何をしていたのかと訊かれても困る
数年前に『アニマルメディスンブック』という本を出させて頂いたとき じじい師匠との暮らしをマンガにしたいというお話を頂いたことがありました。どんなことをしていたのか?と よく訊ねられたのですけど普通すぎて答えに困りました。特別なことや神秘的なこと 神がかり的なことは無かったし みんなが映画やアニメで想像するような 大昔のインディアンとは違いますし。
日々 淡々と薪割りをするとか 飼っているヤギの乳しぼりをするとか。そんなことの繰り返しから じじい師匠との同居は始まりました。朝から毎日 ひらすら薪割りなんて珍しいことでもありませんし。ヤギの乳しぼりや寝藁の掃除も同じくです。
ただ これに意味が無く ただ私を下働きに置いたわけではありません。
薪をひとつ割る。
最初 適当にこなすこともできるし ヘタクソに割れたとしても火にくべれば同じじゃん って思う自分がいました。そのうち 自分の手で割ったら元の形には戻せないことに気づきます。私が手を加えたことで形を変えてしまったわけなので。火にくべてしまうとしても この薪のおかげで煮炊きしたり暖を取ることができる。ここに至るまで けっこう長かった気がします。感謝するとか 自分が手をかけるものへの愛情みたいなものですかね。なので だんだんひとつひとつ 丁寧に気持ちを入れて割るように変化していきました。
ヤギのお世話も同じでした。相手は薪ではなくて動物なので こちらの感情には敏感です。嫌々 乳しぼりをされたらヤギだって気分は良くない。寝藁も丁寧にやらなければ 居心地は良くならない。美味しい乳だって出ない。
ものすごい当たり前なことすら 当時の私は気づかないし 見ていなかったわけです。そりゃあ 気づくまでやらせないとダメだこりゃ…という当時の師匠の気持ちも今なら理解できますねw
森に独りで行かされたり なにか通過儀礼的なことを 時々やるのは こういった下地が作られた後のことでした。それも 神秘的でもなければ特に神聖視した感覚とは程遠くて 自分がこの世界の一部 一員であること。人間は自然の中で どの程度の存在かを身を以って知ってきてね というようなことでした。
たまたま私にはトーテムと呼ばれる精霊を感知することができたので その精霊たちとのコミュニケーションを取ることが課題になることもあったのは事実です。でも これはふつうに みんなが持っている感覚なのかとも思います。自分が何を 何処を見るかによって 受け取れたり受け取れなかったりするだけのもので 忘れちゃっているだけの感覚なのではないかとも思ったりします。
とりあえず何が分かったのかだけ 結論として書いてしまうと 人間は自然界では最下層である ということです。銃や罠を持たなければ 自分たちの生活の糧になってくれる獲物すら獲ることはできないし 自分よりも強い生き物から身を守ることもままならない。時には植物や虫の毒ですら命を落とすこともある。ものすごく弱い生き物なのに かなりイキッてるのが人間なんだね ということでした。
続きはまた今度書きますね。