アニマルメディスンと昔ばなし
インディアンには学校というものがありませんでした。彼らは文字を持たない口承文化でした。なのでストーリーテラーという役割を持つ者が 物語を通して 様々なことを教えていきます。今ではティーチングストーリーと呼ばれたりもしますね。この前 投稿した子ぐまときつねの話しも そういったお話のひとつです。
こういった物語に登場するのは動物だけではなく 時には火山のお爺ちゃんや たくさんの育てる川のお祖母ちゃん。かわいく微笑みかける野草の女の子など 自然に宿るトーテムと呼ばれる精霊たちも登場します。その中でも身近で親しみやすく 生態や行動を自分たち人間に重ねて学べる相手として動物たち その精霊であるトーテムを題材にしたお話が多いのです。
なぜ メディスン メディシン という薬と呼ばれるのかですが これは人のこころの痛みを取り除くもの 邪なものを取り除くもの からきています。分からないから苦しい でも なぜ自分が苦しいのかを知れば 苦痛を知恵に換えることができる というわけです。そういった理由でアニマルメディスンというものが存在しています。けしてスピリチュアルなもの シャーマニズムだけに傾倒したものではないのでした。現代のスピリチュアルブームの中では インディアンに対しての過度な神聖視や シャーマニズムのイメージだけがクローズアップされてしまうのが残念です。
この世界に存在しているいのちに無駄なものはないと 私の師匠はよく話していました。それは私が苦手なムカデも同じで 私とムカデは友だちにはなれないだろうけれど ムカデにはムカデの友だちがいるし 彼らの住んでいる世界の中では必要な存在で もっと大きな目で見て行けば それは私の暮らしとも けして無関係ではなくつながっている。気持ち悪いとか 醜いとかは人間の価値観でしかないし 毒を持っているから悪い物ではなく 彼らも生きるために必要な物として 毒という身を守る術を持っている。この師匠の話しは棲み分けることが お互いを尊重すること と教えていたのです。
アニマルメディスンのお話には虫たちも爬虫類も鳥も登場します。お互いを尊重しながら生きて行くことが だいたいお話のテーマになりますが 肉食獣と草食獣が お互いを尊重するなんてあり得ないと思われるかもしれませんね。でも 肉食獣は無駄に狩りをしません。もちろん生物学的な理由とトーテミズムの観点はちがいますが 無駄に草食獣を殺し続ければ いずれは自分たちが滅びることを知っているからと インディアンは考えたようです。
クーガーのお母さんが自分の子どもに食べさせるためには ウサギの子どもの命をもらわなければならない。クーガーも母であり ウサギも母である。クーガーはウサギのお母さんに敬意をはらって ウサギのお母さんから子どもの命を分けてもらう。本気なら皆殺しにされてもおかしくない 弱いウサギにも無駄な殺戮をしないクーガーに 敬意を持って自分の子どもの一羽を与える。
こういったリアルな生死 命のやり取りから学ぶのもアニマルメディスンです。けして おとぎ話や夢物語ではないんですよ。なので おとなになっても繰り返し 同じお話を聴かされたりもします。自分自身が成長していくプロセスによって 物語の解釈や感じ取ること 考えることが変わるからなのでした。
アニマルメディスンの世界は 自分自身のビジョンの世界です。なので こんなくだらない話に耳を貸す時間なんてない という方には向きません。耳で聴いて自分の中に世界を映し出す作業がなければ 聞き流して終わってしまいます。なので 例えばクマときつねの話しをしても 聴いた人それぞれのクマときつねがいる みんな姿かたちも声も違って当たり前な世界です。この自分自身のビジョンを肯定して はじめて自分の内観が出来て行くというのがティーチングストーリーと呼ばれるお話の活かし方でもあります。
ただのスピリチュアリズムと混同しないでくださいね。
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