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布施さん80年代についての一考察

布施さんの80年代についての考察。それはつまり、オリビアハッセーとの結婚生活についての考察と言って差し障りない、と思います(ただし異論は認めます)。

ご自身が語らない(語りたい内容では、まあないと思う)ので、憶測するしかないところもありますが、どうしても国際結婚をしている自分としては、なぜ世間でこれだけ騒がれたカップルが最終的に別れてしまったのか、どうしても気になる。

ということで、この記事ではその辺りを語っていこうと思います。

なおできるだけ書籍・雑誌・ウェブサイトなどの情報に当たった上で書いていますが、これは違うよ、ここでは別のこと言ってたよ、ということがあればご遠慮なくご指摘ください。(まだ私も若輩者ですので…)

※2021年10月14日 一部加筆修正しました。

馴れ初め

布施明とオリビア・ハッセーの出会いは、1979年に行われたカネボウ化粧品のコマーシャルで、布施さんがキャンペーンソング「君は薔薇より美しい」を歌うことになり、オリビアさんが出演することになったのがきっかけでした。

色々なインタビュー、雑誌記事等の情報を統合すると、布施さんとオリビアさんは福岡、名古屋、大阪、札幌、東京を回ってキャンペーンイベントに出ていらしたようです。(そのイベント詳細がぜひ知りたいので、もしご存知の方はご一報ください。)

ではどちらがどちらにまず惚れたのか、なのですが、これはオリビアさんが布施さんに一目惚れしたようです。

2018年に出版されたオリビアさんの自叙伝"Girl on the Balcony : Olivia Hussey Finds Life after Romeo and Juliet"には、布施さんに一目惚れした瞬間のことが書いてあります。布施さんが舞台で歌い出して、脇で聞いていたオリビアさんはその声に圧倒され、恋に落ちた、という内容です。

いやあんな笑顔で素敵な声、一目惚れしますよね。オリビアさん、本の中の一つの章のタイトルを"Akira"としていて、そこで馴れ初めあたりを語っていらっしゃるのですが、相当好きだったんだなぁというのが垣間見えます。

結婚に至るまで

そのようにしてオリビアさんがまず布施さんに一目惚れをしたわけです。そこにさらに布施さんは、各地を回る際にガードマンにガッチガチに守られて、外出もままならないオリビアさんを、代官山のレストランへパスタを食べにこっそり連れ出すという、さらに惚れてしまう王子様な行動に出ます。惚れ重ねるわ…。

その後キャンペーンも終わり、オリビアさんは一度アメリカへ帰ります。(オリビアさんの自叙伝だと、帰国前に布施さんと一夜をともに過ごしたと言う記述がありますが、真相やいかに…?)

でも、彼女はそのあとお忍びで布施さんに会うために日本に再度来ます。ハリウッド女優が、わざわざ。しかも一ヶ月くらいスケジュールをわざわざ空けてきたそうです。

それで布施さんは「弱ったな」と思った、というのをラジオ番組で言われていました。なのでこの時点では、おそらくオリビアさんから布施さんへの想いが断然強かったと思われます。

その後布施さんもアメリカへ会いに行ったり、なんだかんだ逢瀬を重ねていきます。何回も会うってことは、布施さんもオリビアさんのこと好きではあったんだろうな。

(なお、布施さんがオリビアさんを訪ねて行った時に、オリビアの長男アレクサンダーくん(以下アレックスくん)が体調を崩し、布施さんが看病したようで、そういう親切も布施さんの好感度がアップすることに少なからず影響していると思われます。)

そしてもちろんマスコミはこんな話を放っておくはずもなく、「結婚するの?しないの?」という問い詰め・追っかけが始まるわけです。

さらにこれが日本人同士ならともかく、相手がハリウッド女優だけに海外のマスコミまでも2人が行く先々で質問を浴びせる日々が続きます。

あまりに追っかけがひどいので、疲れちゃったのもあるんでしょうか。とうとう結婚する、という話を1980年の初頭に出します。(ちなみに、カナダで記者に「結婚するの、しないの?」の質問攻めにあっていたときちょうど風邪をひかれていたそうで、気が弱ってて結婚しちゃおうかと思った、みたいなこともインタビューの中でおっしゃっています。)

ちなみに、布施さんとオリビアさんで、結婚すると決めた時期について聞かれた際、言ってることが食い違っている面があり、オリビアさんは「6ヶ月前に結婚を決心した」と言ってる一方、布施さんは「4〜5日前に決めた」と言っていたという記事があります。

これからはオリビアさんは一目惚れしてからというもの想いが非常に強かった一方、布施さんは付き合いつつも結婚に至るかまでは慎重な姿勢だった可能性が高いことが読み取れます。

アレックスくんのことや、国際結婚であることなどから布施さんはかなり迷われたんじゃないかな、と想像しますが、結婚に踏み切った理由には「日本での芸能活動を休みたかった」こと、「ちゃんと音楽を勉強したかった」こと、そして「外国の音楽環境に憧れていたから」ということがあると思われます。

オリビアさんへ好意も持っていて、海外へ行くチャンスでもあり、日本の音楽業界から離れられる機会でもあるから、結婚してもいいんじゃないだろうか。そんなふうな気持ちだったのではないかと私は推察しています。

結婚

そうして1980年に、2人は結婚します。式は二回挙げたそうで、そのうち一回はインド式の結婚式。テレビで中継もされたとか。

そして最初はオリビアさんが日本へ来て生活。でも文化などが合わなかったのか、1年も持たず、結局布施さんがアメリカへ行くことになりました。

1981年頃までは、布施さんはあまり仕事は入れなかったようで、小説を書いたり、それまで仕事に追われてできなかったことを色々やった、というインタビュー記事がありました。このインタビュー記事を読む限りは、夫婦仲は良さそうで、とても微笑ましい。(ちなみに冒頭の写真はその雑誌からのものです。)それまで所属していたナベプロとの契約も、1980年7月末に契約が満了したあと更新せずだったとのこと。デビューから16年ほど一線で走り続けて、やはり休養も必要だったのだと思います。

あと、おそらくアメリカに行って最初の方は、たまたま買った養鶏場の経営が割とうまく行って、それである程度収入を得ていたようです。

その後、布施さんは年末年始を中心に日本でミュージカルだったり、コンサートのために帰国するようになります。一言で言うと、出稼ぎでしょうか。養鶏場運営だけではやっぱり食べていくのは無理だったようです。

その後、2人の間に子供ができます。1983年1月に息子のマクシミリアンくん(以下マックスくん)が誕生。

側から見れば、順風満帆の結婚生活。でも徐々に、オリビアさんと布施さんはすれ違うようになります。

すれ違いの要因は、仕事の拠点が異なったことが主たるものだったようです。オリビアさんの主な仕事はハリウッド映画などへの出演。拠点はアメリカに自ずとなります。

一方、布施さんはアメリカで仕事は難しく、日本での仕事を徐々に入れるようになります。(アメリカのアーティストユニオンに入ることができなかったのが、仕事を得るのが難しかった一つの理由のようで、これには当時の外国人(アジア人)差別も影響していたと考えられます。)

ちなみに1986年のインタビュー記事では、「年に9ヶ月は日本で仕事している」と書かれています。

つまり、家族と会えるのは3ヶ月くらい。これを十分会えているととるか、寂しいととるかが、布施さんとオリビアさんでだいぶ違ったようです。

というのも布施さんは「仕事をしている姿を見せてこそ父親」ということをおっしゃっています。

かたやオリビアさんは自叙伝の中で、布施さんが家を長く空けるようになり、広い家に子どもと自分だけいるという状況の寂しさを記述しています。

離婚の本当の原因は?

ネットで調べると、オリビアさんの不倫が原因、と書いてあるサイトもあります。

でも調べれば調べるほど、お互いがお互いを嫌いになって別れたというよりは、前述の通り、仕事の都合と日本とアメリカという距離が一番の要因だったんだなというのがはっきりしてきます。

互いに表現者(オリビアさんの本では"artists"と言っていた)だから、家に入って相手を支える、という生き方はできなかったんでしょう。

オリビアさんの自叙伝を信じるのであれば、1987年10月頃には2人は別れることに決めた模様です。その時に、布施さんが現金で(一部オリビアさんも出資したようですが)家を買った、と言う記載があります。それはオリビアさんとアレックスくん、マックスくんが住むためのものでした。あと子どもの養育費も、22歳になるまで布施さんが払う、と離婚調停で取り決めたとか。

昨今では離婚しても養育費払わない人がいるといったような話がある中で、こんなにきっちりケジメをつけているということは、ちゃんと愛情と責任感があったからこそなんじゃないかなと思います。

なお、離婚することになって、離婚調停にあたりアメリカの家への行き来がないことを証明しなくてはいけなかったようで、1988年前後に布施さんはイギリスのロンドンにいらっしゃった模様です。ただこの辺りの情報が何も見つけられていないので、情報求む、です。

離婚後

その後はオリビアさんは1991年にデヴィッド・アイズリー(David Glen Eisley)という方と再婚。女優業も続けられていて、2003年には「マザー・テレサ」でテレサ役を演じました。

布施さんは日本へ戻り、音楽活動を本格的に再開し、映画やドラマ、ミュージカルなどにも出演するなど第一線で活躍。プライベートではしばらく独身でしたが2013年に再婚されています。

オリビアさんはInstagramやTwitterのアカウントを持たれていますが、見る限り布施さんとの過去の写真はほぼ出てこないです。今が幸せであることと、別れたのが辛かったからかな、なんて勝手に思ったりしたのでした。

布施さんにとっての80年代の意義

日本でのキャリアも途絶えることになり、巷の記事では、慰謝料がすごかったという話もあり、布施さんにとってこのオリビアさんとの結婚は結果的に散々だったというような書き方を巷ではされているような気が個人的にはしていますが、そんなことはない、というのが私の見解です。

渡米後、しばらくは英語やボイストレーニング、舞台の稽古に勤しんだそうですが、ボイストレーニングを受けるよう勧めたのはオリビアさんだったという話もあり、帰国後のキャリアを続けていくのに必要な礎を築いた時期と捉えられると思います。

特にこの時期に受けたボイストレーニングの結果、「自分の声域がテノールだと思っていたのが実はバリトンだったことが分かった」と仰っており、発声なども見直されたようで、実際ご結婚前と後の音源では声の高さ、発声の仕方の変化が伺えます。

もしもこの時期のトレーニングがなければ、今現在に至るまで長く歌っていくことは難しかったのではないでしょうか。もちろん、どこかでまた気づく機会はあったかもしれませんが。

あと、一度日本の音楽業界から離れたことで、扱う音楽ジャンルの幅が広くなったり、コンサートの編成なども布施さん独特のものが作られていったと思います。(それが1980年代半ばから行われていたドラマティックコンサートに如実に現れています。)

ちなみに、ファンの中でも好みの分かれる「成城婦人-SEIJO LADY-」を作られたのも1985年。私にはいわゆる「歌謡曲」からの脱却を図っているようなサウンド作りを試みているように感じられます。

まとめ

オリビアさんとの結婚で始まった80年代は、仕事の拠点の関係から夫婦としての関係は終わりを迎える結果となったものの、結婚を機にアメリカに渡ったことで、その後の布施さんのキャリアに繋がる稽古・活動を行われたことに、多大な意義がある、と考えます。

つまりこの時期は「ブランク」では決してない、ということ。むしろこの時期があってこそ、今の布施さんがあるのです。

筋に全く関係のない余談

オリビアさんの自叙伝に、1979年にカネボウキャンペーンで日本に来た時に、連れてきた前夫との息子であるアレックスくんが「ポケモン」をテレビで見てたって書いてあるんですが、

1979年当時、ポケモンはまだないはずでは?

うーん、謎です。何かと見間違えたか、勘違いか。勘違いとしたら、何と勘違いしたんだろう。ものすごく、気になる。

…と書いたところ、フォロワーの方から「これは『ドラえもん』なのでは?」というご意見をいただきました。本の中で、「当時の新しいアニメ」という記載があり、ちょうどドラえもんのテレビ放送が始まったのが1979年4月だったようなので、この説が有力そうです。ちょっとスッキリしました。


参照した文献等

<書籍>

"Girl on the Balcony : Olivia Hussey Finds Life after Romeo and Juliet" (Blackstone Pub; Unabridged版、2018年)


「阿川佐和子の会えばドキドキ この人に会いたい 7」(文藝春秋、2009年)

<雑誌>

週刊平凡 1980年9月25日号

MORE 1981年12月号(集英社)

週刊平凡 昭和61年6月6日号

週刊女性 昭和63年6月21日号

FOCUS 1988年6月2日号     他


<webサイト>

※他にもDVD・ブルーレイのインタビュー等から聞いた内容を記憶からまとめて書いていますので、もし誤りなどお気づきのことがあればぜひコメントなどでお寄せください。




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