
新型コロナ、ワクチンを「打たない」と
決めた人々の理由とは
「私が打たない理由は2つあります。1つは私が40代であること。今後、子供が生まれる可能性が充分に考えられる年齢にとって、1年足らずで開発されたワクチンは長期的にどんなリスクがあるかわかりません。それに、40代はコロナに感染しても重症化するリスクが低く、ワクチン接種で個人的に得られるメリットは少ないと感じる。現状では打たなくてもいいと判断しました」
そう話すのは、鹿児島で訪問診療のクリニックを開設する、医師で医療経済ジャーナリストの森田洋之さん(49才)だ。森田さんはワクチンの効果を完全に否定しているわけではなく、それなりに有効性があり、医師という職業上接種する選択も悪くはないと考えているという。だがもう1つ、打たないのにはこんな理由がある。森田さんが続ける。
「医学生や看護学生たちは実習を受ける際に、このワクチンの接種が求められています。しかし10代後半から20代前半の人は、コロナで亡くなるリスクはほとんどありません。にもかかわらず、長期的な安全性が不明なワクチンを打つようプレッシャーをかけられているのは、とても気の毒です。
おかしいなあ。「10代後半から20代前半の人は、コロナで亡くなるリスクはほとんどありません」と言っても、罹患して、終生引きずる後遺症が出る可能性も否めない。だから、この理由での接種の拒否は説得力がない。
また、事実、接種を拒否した医療スタッフから医療機関で感染が起こっていることを考えると、接種を拒否した医療スタッフの医療行為の関与を拒否する権利を医療機関を訪れた人間は持ってもいいだろう。
私は、接種を拒否した医療スタッフがわかれば、彼の彼女の医療行為の関与を拒否します。もちろん、この医者は、医療行為をする際に、「私はワクチン接種を拒否していますが、それでも医療行為を続けていいですか?」と患者に聞いたほうがいいだろうね?
ワクチン義務化の流れ、日本でも?
変異した新型コロナウイルス「デルタ株」の感染が拡大する中、米国や欧州の各国で、ワクチン接種を義務づける動きが出てきた。グーグルは2021年7月28日、オフィスで働く従業員に対してワクチン接種を義務づけると発表した。フェイスブックも同じ日に、同様の方針を明らかにしている。フランスの放送局FRANCE24によれば、フランスの議会は26日に、レストランへの入店などの際に、ワクチン接種や陰性の証明書の提示を義務づける法案を可決した。米国のバイデン政権は、連邦政府の職員らに対し、ワクチン接種を義務化した。
こうした強い措置が広がっている背景には、デルタ株の感染力の強さがある。
日本も無縁ではなく、28日のNHKによれば、東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県でデルタ株の感染が拡大。26日の時点で、1週間前と比べてデルタ株の感染者が1.65倍に増えたという。
いまのところ、日本では米国やフランスのような強い措置は取られていないが、デルタ株の拡大を抑え込めない場合、こうした議論が浮上してくることを想定しておく必要がある。
民主主義の宗主国のフランスでさえ、コロナに関しては個人の権利の制限は当然、義務を果たさなければ、公衆の集まるレストラン、バー、カフェなどに入店できない、長距離の電車やバス、飛行機を利用できない、という制限を加える。ワクチンを接種しないという判断は尊重、しかし、行動の自由を失い、職を失うという機会の制限はありますよ、という単純な話。