「正々堂々」という在り方の強さを描いてくれるのが小気味良い

 うー、あー、書くことがないみゅ☆。殺すみゅ☆。ところで「。」には文章をお堅くして、書いている者が不機嫌であるかのように感じさせる効果があると言う。作法を守って文章を書いているのにそんな風に思われてはたまったものではないが、まぁそれはそれとしてやや気持ちはわからないこともない。そこで「みゅ☆」などの低知能語尾に「。」を合わせると、いわく言い難い味わいが出ることだなぁ(詠嘆)。えー、後は特に書くことはありません。久々に小説の依頼が来たが、まぁ正直どうなるかはわからん。書くことがない。殺すぞ。ところで『ダイの大冒険』本編において、魔王ハドラーが地獄の騎士バルトスを粛清するシーンは、ハドラーの小物化の象徴のごとく描かれていたわけだが、『勇者アバンと獄炎の魔王』では何やら相当に印象が違う。わざわざ自分の手でバルトスを粛清せずとも、ハドラーが十三年の休眠に入れば、その魔力によって存在を維持していたバルトスは自動的に消滅する。つまりこの粛清には、単なる腹いせとは異なる意味があったことが語られている。自らの騎士道精神との決別。いや、騎士道とはちょっと違うが、ともかく真っ先に敵に当たり、正面から粉砕するという自負との決別とも言える。どこかそれは、古い自分を捨てて、新しい自分を受け入れようとする通過儀礼のような印象を帯びる。

 時間切れ。

(だとしたら、バーン様に膝を屈したことは、ハドラーの中に必ずしもネガティブな影響だけを与えたわけではないのかもしれない)

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