男性と女性の知能と脳の性差について
前回のnoteで「ネット民の主張する"IQ85以下は境界知能"という妄言を適用した場合、最新のIQ研究の結果では女性の40%以上が境界知能に分類されること」及び「IQスコアで知能云々言うのが如何に下らないか?」について説明したが、その補遺と男女の脳の性差において何処まで説明してもbanされないか?の実験として、この記事を書く事とする。
現在性別は社会的概念であり男性と女性の脳には生物学的・遺伝的な違いがない事になっている。例えば日本最高学府である東京大学の認知神経科学者である四本裕子教授…名実共に日本トップの脳に関係する学者…は2024年のインタビューで脳の性差についてこう語った。
「男性脳・女性脳」の概念は、性別による脳の違いについて言及したものですが、そもそも「性」とは非常に多元的な概念です。社会的・文化的に定義される「性」(ジェンダー)が多様であるように、生物学的に定義される「性」(セックス)も複雑です。生物学的に定義される「性」には、遺伝的な染色体で決まる「性」、精巣や卵巣で決まるホルモンの分泌と関係する「性」、セクシュアル・フェノタイプと呼ばれる表現型の「性」などがあり、人によってはそれらが必ずしも全て一致するとは限りません。一方で、男性・女性というカテゴリーを完全に無視して考えることもできません。
誤解のないように言うと、男性500人の脳と女性500人の脳を測定してグループ間で比較すると、色々なところに差が出てきます。しかし、その差は、「男性脳・女性脳」が想定する「性別による違い」とは異なるものです。一般的に「男性脳・女性脳」という表現で伝えられている言説の背景には、「男性と女性は脳が違うから、得意なことや苦手なことが違う。お互いの違いを認め合い、分業して社会を回していくべきである。」という思い込みがありますが、この言説に科学的根拠はありません。多次元の解析を行うと、男性500人全員の脳・女性500人全員の脳に特定の性質があるというわけではなく、“モザイク的”な個人差がみられることが分かります。
例えば、自分という個人に、職業や出身地といったアイデンティティとなる軸がいくつあるか考えてみてください。ジェンダーやセックス以外にもあらゆる軸があることに気づくでしょう。脳は機能や形で百以上に分割することができるので、それぞれの脳の部位だけで考えても百以上の軸を持っていることになります。計算理論的には、いくつもの軸を取り入れた多次元な脳の解析が可能です。脳科学は、“モザイク的”に見える個人差の解像度を上げて、多次元のものとして理解しようとしています。そこからは、性別によって得意・不得意が決まるというような単純な結論は出てきません。
雑に言えば彼女の主張は「男性と女性の脳に関して比較すれば傾向として何らかの差が出るかもしれない。しかしそれは社会的に構築された可能性もあり、また個人差も大きい為、脳に関して男性だから~女性だから~と安易に言うことは難しい」という事になるだろう。脳に性差がある事をボカし否定は避けながら、ある種の女性や騎士の神経を逆撫でしてキャンセルされない為の完璧な言い回しだ。
しかしながら現在はこのような言い回しで誤魔化すのが難しいほど、男女の脳の性差についての研究は進みつつある。例えば2018年に科学誌「Cerebral Cortex」に5000人以上の参加者…男性2466人、女性2750…の脳を分析した興味深い論文が掲載された。この研究は人間の脳の構造的および機能的性差に関する単1サンプル研究としては史上最大である。性別は社会的概念であり男女の脳に違いはないと考える人たちにとって、この論文は残酷な現実を突きつけた。何故なら男女の脳は機能云々以前にまず大きさが違ったのである。研究チームは男性の脳は1般的に容積と表面積が大きいのに対し、女性の脳は平均して皮質が厚いことを発見し「差はめっちゃ大きいぞ。脳の総容積とか場合によっては標準偏差以上だぞ(The differences were substantial: in some cases, such as total brain volume, more than a standard deviation)」と結論した。
https://academic.oup.com/cercor/article/28/8/2959/4996558?login=false
これ自体は新しい発見ではない。男性の脳の総容積は平均して体格差を考慮しても男性の方が大きく、1般的に女性より大きいことは以前から知られていた…が、これまでの研究はいずれもサンプル数がはるかに少なく「言うても性差より個人差じゃないの?」と言い逃れ出来るレベルだったのである。しかし5000人のサンプルサイズとなるとそうはいかない。そのうえで皆様が知りたいの「で脳の容積の違いは知的能力とかに影響与えるの?」だろう。結論から言えば答えはYESだ。
例えば上記の研究においてもサンプルの男性はサンプルの女性より平均して言語や数値の推論テストで高いスコアを記録し、また別の記録では早い処理速度を記録している。そして研究者は統計分析を行った後、言語・数値推論における性差はほぼ完全に脳の容積と表面積の違いで説明出来ると結論づけたのだ、また処理速度に関しても部分的にではあるが、脳の容積と表面積の測定値である程度説明出来ると結論した。
(余談だが言語能力に関しては女性の方が優れると思っていたので、この結果には驚いてる)
IQスコアに関するアレコレは1旦置いといて、脳の総容積とIQの間には確立された関係がある。これは男女混合148人のサンプルを対象に人々の脳の磁気共鳴画像と認知テストのスコアを比較した88の研究を分析した2015年のメタアナリシスによって確かめられた。脳の容積と認知能力の関係は子供と大人において正であり、さまざまなIQ領域(動作性や言語性やその両方)に渡って適用され、男性と女性の両方に当てはまることを発見したのだ。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S014976341500250X?ref=quillette.com
因みに研究分析によれば脳の総容積の違いはIQの分散(違いを説明する為の因子としてどの重要か)の約16%を占めるそうである。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S1053811904002332?ref=quillette.com
とここまで読んで「ん?研究では女性の脳は平均して男性の脳よりも皮質が厚いことも発見されてなかったっけ?」と疑問に思った方もいるだろう。しかしながら脳皮質と知能の関係は(2025年2月において)全容積と知能の関係ほど確実ではない。例えば2009年に行われた216人の子供調査では皮質の厚さと1般的な認知能力の間に正の相関関係がある事が示唆された…が2015年に504人の調査では子供において負の相関関係(皮質が薄いほど認知能力がある)が確認された。
2009年の研究
2015年の研究
このような事実は何故物議を醸すのか?というと、それは日本…というより先進国全般が「女性の方がノーベル賞受賞者が少なかったりその他研究分野であまり功績を残せないのは、性差別のせいなんだ!だから女性が男性と同等に功績を残せるようエンパワメントしなきゃいけないんだ!結果の平等なんだ!」というロジックで女性の教育なり起業なり研究なりを支援しているからだ。実際我が国の最高学府である東京大学もそのように主張している。
「女の子なんだから、地元の大学でいいでしょ」といった何気ない発言や、「男社会だけど大丈夫?」など、ときには思いやりに聞こえるような言葉にもジェンダーバイアスは潜んでいます。東京大学は、女性の意欲を削ぎ、未来の可能性にまで影響を与える恐れのあるこうした言葉を「#言葉の逆風」と名づけ可視化することで、ジェンダーバイアスの是正に取り組んでいきます。
雑に言えば「女性に対して直接的な差別とかはないかもだけど何気ない1言が女性の意欲を削ぐんだ!東京大学に女性が少ないのはそれが原因なんだ!」ということらしい。実はこのような主張はフェミニズムにおいては「科学はミソジニー」理論で少なくとも50年間以上ずっと繰り返されており、そもそも脳に限らず性差を研究すること自体がミソジニーであり、またその研究結果も女性を支配し抑圧する為の家父長制の陰謀に過ぎないと主張している。
例えば「科学の女性差別とたたかう」というタイトルが内容を説明する本では、認知能力に関して男性が女性を上回っている理由は「頭の良い女子は冷たい目で見られるけど頭の良い男子はチヤホヤされるんだ!だから女子はやる気が出ない1方で男子はやる気を出す!全ては社会的或いは後天的に作られた差なのに、科学は遺伝だの性差だのでそれが当然だと我々を騙す!これが家父長制のやり方なんだ!」と主張している。
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— 週刊FLASH編集部 (@weeklyflash) July 3, 2024
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(チヤホヤされる男子東大生と叩かれ抑圧される女子東大生の1例?)
しかし現実は真逆であることが示唆されている。例えば教育の分野では女性教師は女子を厚遇し男子を冷遇するという方法で、男子の意欲を挫くことが明らかになっている。更に直接的な証拠としては男子は7歳になると、それまでそうでなかったにも関わらず「男性は女性より愚かである/女性は男性より賢い」と思うようになることだ。
ケント大学の児童と学校のジェンダーバイアス研究で、4歳から10歳までの238人の生徒に「この子は本当に賢い」「この子はいつも仕事を終える」等の発言を提示し、その言葉を男の子や女の子の写真と関連付けるように依頼した。すると女子は全ての年齢でポジティブな言葉と女子を結び付けた…平たく言えば女子は女子の方が男子より賢くお利口だと認知している事が示唆された。1方男子は4歳から7歳までは均等に男女にポジティブな言葉を結び付けていたが、7歳か8歳になる頃には女子と同様にポジティブな言葉を女子に結び付けるようになっていた。
詳しく調べると子供達は大人も自分と同じ意見を持っていると信じており、要するに男子は親や教師から女子と同じように期待されていないと感じてモチベーションや自信を失っていることが判明した。
また認知能力の差は全て社会的に/後天的に作られるという研究は双子研究によって否定される。1卵性双生児は遺伝的には同1の存在であるが、認知能力は後天的に作られるなら例えば養子等で別の環境に行った子は残った子と全然違う認知能力を有するようになるはずである。しかし調査では1貫してそのような例を見つける事が出来ず、全く別の環境で育った双子でも似たような人間に育つことが確認された。IQに限って言っても研究では思春期に約50%が遺伝し、成人期には80%に上昇することが明らかになっている。
更に言えば先進国においても脳の性差は女性の方が有利・或いは福祉を必要とする文脈では普通に認められている。例えばアルツハイマー病は現在女性の方が男性より長生きするという事を踏まえても、女性に多く偏っており尚且つその原因が女性ホルモン(の不調)である事が判明したので、「困ってる女性を助けなければ!政治的正しさより患者のQOLだ!」ということで脳の性差や男女ホルモンの違いについて堂々と議論出来るようになった。例の東京大学でも普通に研究されている。
こういった性差を否定する方々は典型的な「自然主義的誤謬」に陥ってると言えるだろう。自然主義的誤謬とは、倫理学の用語で、「~は事実である」という記述(命題)から「~は(道徳的に)善い、あるいは~は(道徳的に)なされるべきである」という規範的な記述(命題)を導き出すことを指す。例えばるろうに剣心の志々雄真実の「所詮この世は弱肉強食。強ければ生き弱ければ死ぬ。だからそれを日本中に徹底するべきだ!」は、典型的な「この世は弱肉強食」という事実から「日本中に徹底すべきだ」という論理の飛躍を行う自然主義的誤謬だ。事実はあくまで事実であり判断の根拠の1つにはなるが、そこから「~べき」という道徳的な判断を直接導き出すことは出来ないのだ。同様に女性が男性より認知能力が劣っている或いは勝っている事実1つから「~べきだ」という結論を出すことは出来ない。
更なる事実の断り書きとして、ある属性が特定の傾向を有しているというのは「その属性を持つ全ての人間が同様の傾向を持つ」事は意味しない。従って女性がこうした傾向を有する事を理由に雇用ないし教育ないし趣味ないしで、男性と違う扱いすることは差別であり不合理だ。ある女性が傾向を有していようといまいと、日本国憲法の下に男女は平等な権利を有しているのだから
…と締めたいところではあるが、これが男性の話になると「男性は性犯罪者が多いんだ!だから女性専用車両を作るのは当然なんだ!」「男性は危険な仕事につきやすいんだ!だから労災死するのは自業自得なんだ!」「原始時代では番を得られない男性が多かった!だから現代でも番を得られない男性が発生するのは仕方ないんだ!」等と無限に「属性を理由とした差別的扱い」と「自然主義的誤謬」が肯定される非対称性を強調しておく。