感想記事:2021.11.12 宮本隆治の歌謡ポップス☆一番星 布施明(前編)
布施さんを見るためにCS(スカパー)に加入してから色々見てきましたが、宮本隆治さんのこの番組を初めて知りました。以前NHKでよくお顔を拝見していた記憶が。
なんでも前後半に分けて布施さんを取り上げてくださると…これは見なくては!と思い早速録画予約。
ここからは内容にネタバレを含みますので、これからご視聴の方は、お気をつけください。
オープニング
宮本隆治さん、相田翔子さんで布施さんの印象を語り合っていらした時、
宮本さんが「楽譜が歩いているよう。ミスター音符」と仰っていたけど、よくこういうフレーズがすぐ出てくるなぁと感心してしまう。
そして布施さんご登場。黒のタートルネックに光沢のある黒ジャケットの黒ずくめ。メガネもしてオシャレ。
布施さんはデビューから今年で56年目。でも1964年の8月に舞台で歌われたことがあるとのことで、厳密には57年目とのこと。長い!
立ち話もなんですから、と宮本さんが仰ったところで、「あ、これでおしまい?」とぼける布施さん。どこかでこのくだり見たような。
そのあとは曲やエピソードを交えてトーク。
少年時代の話
お母様が家で歌うと怒るような方だったので、家は静かだったというお話。音楽は聴いても兄の勉強部屋でラジオを小さくかけるくらい。そのラジオでFEN(Far East Network)でアメリカンポップスを聴いたのが、布施さんの音楽ルーツの始まりだったそう。具体的にはプレスリーの最後の方とか、デル・シャノンの名前を挙げていらっしゃいました。
そして中2で転校した先でブラスバンド部へ。仲の良かったお友達はオガワさんという方だったそう。フルートを吹く布施さんと、オガワさんのお写真もちらっと。
そのあと高校時代に、ラテンの3人組バンドが1人抜けて困ってたところ、布施さんにギター弾ける?と聞いて弾けないのに「弾ける」と答えてしまった話から、質流れのギターを手に入れて、C 、Am、Dm、G7、E7コードを1週間くらいで覚えた話など。(結局ギターを弾けないことはバレるものの、その後その人たちと一緒にラジオ番組にも出たそうで、厳密にはそれがラジオデビューだった模様。)
長いファンの方ならおそらく聞いたことのある話が多かったのかな?
にしても、何度聞いても友達に付いていって出たオーディションで、80日間世界一周のAround The Worldを歌って通過したというくだりは、何かドラマを感じてしまう。
通った理由はその前に患った小児貧血の影響で見た目がハーフだったから、だったというのも。
そのあと歌った後に味の素をもらったことで「次は何がもらえるんだろう」と思って続けることになった、という話を受けて、宮本さんが「味の素が喉の素になったんですね」的なことを仰っていて、言い得て妙だな、と感じました。
曲紹介:君は薔薇より美しい JAZZバージョン
ここで曲の紹介1曲目。
布施さんはこのジャズバージョン、「大好き!」らしいです。(「大好き!」という布施さんの可愛いことよ…。)
藤崎邦夫さんがアレンジしたというこのバージョン。
↓で観れます。未視聴の方はぜひ。
(余談ですが、改めて見ると、「初めて女を知るのか」のところでさりげな〜く小指が立っているのが、大好きです。)
想い出のレコードジャケット「レコジャケ★一番星」
ゲストの方が選ぶ想い出のレコードジャケットを紹介するというコーナー。布施さんは「霧の摩周湖」をチョイス。
ジャケットを見た視界の相田さんが「かっこいいですね」と仰っていて、激しく同意。この時18歳なんて…
誰も当時は摩周湖を知らなくて、作詞作曲した水島哲さんも平尾昌晃さんも(そして布施さんも)見たことがなかったというので、はるばる摩周湖に行かれた話、そして行った時は霧の出る時期では実はなくて、ジャケットのぼんやりした煙は実は炭焼きの煙だった話などなど。割と色んなところで出ている話ではあるかな、と思いましたが、楽しそうに語っていらっしゃいました。
布施明の喜怒哀楽〜シクラメンのかほり
「喜怒哀楽」にかけて、エピソードを語るコーナー。
まずは「哀」として、「歌謡曲を歌う決心」を挙げられていた。というのも、昭和41年に平尾昌晃さんの「おもいで」を歌うことになったことで、歌謡曲を歌う方向になったことを指していらっしゃる模様。
元々歌う予定にしていたすぎやまこういちさんの「涙のギター」のお話も出ていた。(後で調べて、こちらをA面にするはずがB面になったという意味と解釈。)
もともとポップスが好きでこの世界に入ったのに、歌謡曲を歌うことになったことは、やはり引っかかっていらっしゃったのだなと改めて認識。
そして「怒」として「シクラメンのかほり」を挙げられていました。司会のお二人とすれば売れた曲なので「?」な表情。
でもそもそもシクラメンがB面候補だった話、古い感じの曲だから絶対売れないだろうと思ったこと、そして当時はデビュー10年くらいで、ちゃんと勉強し直したくて休みを貰いたいと事務所に掛け合った話…などで徐々に理解していく司会の方たち。
小椋佳自身も「この曲は数年前の僕の形です」って言ってたのは知らなかった。古いと思ってたんだ…。
休めると思っていた布施さんは、やはり勉強するにはヨーロッパかアメリカに行きたかったらしい。でもシクラメンのかほりが売れてしまって、売れた翌年(つまり1976年)に二百何十日くらいのコンサートをされた、ということでした。(これがいわゆるダックスフンドツアーだったと思われます。)
あとはシクラメンの香りはもともとなかったのに園芸関係の方が香りのあるシクラメンを開発された話などなど。
シクラメンも摩周湖も、布施さんの影響で変わったという話を受けて、布施さんは「ちょとは貢献したのでは」と仰ってましたが、ちょっとじゃなくてすごい貢献だと思うけどなぁ〜。というのはファン心理?
このあと50周年ライブバージョンのシクラメンのかほりが流れて、つい聞き入る。
その後別コーナーを12分ほど挟み、今度はクラシックの話題へ。
アルバムWay of the Maestroから〜Nessun Dorma
クラシックは、16-17歳で事務所の音楽学院があって、そこで発声練習や歌を習った際に、オオヌキ先生という方に習ったそう。その先生の歌い方が目を見開いて歌うので面白くて、真似しているうちに身についた、ということらしい。それだけ熱心に真似ができるのもすごいなあ、と素人目には感じてしまう。
アルバムWay of the Maestroを作られていた頃(2012年)はお母様が危篤状態で、合間を縫ってこのアルバムを作られていたそう。(なかなかできるものではない気がするのは私だけだろうか…)
Way of the Maestroというタイトルは息子のマックス君との話で決めた話(最初はMaestroとするつもりだったが、マックス君に「自分からマエストロと言っちゃうのはおかしい」と言われた話)、オーケストラとの同時録音はデビュー当時以来だったから緊張した話などをされていました。
そしてWay of the MaestroのDVDにもあったNessun Dormaの映像が。改めて聴いても、やっぱり迫力があって、オケに負けない声が素晴らしい。マネで鍛えた発声恐るべし…。
締め
最後に司会の宮本さんが、一句詠みつつ歌謡業界と園芸業界に影響を与えましたよね、と仰っていて、確かにそうだよな〜と感じたのですが、本人は至って謙虚でそれほどのものじゃない、と仰っていました。
全体的な感想
宮本隆治さんが同世代だからなのか、すごくリラックスされた様子で話されていて、聞いていて楽しかったです。最初の最初はアメリカンポップスだったというのは私としては初めて知ったので、貴重なお話でした。
後半では喜怒哀楽の「喜」「楽」の内容がくると思うので、これから楽しみにしています。
そして地上波でもこういう番組をぜひやってほしいなあ…と思うのは、私だけではないはず…。
以上、お付き合いくださりありがとうございました。
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