赤いきつねと緑のたぬきとアナログ記録とデジタル保存(まだエロネタ)4

初出 2020年12月30日 Facebook


ブルーフィルムの実物を、一度だけ見たことがある。

とある有名温泉宿に宿泊した時、仲居さんが夕食を運び終えた後に下足番だったおじさんが部屋に入ってきて、よろしければこの後少々のお楽しみがございますので、何時にどこどこの間までお越しくださいませ、というサジェストがあり、出向くとそこで上映されている、という寸法であった。

正直、コピーを繰り返したためか、フィルム自体の劣化なのかは判然としなかったが、なんとも言いようのない白く飛んだ画質と音質だった。

ただ、たまたまその日その宿に宿泊していた見知らぬオッサンたちは、うぉぉうぉぉと異様に高いテンションでがっつり食いついていたのである。

その当時、もう客室のテレビで一般的なAVは普通に見られる時代だった。

だが、ブルーフィルムは、無修正だったのだ。

フィルムの複製は、アナログコピーである。
映画のマスターフィルムはいわゆるネガである。これをもとに大量のポジフィルムを一本一本アナログコピーして、ロードショー館に届けていたのだ。
届いたフィルムは厚手の茶封筒に入っているのが一般的で、上映の際にこの封を切ってフィルムを取り出していた。映画の初上映の日のことを封切りというのはここに由来している。(諸説ry

フィルムは物理的に切れやすかった。

その昔、名画座と言って古い映画を安価で上映する映画館があちこちにあったのだが、フィルムが切れていて雑に編集されているために場面や話が突然飛んでしまって意味が通らなくなっていることもよくあった。

しかし、逆に言えば、物理的に切れてしまっても、つなぎ直せば途中がスキップされた状態でも一応最後まで再生することは可能なのだ。

SETの三宅裕司氏の幼少の頃の動画がご両親の手により8ミリフィルムで残されており、TBSテレビの「テレビ探偵団」で公開されたことがある。
昭和40年代、日本テレビの「特ダネ登場!?」では、解答者だった長門裕之氏が特ダネさんが披露するあれこれを8ミリ映写機で撮影なさっていた。私が高校生ぐらいの頃(私の高1は1981年)文化祭で8ミリ撮影された自主制作映画の公開などというものもごく一般的に広く行われていたものである。

小西六(こにしろく、今のコニカミノルタの合併前のコニカ株式会社の旧社名)の8ミリ撮影機がテレビCMで普通に流れていた時代である。ほんの40年ぐらい前まで、動画の記録はアナログのフィルムだったのだ。

中学生の頃、私の学校は田舎な割に超最先端で、パナソニック製のテレビの校内放送のシステムが導入されていた。学校行事を撮影するためのポータブル録画システムも一式あったのだが、これが、ちょっと凝ったレイヤーさんがイベントを3つ掛け持ちするぐらいのときに使いそうな巨大なキャリーバッグと同じぐらいのサイズがあり、直射日光に弱かったためどこぞの貴婦人が使っていそうな巨大な専用の蝙蝠傘がついていた。

個人が扱うには8ミリフィルムがまだまだ便利だった時代である、が、何年もしないうちに8ミリは廃れ、ビデオテープの時代になっていくのだ。

(続く)

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