【フレディ命日に捧ぐ】名曲『ボヘミアン・ラプソディ』を”歌声”から考察する~前編~
11月24日はクイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの命日。
言わずと知れた名曲『ボヘミアン・ラプソディ』は、その謎めいた歌詞が人々の関心を集めてきた。
ブライアンは「フレディはとても複雑な人物だった。表向きは軽薄で面白いけれど、幼少期に彼の人生を決定づけた不安や問題をひた隠しにしていた。彼が歌詞について説明することはなかったが、あの曲に自分自身の多くを投影していたと思う。」と語っている。(『様々な既成概念を打ち壊したクイーンの「Bohemian Rhapsody」:歴史的名曲の背景と制作秘話』より)
そこで、私はただ歌詞を深読みするのではなく”歌声”を中心に分析し、彼が『ボヘミアン・ラプソディ』で何を表現したかを考察したい。
「ボヘミアン」の真意
この作品を分析するにあたって、フレディが名付けた『ボヘミアン・ラプソディ』というタイトルが重要なヒントになり得る。まずはこの曲名の意味を考察する。
「ボヘミアン」は「ボヘミア人の」だけでなく「放浪的な」「自由奔放な」という意味をも持つ。
さらに、Velescu(2019)によると「ボヘミアン」は、15世紀頃にボヘミアを経由してたどり着いたロマの通称でもあり、衛生観念や貞操観念が低いとして軽蔑する意味を含んでいた。また19世紀に、フランスの芸術家が貧しい地区で彼らとともに生活するようになったことから「非伝統的な生活を送る芸術家」を指すことも多い。
この「ボヘミアン」という語から、やはりフレディはこの曲に自分自身を投影していたと考えられる。
フレディ・マーキュリー、本名ファルーク・バルサラは、1946年9月5日に東アフリカのザンジバル島で、インド出身のゾロアスター教徒の家庭に生まれた。幼少期の大半をインドで過ごしたが、17歳で英国のミドルセックスに移り、イーリング・アート・カレッジでグラフィックデザインコースを学んだ。世界各地を転々としたフレディの人生は「放浪」と表現して差し支えないし、音楽にデザインと幅広い才能を発揮した彼は、間違いなく「芸術家」である。
さらに、彼自身が「セックスのために生きてきた。全く見境なく関係を持っていた。」と後に話していることから(『クイーンとして生き抜いた、フレディ・マーキュリーという悲劇的なラプソディ』より)、この語の軽蔑的な意味を認識したうえで、自虐として意図的に選んだとも考えられる。
以上より、フレディにとって『ボヘミアン・ラプソディ』は「フレディのラプソディ」であったということを前提とする。
「ラプソディ」の構成
「ラプソディ」とは「狂詩曲」すなわち「自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲」である。
Braae(2015)によると『ボヘミアン・ラプソディ』はイントロ(0’00”)、バラード(0’31”)、オペラ(3’03”)、ロック(4’08”)、アウトロ(4’55”)という5つのセクションからなり、各セクションにテーマがあると分析した。ロックからオペラまで、様々なジャンルの音楽が交錯するこの作品は、まさに「ラプソディ」である。
ここからはセクションごとに分析を行う。
1. イントロ(0’00”)
このセクションの大半はメンバーによる合唱であるが、それだけにフレディの独唱の部分が際立って聴こえる。それが「I’m just a poor boy, I need no sympathy」「Any way the wind blows」「To me」の3か所である。
Risqullah(2019)によると、このセクションの歌詞には様々な修辞法が用いられている。
第一に誇張である。問いかけることができる時点で明らかに生きているのに「Is this the real life? Is this just fantasy?」と問うている。また、実際には自分に現実から逃れる手段がないだけなのに「No escape from reality」と一般化している。
第二に逆説である。「a poor boy」という、普通であれば助けを必要としている存在でありながら「I need no sympathy」と告げることで、助かろうとすらしていないことを暗に伝えている。これらの修辞法によって、主人公の絶望が強調されている。
メンバーによる合唱の部分は、夢か現かわからないような雰囲気を醸し出している。このことが、主人公が地に足のつかない不安な状態であることを想像させている。
一方で、「I’m just a poor boy, I need no sympathy」が最も力強く歌われていることは、この歌詞が表現する絶望を際立たせている。
そして、こちらも力が込められている「Any way the wind blows」はこの曲の最後の歌詞でもある。「どうせ自分の状況は変わらない」という絶望がこの曲を貫いているのである。
さらに、最後の「To me」と歌う部分で瞬間的にピアノもコーラスもミュートになり、フレディの声だけが聴こえる。これによって、聴者はフレディがこの歌の主人公であるように感じる。それゆえ、やはりフレディもこの作品を「フレディのラプソディ」として聴かせようとしていると考えて良いであろう。
以上より、このセクションは、主人公フレディの絶望を表現していると思われる。
2. バラード(0’31”)
このセクションの大半はフレディの独唱である。ピアノとボーカルだけで静かに始まるが「But now I’ve gone to thrown it all away」という歌詞でドラムが加わり、それに続く歌詞は力強く歌い上げられる。その後、ボーカルは静かになるが、セクションの最後で再び盛り上がりを見せ、余韻を残しながらギターソロに移行する。
このセクションは「I don’t want to die I sometimes wish I’d never been born at all」という歌詞でボーカルの感情が最高潮に達したまま、ギターソロに移行する。これによって「いっそのこと生まれてこなきゃよかった」という絶望的な歌詞がいっそう印象づけられている。
またRisqullah(2019)は「face the truth」という婉曲的な表現が、主人公の直面する相手が恐ろしいものであることを想像させると分析している。これらは、イントロのセクションと同様、主人公の絶望を伝えている。
さらに、フレディが二度「Mama ooh」と叫ぶように歌う部分が印象的である。この部分は、フレディが母親に対して、何らかの強い思いを抱いていることを感じさせる。それがどのような思いであるか考察する。
まず、主人公は「just killed a man」と告白する。これによって「Didn't mean to make you cry」という歌詞からわかるように、母親を意図せずに悲しませてしまう。そして「If I’m not back again this time tomorrow Carry on, carry on」と頼むのである。「my time has come」「I've got to go」「Gotta leave you all behind and face the truth」「I don't wanna die」などという歌詞から、主人公は死を覚悟していると考えられる。
Risqullah(2019)によると「Carry on, carry on」と同じ言葉を繰り返すことで、自分が死んでも「今のままで生きていって」というメッセージを強調している。ここから、母親には悲しまないでほしいという愛情が読み取れる。
では、フレディは誰を殺して、なぜ自分も死ななければならないのか。この点が『ボヘミアン・ラプソディ』の最大の謎であり、本人が語っていないため真相は不明である。
有力とされるのが、この歌は「フレディが、異性愛者として生きてきた自分を殺し、同性愛者として生きるという茨の道を決意する歌」つまり「カミングアウト」であるという解釈である。
実際に、フレディには1980年代にジム・ハットンという男性のパートナーがいたと知られている。また、同時期にグラムロックの飾り立てた外見から、髪をオールバックにして口髭を蓄え、レザーやスポーツウェアを着るという、同性愛者を象徴するような外見に変わったことで、人々も彼が同性愛者であることを悟った。
しかし、同性愛者への風当たりは強く、ファンがカミソリの刃をステージに投げ入れたこともあった。さらに、彼の両親が信仰していたゾロアスター教は同性愛を認めていない。そのため、彼のカミングアウトは両親を悲しませると考えられる。だからこそ「今のままで生きていって」と強調したのであろう。以上より、たしかにこの解釈は難解なバラードのセクションの歌詞を説明することができる。
しかし、私はこの歌を「フレディが本当の自分、すなわち『ファルーク・バルサラ』を殺し、スター『フレディ・マーキュリー』を演じて生きていくことを宣言する歌」と捉える。
前述したように、フレディはインドにルーツを持つ移民である。しかし、彼がそのルーツについて語ることは少なかった。これは移民としての自分と、スターとしての自分が矛盾すると考えたためではなかろうか。自分のルーツを否定することは、当然、両親を悲しませる。それでも、スターとして生きていくには、矛盾した二つの自己という「真実と向いあ」い、本当の自分を「殺す」必要があったのである。本当の自分を殺すことは自殺に等しい。それゆえ、主人公は死を覚悟した。このような解釈が成り立つであろう。
そして、この解釈によって、次のセクションの歌詞をも説明することができる。
後編につづく
参考文献
Braae, N. (2015). Sonic Patterns and Compositional Strategies in Queen's ‘Bohemian Rhapsody’. Twentieth-Century Music, 12(2), 173-196.
Risqullah, Z. (2019). Depression in Freddie Mercury’s Song Lyrics: “Bohemian Rhapsody”, “Somebody to Love” and “Love of My Life”. Dinamika: Jurnal Sastra dan Budaya, 6(2).
Velescu, I. (2019). Classical influences in Freddie Mercury's music. Învăţământ, Cercetare, Creaţie, (1), 307-315
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