中華統一最大の立役者じゃないのかこの国
書くことがない。殺すぞ。いやマジで書くことがない。古代中国の戦国七雄の一角である「韓」の滅亡について書けと言われるわけだが、まぁこの国は中華の中央部とかいう戦乱の世にあっては呪われているとしか言いようのない立地になぜかぽつんと存在しており、全方位から攻められる可能性がある。しかも国力は七雄中最弱であり、秦や魏の攻勢に怯えるばかりの日々であった。こんな国とっとと滅んでないとおかしいのだが、皮肉にも「めっちゃ攻められやすい立地」という性質が韓を消極的生存の道へと誘った。どういうことか。韓を併合した国は、韓の「全方位から攻められる立地」というリスクを背負わなければならないのだ。領土をかすめ取るぐらいなら積極的にやるが、完全征服はしたくないのである。こうした周辺国の都合によって韓は生かされていた。韓としても、自力で生存の道を模索し、他国に間者を派遣してさまざまな謀略を実行に移した。秦には治水工事に秀でる技術者を派遣し、大規模な工事を行うよう秦王・政(のちの始皇帝)に進言させる。秦はもともと農業力はイマイチな国なので、政はこの進言やよしとして、ものっそい水利工事を行う。そうさせることによって、秦にジャブジャブと金を使わせ、韓への侵攻どころではない状況を作ろうとしたのだ。ところが、工事が普通に成功した。
時間切れ。
(その結果、秦の農業力が爆上がりし、他の六雄すべてを相手取っても問題ないだけの経済力を手にしてしまったのだ。当然、韓はまっさきに滅ぼされた。あほか! しかも工事中の期間ですら秦は韓に攻め込みまくりだったのでマジで何の成果も挙げられませんでしたァーッ!! なのである)