共に泣く頬と、喉をやろう
「焦る必要はまったくないのだ。この世界で、小生を君の世界に転移させる方法をゆっくりと探そう。なあに、異界の英雄を召喚する術式はあるのだ。きっとなんとかなるとも。三度も異世界に召喚された身にしてみれば、別に荒唐無稽な話でもなんでもない。」
「う、うぅ……っ」
本当に。本当に、どうしてこの人は、こちらが心の底で求めている言葉を、飄々と暴いてゆくのだろう。
フィンは、己の中で、何かが決定的に負けたことを悟った。
だけど――二度と泣かぬと誓った意気地だけは、守り通した。そこだけは、最後の一線であった。
そして、フィンは自らの中から、〈鉄仮面〉に対する異様な殺意が消えていることを自覚した。
無論、オブスキュア王国のためにも打倒せねばならない敵であることに変わりはないが、今までのように合理性や優先順位を無視して襲い掛かるような気持ちはもうなかった。
そうだ、まったくどうかしていた。
フィンは、キッと横を向く。総十郎が仕掛けた五芒星によって、縫いとめられたかのように動きを封じられている〈竜虫〉を。
「ソーチャンどの……さっきはごめんなさいであります。冷静さを欠いていたであります。小官は小官の務めを果たすであります――!」
「あぁ――それが良い。」
向き直り、重銀粒子結晶槍をまっすぐ〈竜虫〉に向けた。
「させん――」
即座に〈鉄仮面〉が転移。フィンに肉薄する――
「それはこちらの台詞であるよ〈鉄仮面〉どの。」
黒き魔剣の一閃は、瞬速で割り込んできた小さな物体に阻まれた。
総十郎が投げ打った霊符が空中に張り付き、斬撃に割り込んだのだ。
そのまま黒き疾風と化してすれ違いざまの一刀。青白い幻炎を残して転移する〈鉄仮面〉。
「つれないではないか。目移りはいかんぞ。小生まだまだ貴殿と踊り足りぬ。」
「貴様――」
〈鉄仮面〉の眼から、何かが去った。
●
――守ると誓った妻子がいた。
彼女らの幸福のためならば、何を犠牲にしても惜しくはなかった。
だがその覚悟は、まったく、一切、実を結ぶことなどなかった。
すべてを捧げる程度では駄目だった。
諦めないだけでは駄目だった。
――男は、取りこぼした。
何に代えても守らねばならなかったものは、指の間をすり抜けて、死の虚無へと散逸していった。
失意と非業のうちに、ひとりぼっちで死んでいった我が子。
男はその時、そばにいてやることすらできなかった。
あぁ、なんたる無能。なんたる役立たず。悔恨の念は凄まじく、男の魂は一度死んだ。
だが、後悔など無意味で。
失われた命が戻ることなどあり得ず。
ゆえに、せめてこれ以上は。
もはや我が子を救うこと能わざるならば。
せめて、同じ目に遭う者がもうこれ以上出てこないように。
ただその一念がために。
――男は堕ちるところまで堕ちた。
「……この魂は、もはや救われぬ」
〈鉄仮面〉は口の中でそうつぶやくと、〈黒き宿命の吟じ手〉を翻した。
ともかく、〈虫〉を失うわけにはいかない。人族の子供が構える銀の槍に、いかなる力があるのかはわからぬが、看過していいわけがない。
しかし、同じく人族の青年による妨害が突破できない。まったく、なんたる武錬の冴えか。たかだか数十年しか生きられぬ種族とは到底思えぬ。
「人族の少年よ。この世界の実情に通暁しておらぬ貴様には理解できぬであろうが、薄っぺらな正義感で乞われるまま〈虫〉を破壊しようと言うのであれば、私は貴様を軽蔑する」
「え……」
「フィンくん。耳を貸す必要はない。どのような事情があろうともこの男の所業は正当化され得ぬ。撃ちたまえ。」
〈鉄仮面〉は内心で舌打ちする。
少年の方はすれていない。敵が対話を持ちかけてきたら、とりあえず聞くだけ聞こうとはする。まるでエルフ族のような純真さだ。
だが――青年の方は人間存在の汚さというものを熟知しているようだ。時としてただ話を聞くだけでも致命的な不利益が発生しうるということを理解している。やりづらい手合いだ。
事実、少年は気を取り直して〈虫〉を見据えている。
「――〈そは万物のうちで最強のもの。何となれば、そはあらゆる精妙なるものに打ち勝ち、あらゆる固体に浸透せん〉――」
「よせっ!」
〈鉄仮面〉は転移。
磔刑のごとく空中に縫いとめられた〈虫〉のそばに出現する。
裂帛とともに神統器を一閃。霊妙なる光を宿した縄を切断――できない!?
「無駄である。太玉命氏が手ずから編み上げた神宝なれば、神秘の格で言えば御身の神統器にひけはとらぬ。即時の切断は不可能なり。」
そして――
「――白銀錬成・穿界神槍!」
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