新・奴隷商人ー序章3、ローマの特殊合計出生率の計算
登場人物
アルファ :純粋知性体、Pure Intelligence、質量もエネルギーも持たないダークマターで構成された精神だけの思考システム。出自は酸素呼吸生物。
ムラー :フェニキア人奴隷商人、純粋知性体アルファのプローブユニット
森絵美 :純粋知性体アルファに連れられて紀元前世界に来た20世紀日本人女性、人類型知性体
アルテミス/絵美:知性体の絵美に憑依された合成人格、ヴィーナスの二卵性双生児の姉
ヴィーナス :黒海東岸、コーカサス地方のアディゲ人族長の娘、アルテミスの二卵性双生児の妹
ソフィア :ムラーのハレムの奴隷頭、漆黒のエチオピア人
ジュリア :ムラーのハレムの奴隷頭、赤銅のギリシャ人
ナルセス :ムラーのハレムの宦官長
アブドゥラ :ムラーのハレムの宦官長
パシレイオス :ムラーのハレムの宦官奴隷、漆黒のエチオピアの巨人
ヘラ :ディオニュソスのマイナス(巫女)、クレオパトラの悪霊に憑依されていた大女
アイリス :エジプト王家の娘、クレオパトラの異母妹、知性体ベータの断片を持つ
ペトラ :エジプト王家の娘、クレオパトラの異母妹、アイリスの姉、将来のペテロの妻、マリアの母
アルシノエ :アイリスたちの侍女頭
ピティアス :ムラーの手下の海賊の親玉
ムスカ :ムラーの手下、ベルベル人、アイリスに好意を持つ
ペテロ :ムラーの港の漁師
マンディーサ :アイリスの侍女
キキ :20才の年増の娼婦
ジャバリ :ピティアスの手下
シーザー :共和国ローマのプロコンスル(前執政官)
マークアントニー:シーザーの副官
ベータ :純粋知性体、Pure Intelligence、質量もエネルギーも持たない素粒子で構成された精神だけの思考システム。出自は塩素呼吸生物。
クレオパトラ7世:エジプト女王、純粋知性体ベータのプローブユニット
アヌビス :ジャッカル頭の半神半獣、クレオパトラの創造生物
トート :トキの頭の知恵の神の半神半獣、クレオパトラの創造生物
ホルス :隼の頭の守護神の半神半獣、クレオパトラの創造生物
イシス :エジプト王家の娘、クレオパトラの従姉妹
アルテミス号 :ムラーの指揮指揮するコルビタ船
ヴィーナス号 :ピティアスの指揮するコルビタ船
歴代クレオパトラの生没年、エジプト女王在位
クレオパトラ1世 生没年:紀元前204年頃 - 紀元前176年
在位:紀元前193年 - 紀元前176年
夫、プトレマイオス5世エピファネス
クレオパトラ2世 生没年:紀元前185年頃 - 紀元前116年
在位:紀元前173年 - 紀元前116年
夫、プトレマイオス6世フィロメトル
クレオパトラ3世 生没年:紀元前161年 - 紀元前101年
在位:紀元前142年 - 紀元前101年
夫、プトレマイオス8世フュスコン(3世は彼の姪)
クレオパトラ4世 生没年:不詳 - 紀元前112年
在位:紀元前116年 - 紀元前115年
夫、プトレマイオス9世ラテュロス(4世は彼の妹)
クレオパトラ5世 生没年:不詳 - 紀元前57年
在位:紀元前115年 - 紀元前57年
夫、プトレマイオス9世ラテュロス(5世は彼の妹)
クレオパトラ6世 生没年:不詳
在位:不詳
夫、不詳
クレオパトラ7世 生没年:紀元前69年 - 紀元前30年
在位:紀元前51年 - 紀元前30年8月1日
夫、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世(7世は彼らの姉)
アルシノエ4世 生没年:紀元前67年 - 紀元前41年
クレオパトラ7世の妹、プトレマイオス13世、プトレマイオス14世は弟
ジュリアス・シーザー 生没年:紀元前100年 - 44年3月15日
マーク・アントニー 生没年:紀元前83年 - 30年8月1日
主要登場人物の年齢
ローマの特殊合計出生率の計算
カクヨムで、田所米子様の
古代ローマ その③
を拝読いたしまして、一部記述*に疑問がありましたので、以下のコメントを致しました。
コメント①
コメント②
田所米子様のレス①
でしたので、以下返信いたしました。
古代ローマ その④
コメント③
Wikipedia, Demography of the Roman Empire
https://en.wikipedia.org/wiki/Demography_of_the_Roman_Empire#:~:text=Papyrus evidence from Roman Egypt,and high fertility within marriage.
参考資料1:Wikipedia, Demography of the Roman Empire, Mortality (ローマ帝国の人口統計、死亡率)
https://en.wikipedia.org/wiki/Demography_of_the_Roman_Empire#Mortality
参考資料2:上記資料を元に小生作成のエクセルシートの画像ファイル(男女別だけのデータを男女平均の項目を追加)
https://note.com/beaty/n/nedc93e14afb8#ffa06e91-2ce6-48ec-a561-08005db69bfb
参考資料3:Roman women and children Part 1 - Fertility
https://www.vindolanda.com/blog/roman-women-and-children-part-1
参考資料4:Roman women and children Part 2 - Pregnancy and childbirth
https://www.vindolanda.com/blog/roman-women-and-children-part-2
参考資料5:Fertility in Ancient Rome
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8567737/pdf/RWHR_30_1833491.pdf
参考資料6:National Library of Medicine
Fertility control in ancient Rome 要約
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC8567737/
日本語訳要約:古代ローマにおいて、主に妊娠を促進するためだけでなく、妊娠を予防するために推奨されたさまざまな方法を調査・評価した上で、成人の養子縁組と乳児曝露の実践についてより詳細に議論し、古代史的観点から「不妊治療」の概念を問い直す。この定式化は、ローマの生殖計画と、それらがもたらすことができた資源を包含するのに十分な柔軟性があるのでしょうか?展開された方法は「コントロール」として認定されるのに十分効果的でしたか、そして採用と曝露を通じて行動していたのは「生殖能力」でしたか?このエッセイは、これらの質問に肯定的に答え、ローマのケースは、子供を持つことと持たないこと、子孫を制限したり増やしたりすること、さまざまな方法で家族を形成することへの欲求を含むため、生殖の歴史についてより広い議論を提供するのに十分なことがあると主張しています。
田所米子様のレス②
コメント④
田所米子様のレス③
コメント⑤
田所米子様、
①(高校の時選択したクラスが、世界史を大航海時代ぐらいからしか扱わないところだったのです)、有名な塩野女史のシリーズも読んだことはありません。
私のはるか昔の高校時代は、例え理系であっても国公立大学の入試科目に日本史・世界史も入ってまして、日本史・世界史の授業は有史時代まえの石器時代から始まったので、三学期の終わりで、日本史なら江戸時代、世界史なら18世紀ぐらいまでが詳細に教えられ、後は時間がないからかなり端折られました。
②古代社会では(いや現代でも?)不妊は圧倒的に女の責任にされていました。ですが、ある上流階級の男性が手元に置いている女性が皆妊娠しないとなると、流石に周囲も察すると思います。そういった男性は周囲からどのような扱いを受けていたのでしょうか。
③そういった上流階級の男性はどのように扱われていたのでしょうか。
古代ローマ(共和制ローマから帝政ローマ初期、BC3C~AD2C頃)で、ローマ市民は絶対的な家父長制の元に生活していました。
ローマ市民法では、家族という定義に家父長(日本で言う戸籍の筆頭者)は含まれていません。
家父長 vs 家族
でした。家族に対して家父長は絶対的な生殺与奪の権利を持っていました。この場合の家族とは、一夫一婦制の下の正妻、正妻との間に生まれた子供たち、妾・女奴隷との間に生まれ家父長が認知した子供たち、家父長が開放した奴隷(自由民)のクリエンテスたちです。
ご質問の件ですが、これはローマ市民法を独習してくださいとしか言えません。以下のpdfをダウンロードして見てください。
ローマ法における婚姻制度と子の法的地位の関係(pdfダウンロードサイト)
P.10、『第Ⅱ章 ローマ法における家族法の特徴』をお読みください。
こういう家父長絶対社会ですから、ご質問の、
②古代社会では(いや現代でも?)不妊は圧倒的に女の責任にされていました。ですが、ある上流階級の男性が手元に置いている女性が皆妊娠しないとなると、流石に周囲も察すると思います。そういった男性は周囲からどのような扱いを受けていたのでしょうか。
③そういった上流階級の男性はどのように扱われていたのでしょうか。
という、家父長が種無し、不妊であったとしても、女性相手に生殖行為ができない不能であったとしても、家父長の地位は揺るぎないということです。
で、どう対処するか?というと、種無し・不妊・不能を隠さないのであれば、養子縁組をするということ。ただ、医療技術が発達していない古代のことですので、医学的に種無し・不妊・不能が証明できるわけでもなく、一方的に子供を産まない正妻は、離婚させられただろうということです。
それで、種無し・不妊・不能を隠したいのであれば、他の家父長に依頼して、他の家父長の妊娠した正妻・妾・女奴隷を一時借りて、生まれた子を自分の子供として認知、出産後は他の家父長に借りた正妻・妾・女奴隷を返却するということで対処しました。
次のご質問の「➃正妻が男児を産めず、妾やそれに準じる存在に男児が生まれた場合、家庭内のパワーバランスはどうなっていたか。」ですが、
ローマ市民法で規定されたのは、正妻のみです。妾・女奴隷の愛人がいたとしても、正妻が男児を産めず、妾やそれに準じる存在に男児が生まれた場合だろうがなんだろうが、正妻の地位は変わりません。しかし、その前に、男児を産めない正妻は離婚された可能性が高いです。
それで、再婚することが多かったですが、再婚相手はあくまで家父長の地位と弾き比べて見劣りしない地位の女性であって、既に男児を産んだ妾やそれに準じる存在の女性が昇格して再婚相手になるとは限りませんし、妾やそれに準じる存在の女性ですから、家父長の地位と弾き比べて見劣りしない地位の女性である可能性も低い、ということです。
⑤法律において正妻の権力が保証されていたのか。また財産相続はどのようになされたのか。男性の死亡時、男性の同腹の兄弟もしくはその正嫡の子息が存在した場合、正嫡ではない男児の相続権は優先されたのか否か。
財産相続は、上述資料のP.11『(2) 財産権』をお読みいただければ一目瞭然です。
家父長絶対ですから、『法律において正妻の権力が保証』などされません。財産相続もP.11『(2) 財産権』以降をお読みください。正嫡子、非正嫡子は、その子が一等親の尊属・卑属であれば、母親が誰かは問われません。むろん正妻の子供が望ましいのですが、そんな贅沢を言っていたらその家はなくなります。12人産んで生き残りが1~2名ということも珍しくなかったのですから。
家父長の死後財産を継承(つまり家父長を継承)する場合面倒が起こるようなら、シーザーがオクタビアヌスを指名したように遺書に明記しました。
「男性の同腹の兄弟もしくはその正嫡の子息が存在した場合、正嫡ではない男児の相続権は優先されたのか否か」もP.12以降に書いてあります。
今、紀元前46、47年の共和制ローマに関して書いているんですけどね、想像力って大事だなと。その想像力が、紀元前46、47年のことをよく知らないと想像できないじゃないですか?それで、私は歴史に関して門外漢ですがいろいろと調べています。また、専門が物理学で、商売が建築設備電気の設計だったものですから、どうしてもそっち方面の視点になっちゃいます。
例えば、主人公たちが当時のシリアの主要港のラタキアからワインを積んでエジプトの首都アレキサンドリアに航海する場面で、アレキサンドリア港の描写をする。その当時のアレキサンドリアってどうだったんだろうか?と想像してしまいます。
Wikipediaでは、アレキサンドリアの大灯台は沖合140キロからでも見ることができた、なんてウソを書いてますが、常識的にありえないことです。なにせ、電気のない時代、灯台に使われた光源は松明、篝火ですので、見えるわけがありません。
下の方の絵「アレキサンドリアの大灯台、実は大煙突」をご覧いただければ納得がいきます。
こんな感じです。
紀元前46年、アレキサンドリア
アルテミス号とヴィーナス号はアレキサンドリア港に入港した。
紀元前46年の現在から考えると、約290年昔の紀元前332年(*)、アレクサンドロス3世によってナイルの大三角州を抱きかかえるような半島の真ん中にアレクサンドリアが建設された。アレクサンドロス3世の死後、彼の部下のプトレマイオス1世がエジプトを統治下に置いた。プトレマイオス朝である。
プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都とした。この都市の周辺は平坦な土地ばかりで、船舶の沿岸航行や入港の際に陸の目印となるものが何もなかった。そのためプトレマイオス1世は陸標となる灯台の建設を決定した。アレクサンドリアの大灯台である。
アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島、ファロス島(後に埋め立てで市街と地続きにした)には、七不思議のひとつ、アレクサンドリアの大灯台がそびえ立っていた。大灯台は、海上140キロメートルからでも光が見えたそうだ。灯台の基礎は真四角であり、1辺は約100メートルだった。高さは、約130メートル、古代社会では、驚くべき建造物だったのだろう。
例えば、横浜マリンタワーの高さは106メートル、通天閣が103メートル、神戸ポートタワーが108メートルで、それらが鉄骨製であることを考えると、大理石、漆喰、ローマンコンクリートでできたアレクサンドリアの大灯台の建造が実に困難であったのがわかる。
しかし、しかしだ、私の未来の記憶とそれが作り出すイメージは救いようがない。灯台のイメージは明るいライトが回転する鏡面で反射され360度クルクルと回転するようなもの。それで、二千年先の未来のウィキペディアには「大灯台は、海上140キロメートルからでも光が見えた」と書いてあるので鵜呑みにする。電気がない時代に何が明るいライトが回転する鏡面で反射されるなんだ。そんなライトなど紀元前に存在しないのだ。
実際のアレキサンドリアの大灯台は大煙突なのだ。毎晩、盛大に篝火を大灯台のてっぺんで燃やしている。モクモクと篝火からの煙が立ちのぼる、まったく大煙突なのであって、海上140キロメートルからでも光が見えるわけがないのだ。ということで、アレキサンドリア港にもやっているアルテミス号の甲板から、毎晩、防波堤の突端にそびえる煙をモクモク吐く大煙突を眺めている。やれやれ。
アレキサンドリアは城壁に囲まれ、城壁の大きさは東西4.5キロ、南北2.5キロほどだ。城壁外の人口を合わせて、100万人を超えている。大灯台の他に、世界各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、紀元前48年にシーザーの戦闘で火災にあい消失してしまったアレクサンドリア図書館などがある。ヘレニズム時代の地中海貿易と文化の中心地として栄えている。都市は碁盤の目に整然と整理されており、大通りの幅は30メートル以上あった。
ムラーとピティアスは、港近くの商館数軒を回り、ホテルの大広間を借りて見本市みたいなものを開いた。交易品として、コーカサスのカフカス地方から輸入したカラハナソウ(唐花草、ホップ)と大麦で作ったビールがメインだ。
エジプトにもビールはある。21世紀の学校の教科書でも、ピラミッドの建設労働者への賃金の一部として、ビールとパンが支給されたと書いてある。だが、21世紀の麒麟やサッポロビールを想像してもらっては困る。
エジプト庶民の主食は、古代小麦で作った平たいパンと大麦から作ったビールだ。ビールといっても、自然酵母で発酵もどきになっている大麦パンを水に浸してさらに発酵させ、布で濾過したスープのようなものだ。アルコール分などほとんどない。見かけはゲロだ。オニオンスープに浸したフランスパンをグチャグチャにかき混ぜた感じを想像して欲しい。エジプト人の味噌汁みたいなものだ。酔いのために楽しみに飲むものと違うのだ。
水を飲めばいいじゃないか?と21世紀の人間なら思うだろうが、ナイルの大三角州に位置するエジプトでは、健康を妨げないキレイな水など自然にはない。井戸水でも不潔だった。不潔な水を煮沸して消毒するにも薪が必要だ。だが、ビールなら大麦を自然酵母で発酵させるので、雑菌はほとんど死滅する。つまり、井戸水を飲むよりはビールを飲んだほうが安全で健康に良くしかもカロリー補給になるのだ。
ムラーの農園で作るビールは、21世紀で言うベルギービールみたいなものでいろいろな製法を試している。上面発酵で造られるビールを「エール」、下面発酵で造られるビールを「ラガー、ピルスナー」というが、発酵温度が高いムラーノのビールは「エール」だ。紀元前では発酵温度を5℃程度にするには高緯度地方で製造する必要があるので下面発酵は難しい。
熟成期間1年の若い樽詰めと2年から3年熟成した古い樽詰めを混ぜて瓶詰めにする。1年物はまだ完全には発酵していないので、瓶内二次発酵が起こり、炭酸ガスが発生する。ミックスした後、約1年の再発酵させるが、瓶のままでも十年から二十年保存できるそうだ。瓶詰めは、ガラスや陶器の瓶に詰めて、コルクで栓をして金属バネで密封する。ラタキアから持ってきている間にも発酵は進むので、これを早く売りはらわないといけない。
試飲した商館の主は、みな驚いている。そりゃあ、ホップが効いていて、アルコール度数の高い、炭酸ガスが強い喉越しの良い飲み物がビールだとは思えないだろう。ゲロと比較すればそうだろう。試飲させて、一番高値の商館に4百ダース、売り払った。一瓶、デナリウス銀貨一枚(約二千百円)。4,800デナリウス、金貨192アウレウス、約960万円だ。冷暗所に保管して、最適な賞味期限は二週間だと説明した。それ以上だと、発酵が進んでウィスキーもどきが出来てしまう。低温殺菌なんてないから、発酵が止められないのだ。
ワインを蒸留した火酒(ブランディー)、大麦麦芽のビールのもろみから作った火酒(ウイスキー)も試飲させた。これは、一瓶、デナリウス銀貨二枚(約四千円)だ。それぞれ、2百ダースずつ、9,600デナリウス、金貨384アウレウス、約1,920万円だ。試飲した商人たちは、慣れない高アルコールの飲み物でヘロヘロになるが、金貨銀貨の数え方は間違わない。しっかりしてるわね。
それから、ピティアスがアラビア海廻りでインドから持ち帰った香辛料、シルクロード経由の中国産の絹の反物などを売りさばいた。なんだかんだで、合計金貨2,000アウレウス、約1億円くらいの売上げになった。エジプトからは、エジプト綿の反物をたくさん仕入れた。シナイ半島産出の翡翠も買った。タンニンを多く含むアカシアでなめした革製品も仕入れた。
エジプト人の服装は質素だ。ナイル川流域で栽培された亜麻から作ったリネン(麻布)の服を身に着けている。男性はシェンティ(白い腰布)、女性は筒型ワンピースという、高温多湿のエジプトに適した軽くて涼しいシンプルなものだ。神の子であるファラオと神官たちだけは特別な服装をしているが、その他の階級の服はほとんど同じもので、首輪や腕輪などの装飾品によって身分を区別している。
木綿は、新王国時代に小アジア(トルコ)から輸入されて栽培が始まり、裕福層には木綿製の薄いカラシリスも普及している。履物はパピルス製のサンダルが主だが、庶民や奴隷は裸足が多い。
髪型は、男性は刈り上げ、女性は短く刈り込んだオカッパの髪型だ。頭シラミ防止だ。今度、シャンプーを持ってきて売れば儲かりそうだ。
エジプト民族は、艷やかな赤銅色の肌で、黒褐色や黄褐色の近隣民族と違う。それがエジプト人の誇りであって、男女共、肌の露出に躊躇しない。女性はかなり目のやり場に困るポロリをよくする。ロケット乳が多い。
女性の化粧は、アンチモンやアーモンド炭、酸化マンガンなどを原料とした顔料で目の周りに黒や灰色の太いアイラインを塗って目周りを強調して、眉を剃り落とし、木炭で太い眉を描く化粧方法だ。エジプト独特で、これが女性の魅力を引き立たせる。
あと、ヘンナと油脂で作った口紅や頬紅、孔雀石などの宝石をすりつぶしたアイシャドー、ヘンナのマニュキュアなど、エジプト人は服装は地味だが、化粧は目立つ。エジプト女王は、上瞼を青、下瞼を緑に塗っているそうで、ハリウッド映画みたいなのだろう。
一緒に行きたい、とムラーに言って、ヴィーナスも連れてきた。ソフィアとジュリアも護衛ですから、とついてくる。装身具の店で、わぁ~とか、ステキとか、数千年変わらない嬌声をあげて、ムラーに買わせた。。ラテキアの女性たちの土産も買った。
エジプトは神殿が多い。いつもどこかで祭りをやっている。カスタネットみたいな、木やカバの牙で作られた打楽器のクラッパー、日本でいえば拍子木で調子を取り、ケネルという技能集団の踊り子が半裸でアクロバティック・ダンスを踊って、踊りを神に奉納する。エジプトの目立つ目周りの化粧で、ロケット乳がこぼれるほどの激しいダンスをして、見物人の男どもを欲情させている。
ピティアスは別行動を取って、ヴィーナス号の女奴隷四人の内の二人、アルテミス号の三人の計五人を奴隷市場に売りに行った。ギリシャ女とアラブ女だ。ムラーの旦那、一人平均金貨100アウレウスでさばけましたぜ、と報告していた。途中であった海賊船からの分捕り品だから良い商売だ。
解説
参考資料3:Roman women and children Part 1 - Fertility
参考資料4:Roman women and children Part 2 - Pregnancy and childbirth
以上で、特に、
「エリート女性から生まれた子供の平均数が2人未満であったことを示しており、これらの発見は、少人数家族や子供がいないことが一般的になっていた」
こにお部分の記述が興味深いでした。
紀元前ローマの死亡率と妊娠可能年齢(21世紀よりも幅が狭い)ので、紀元前の『合計特殊出生率は12歳から29歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの』
で、私の計算した合計特殊出生率5~7人を維持するためには、エリート女性の正妻から生まれた子供の平均数が2人未満だったため、エリート家庭の男性は、正妻とだけ子供を作っていたら数世代でエリート階級は滅びたでしょう。
つまり、