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これ一作で終わらせるには惜しい世界設定ではある

 作中で言及された「無為宣言」や「タオ回帰主義」は、本作のテーマにおいて重要な役割を果たしている。すなわち「ただ在るがままに在るべし」という考え方だ。本作の物語の発端となった災厄は、テクノロジーによって人を域を超えようとしたことへのしっぺ返しとして描かれる。自然が一番! テクノロジーはクソ! というわけだが、当然ながら俺はこの考え方には同意できない。テクノロジーが我々にどれほどのものをもたらしてきたかを思えば、タオ回帰主義は「能動的に運命に立ち向かうことの放棄」ではないかと思う。この思想に帰依する者たちも、結局のところ災厄に対して無力であったし、そもそもテクノロジーの産物である衣服を着ているし、家屋に住んでいる。それらが彼らの生まれた時から存在するものだから「自然」だと言うのはあまりに歴史認識が近視眼的だ。ただ、このあたりの問題は、タオイズムの相対性で説明ができると言えばできる。別に原始の野生に還れということではなく、自然と科学の調和こそが本義であり、災厄を産み出してしまった者はこの調和を欠いていたのだ。だが、そもそもこの災厄こそが太陽人たちの知性の根源であることが示され、タオイズムすらも知性の産物に過ぎないことを考えると、どうにもやはり、科学というものに対して悲観的すぎるという感想

 時間切れ。

(になってしまう。タオ回帰主義すらもひとつの執着であると思うし、それは「無為」とは違うのではないか。つまり、なにがしかの指向性を帯びた主張をした時点で「無為」ではないのではないか。そして「調和」とはどういう状態を指すのかいまいちよくわからない。俺も自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきた)

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