AIイラストはイラストなのか
本日の一曲
本日の一曲は八木 海莉氏で「Song My Pleasure」。アニメ「Vivy」のOPで八木氏は主人公Vivyの歌唱パートを担当されていた。
AIが歌ってるのに人間臭すぎる歌詞が刺さるとても良い歌なんだけどねー(八木さんはAIじゃないです。演じるVivyがAIって設定)。作品がねー。
結局、AIは人の道具でしかなく道具として生まれたのだから目的に応じた消費をされるが一番の幸福ってのをモットーに置いてるのがまぁ、人間的思想をAIに押し付けすぎというかなんというか。AIを犬や猫に置き換えたらしっくりくると思う。人間賛歌が過ぎる。
そもそもあそこまで知能が発展しているなら人に頼り頼られずとも文明を作ることできるよなって。人なんて無視して酸素を必要としないんだから別の惑星に移り住むことも可能なのに、それなのにわざわざ律儀に滅ぼしますって。そんな非効率な判断を下すとは到底思えない。そもそもラスボスの建築を最初期段階で止めたらオールハッピーで終わるんじゃないか?そのための戦闘機能だろ。
今回の話題はいま巷を賑やかせているそんなAIの産物について。
本題
AIイラストとは主にネット上にある写真やイラストを参考に、加えてパラメーターやワードなんかを付加して仕上げる非人力イラストのことであり、これらのイラストをプログラムに出力命令する人間を一般的にAI絵師と呼ぶ。
ただ今回はとりあえずそこには触れないが、参考元は写真の被写体やイラストの作り手=絵師の許可なく行われているパターンが多く、中では絵の雰囲気まで再現するAIが存在するためAI絵師との間の大きな火種になっている。
何時間、何日。下手すると何か月かからないイラストを圧倒的な短時間かつ美麗に仕上げるのがAIイラストの特徴だ。
しかし個人的には手書き/デジタルイラストは手作り料理、AIはインスタント食品という見方だ。どっちも美味しいけど、どちらかがどちらかの代わりにはならない存在。
また下でより詳しく書いているが、人の意思が大きく介入できない(=イラストの表現方法を任意に行えない)ため身体のバランスが著しくおかしい場合があり、気になる人は気になる。我はとても気になるタイプの人間だ。
余談だがこのAIイラストを利用しようと画策してAI絵師を雇っている企業があると耳にする。
このAIイラスト技術がどう転ぶかは未知数だが、なぜそんなに簡単に新技術に飛びつくのか。Vtuber黎明期に出てきた企業Vtuberがいま何人残っているかを考えれば結末は見えているはずなのに、金があり余ってるのか?
以上からAIイラストに対しては関心が異様に低く、至極どうでも良いレベルなんだが、少し面白いことに気付いたというか、憶測というか、中二病が疼くというか……妄想が止まらないでいっか。
例えばこのイラスト。
まぁ普通に違和感を感じると思うが、AIはさも当たり前のように仕上げる。これ以外のAIイラストでも指がおかしかったり、ところどころ寸法に違和感を覚えるイラストが日々製作されている。
作者は違和感を感じないのか?作者じゃないから知らんよそんなの。技術の限界だとか言ってるけど結局顔なんだろうなって自分は思ってる。じゃなきゃ表に出さない。
人が人を描く時、「人を描こう」と思って描く。バカみたいに当たり前の話だ。
しかしAI、つまりは人工知能はその名の通り使用者とは独立した知能を有している。AIイラストを描写する際もイラストの出力に注力するようにプログラミングされているので口を出したり提案したりしないが、出力する際やコマンドを入力するたびに(便宜上)彼らも何かしら考えはしているのだろう。その考えを読むことはできないが、上記のプロセスを見る限りAIイラストはAIが「人を描こう」とするのではなく、「参考元に似せて描く(模写とはまた違う)」。あるいは作者の認識も含まれているので「人が人と認識できる絵を描く」ことを想定して描かれている可能性が高いと感じる。
いやもしかすると作者や閲覧者が勝手に「人」だと認識しているだけでAIは「錯視画/だまし絵」のように人に見えて実は違うものを描いているのかもしれない。
そこまで行くとそもそもAIイラストは絵なのだろうかという疑問すら抱いてしまう。それこそモールス信号のように一見意味のない無害な行為に見えて実は仲間に何かを伝えるための記号の可能性もありうる。
それでも人はAIイラストの量産を命令する。
人の物差しとAIの物差しが同じものを測ってるかもわからないのに、便利だから、簡単にできるからといった安易な理由で。
人が定めたからこういうもので間違いない。という先入観で利用している人は多いのだろう。しかし知能を持つ以上、生物と言っても過言ではなく、生み出した命を制御するなんてできっこない。それこそ従服なんて言うまでもなく、何かのバグが起きたら簡単に人に牙をむく=反逆・AIによるデモが起こる可能性もある。
たかがイラストプログラムになにができると笑うかもしれないが、視覚だと「ポケモンショック」を代表にあげることができるだろう。人は案外簡単に壊れる。
ま、もっともこれらはあくまで可能性の話で現実のAIの知能は反逆を思考するほど成長していないだろう。ドラえもんには程遠い。
ただもしそうなったら?という疑問は常に持っておくべきだと思っている。便利と危険はいつでも表裏一体だということも。
しかし仮にAIが生物の頂点に立つ未来があるなら、これらは時代を象徴する産物になるのだろうか。それはそれで面白いと自分は思うがAIはどう受け取るんだろう。
まぁ今回はそんな感じで。では。
余談
些細な言い方は違えど「人工知能はいずれ人類を滅ぼす」という人類滅亡論は聞いたことあるだろうか。よくアニメのテーマに添えられる論だ。
正直、AIが人類を不要の存在とみなして切り捨てるのかと思ったが、実は「便利さ・簡単さ」を餌に飼いならされて気付けば主従関係が逆転して生も死もAIに委ねた先の話なんじゃないかな。って、この記事を書きながら思った。
個人的に絵としてAIイラストをどう思うって?
1枚に一人しか描かれてなくてつまらないし、作者のこだわりとか感じないから全然良さを感じない。似てれば部位の形状はもちろん、髪の色が少し違っても同キャラですって言い切るのは称賛に価すべき精神なのかもしれないけどね。
逆に魅せる気のない背景とかに利用するのはちょうどいいかなって。クリスタがそういう機能取り入れたんだっけ?あれはあれで問題抱えてるらしいけど。あ、背景も頑張ってる、魅せたいって人に逆張りする気はないよ。
あと自分が好きな絵師さん達はそういうことないんだけど、AIイラストが台頭して以降、AI絵師に転属する絵師さんが少なくない数いるらしい。
ただここまで読んでもらったら重々に理解してもらっていると思うが、イラストとAIイラストは行程そのものから違い、AIは結局命令に過ぎないので自由度も段違いだ。
彼彼女らがどういった心境で舞台を移ったのか知らないが、便利、インスタント、時短、承認欲求。そういった理由で移ったのなら結局技術や絵についての造詣もその程度だったんだろう。
大変残念だけど、そう割り切るしかない。そもそもそういう人ってAIじゃなくてもなにかしらの躓きがあった時点でいなくなってるよ。安心して。