ことわざって今の時代あてにならないよね、という話

大学の講義で、「情けは人のためならずというでしょ?」みたいな、結論だけを言われることってあって、「なんで情けは人のためならずなんですか?」と返されて対応できないのって良くないよなー、と。

なので、ことわざができる経緯なんて考えてました。

そこで考えたのが、ことわざというか、「最近の若者は〜」とか、「情けは人のためならず」といった言説が、どうやってできるのかなー、というものです。

この話の結論としては、「ことわざって鵜呑みにしちゃだめだよね」というものです。

ということで、ことわざが当てにならない理由を書いていきます!

「情けは人のためならず」について

ことわざには、思考停止でみんな賛同しているとこがあります。

「情けは人のためならず」などの言葉を聞いて、なるほど、「人のために行動すれば自分に返ってくるのか」と、まあお店で良い対応をすれば口コミで星5をつけてもらえるし、今ではうなずける話なんですよね。ことわざすごいなー、と。

しかし、このあたりの話、ひっかかるところがあって、「情けは人のためならず」って、今までは意味不明だったと思うんですよ。

というのも、今は口コミが食べログとかに反映されるから、お客さんにオラついたら後で「星1」をつけられるし、神対応したら「星5」をつけられたりすると思います。

他にも、気の利いた張り紙をしようものならTwitterでバズったり、まあ現代は「情けは人のためならず」がうまいこと機能してるなあ、と思ってます。

こういうのを「信用」が可視化された、とかいいます。

でも、食べログがなかった時代、スマホ以前のここ最近までは、「信用」は可視化されてませんでした。

たとえば、東京の店でお客さんにオラついても、東京って広すぎて、地元民のウワサみたいな口コミが広まりづらく、「情けは人のためならず」ってあんまり機能してなかったはずなんですよね。

だから、「情けは人のためならず」って、最近まではそんなに「当てにならないことわざ」だった、と思います。

なんで「情けは人のためならず」ができたか

じゃあなんで「情けは人のためならず」という言葉ができたかって考えると、まあその時代の人は、人に優しくしたらその分返ってくることが多かったから、と思います。

その理由を考えるために、その時代の人がどんな生活をしてたかって考えると、昔の生活って、東京よりは「ムラ社会」かなって思います。

というのも、「村のメンバーの顔をみんな把握してる」場合、たとえば小さい島の村とかなら、誰かに優しくしたり酷いことしたりすると、ウワサになって、それ相応のリターンがあるはずです。

東京だと、募金してもリターンはさほどありませんが、村という環境で困ってる家に募金してれば、「あの人はいい人だ」とうわさになってメリットはあると思います。

つまり、「ムラ社会」なら「情けは人のためならず」は有能なことわざで、広まって当然かと思いました。

他の例も考えると・・・

例えば、「最近の若いもんは」という言葉から読み取れる情報は、そう言い出した人のところに

①優秀な部下が流れてこなかったり、
②そういう人に対するマネジメント力が足りなかったり、
③ずば抜けた若い層に触れられない、

という人が言い出したのが、「最近の若いもんは」という辛辣な事実です。

最近聞いたおもしろい話に、

「若いやつはって言う人いるけど、自分のところには優秀なやつばかり流れてきて、要はその上司が優秀じゃないっていう証拠だよ」

というのがあります。

なるほどなー、と思いつつ、「そうか、この人はマイノリティだから、この人の層からことわざは生まれないんだ」と思いました。

極端な話、Googleで働く人は、「最近の若いもんは」とか言うのかなー、と思います。

つまり、人数多いほうが口も多いし、マジョリティが認めないと、ことわざってできないし、ウワサって広まらないよなー、と。


あと、「本当に頭の良い人はバカにでも分かるように説明する」みたいな話あると思うんです。

というのも、「アインシュタインがゴム膜に鉄球を置いて相対性理論を説明した」とか、「金八先生が人は漢字の形的に支え合って生きてるんだよ」みたいな説明することを言ってると思ってます。

これって、説明できてないですよね?わかった気にはなりますが。

言い方は他にもあったらそれ使いたいんですけど、説明にはざっくり

①「頭いい人向けの説明」

②「バカ向けの説明」

ってあると思います。

で、話半分に読んでほしいのですが、「本当に頭の良い人はバカにでも分かるように説明する」っていうのは、「バカ向けの説明をされた人」が作ったことわざだと思ってます。

理由は、「一度の説明で理解できるわけない」からです。

というのも、「バカにでも分かった」ということは、「一度の説明で分かったと思った層」が作ったことわざと考えられます。

なんだか難しくなりました。

要は、「本当に頭の良い人はバカにでも分かるように説明する」のは、「頭の良い人が、バカ向けの説明をする」場面を切り取ったもの、と思いました。

他にも考えたらたくさんありそうです。


「石の上にも三年」は、寿司屋の話であやしくなってきました。

この動画が参考になるかと思います。


というので、ことわざって鵜呑みにしがちだけど、「いつ、どこの、誰が言い出したか」という過程を考えないといけない、と思いました!

【おわりに】古典も怪しいかもね 

印刷が始まったのは近代以降ですし、そう考えると、「古典」っていうものは、大体「工業時代の人」が書いたものです。

で、それって「情報社会」において、当てになるのかなー、と思いました。

たとえば、ムラ社会の人が作ったことわざを、東京でやっても機能するのか?みたいな話です。

「工業社会」で生きてた人は、「工業社会でできた本、ことわざを鵜呑みにしたら大抵うまくいった」と思います。

ということは、「ことわざを鵜呑みにしろ」っていう、ことわざ的なものがあるのも、そういう過程があるかなー、と思います。

というので、スマホ知らない人が書いた本って、鵜呑みにしていいのかな、と思いました!

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