母との別れは夢と現実の狭間に取り残されたような不思議な感覚!!
今回は、神様これ以上、、、の記事の続きとなりますが、今の感覚を忘れないために書いておきたいと思います。
私には二人の娘と四人の孫がいますので、母が全てと言うわけではありませんでしたが、母はかけがえのない存在であり、迷わずに生きていく為の道しるべでもありました。
いくつになっても母の言葉は絶対で、その安心感は多大なるものでした。
ここからは前回の続きになります。
「僅かな光が見え回復の可能性がある」と診断されたのは2週間程前でした。毎日面会に通っていた妹と私は、母の顔が見れなくなる寂しさもありましたが、治療ができるということで浮足立っていました。
それぞれの生活に戻り、私も仕事を頑張ろうと謎のやる気を出していたんです。
そんなある日、「〇〇さん!ご家族から電話ですよ!」
血の気が引く思いで受話器を握ると、母が危篤状態だから早く来てほしいというもの。
あまりにも突然でしたがギリギリ間に合い、最後に話をすることができました。こんなに早く息を引き取るなんて、、「心配しなくていいよ!悲しまなくていいよ!十分に生きたから!順番だからね!みんなにも伝えて!」
母の最後の言葉でした。
泣きながら母を呼ぶ妹の声が、遠くに聞こえる。息をしていない母を見ても涙が出ない、、、「お疲れ様、、よく頑張ったね、、もう苦しくないね、、もう我慢しなくていいよ、、」そんな言葉が頭をよぎった。
最後まで残される者を気遣い逝ってしまった、、母。
その夜は(一度余命宣告を受けたときに一通りの準備ができていたせいか)母との別れの時間をゆっくりと過ごせた。
お通夜、お葬式、住んでいた家の撤去や手続きも段取りよく進んで、あっという間に終わった。
母のことをやってる感じはなく、仕事のように黙々と片付ける感覚。
あれから10日が過ぎたが、あの忙しい出来事は夢だったのではないかと思う。
母がいなくなったなんて現実的ではない。
一部始終を見てきたのだから現実だとわかっていても、母の死を受け入れることが難しい。
心にポッカリ穴が空いたようだと表現する人もいるが、私の場合は体の一部が無くなった感覚である。
母との思い出の蓋を開ける勇気が出ないのは、きっと後悔しかないからだろう。少し位疲れていても、もっと会いに行ってあげればよかった。
蓋を開けてしまうと心が壊れそうだから、母の死と向き合えないでいるのだろうと思う。
今は夢と現実の狭間に取り残されたような不思議な感覚しかない。
時が過ぎて傷が癒える時が来たら、思い出の蓋を開けてみようと思う。
その時はたくさん泣いてもいいよね。
お母さん、、。
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