秘剣〈宇宙ノ颶〉 #1
人を刺すと肉の感触が生々しく伝わってくるというが、あれは嘘だ。
すくなくとも、刀を握る両手からはなんにも感じ取れやしない。
「かっ……ぅ……ッ」
耳元で聞こえる、か細い喘鳴。
「き、さま……ァ……ッ」
しなやかな肢体の熱をすべて受け止めようと、ぼくは彼女を貫く刃から手を離し、死にゆくその躯を抱きしめた。
力の限り。彼女がまだ生きているうちに。
きめ細やかな肌を、引き絞られた筋肉を、血潮の脈動を、生命の熱を。
すこしでも確かに、記憶にとどめておけるように。
「殺…てやる……殺し…やる……ッ」
怨嗟を吐き出す、彼女の声。
腕にいっそう力を込める。
これで、いいのか。
ぼくは本当は、とんでもない間違いを犯そうとしているのではないか。
今すぐ病院に担ぎ込めば、まだ間に合うのではないか。
未練がましく湧き上がってくる葛藤。
彼女、リツカの血肉が、ひくりひくりと痙攣する。
「こ……し…て……る……」
――だめだ。
だめだ!
秘剣のシステムは、ここで断ち斬る。
剣豪たちの時代から脈々と培われてきた伝説は、ここで終わる。
ぼくが、終わらせる。
「……こ…………る……――」
彼女の体が不意に重くなった。
……勝った、のか。
視界が滲んでいった。
●
例えば、の話だが。
身体的に同条件の二人の人間が、片方は銃を持ち、片方は剣を持っていたとしよう。
そして、その二人が合図とともに殺し合いをはじめたとしよう。
生き残るのはどちらだろうか。
――間違いなく、銃を持った方だろう。
引き金を引けば即座に殺傷力が発生する瞬発性。いかなる長物もまるで問題にならない圧倒的な射程。
論議の余地などない。
銃声とともに勝負は終わる。
単なる武力を求めてのことなら、剣の存在意義など、完全に、完璧に、完膚なきまでになくなった。
それゆえ、銃誕生以降の武術は「精神性」という名の逃げ場所を用意した。まるで、最初からそうだったと言わんばかりの顔で。
そうしなければ、生き残れなかったがために。
だが。
ありえない仮定をさせてもらうなら。
幕末や戦国時代において幾多の逸話を残した剣豪。
彼らがもし、現代にいたとするなら。
相手は何も素人でなくていい。秒間数十発もの死をばらまく自動小銃をたずさえた、練度の高い歴戦の兵士ということにしておこう。
場所は一切の遮蔽物が存在しない平地だ。
そういう状況下において。
兵士と剣豪。
どちらが勝つのか。
その結果について考えるにあたり、印象的な示唆を与える事件が、二千十五年の東京で起こった。
●
霧散リツカという女性についてぼくが知っていることは、自分でも驚くほど少ない。
高校二年であり、ぼくの一年先輩であるということ。
成績は正直ぱっとしないらしいということ。
からりとした笑顔が印象的で、男女の区別なく慕われているらしいこと。
やたらとUFOキャッチャーが好きで、彼女の部屋はぬいぐるみに占拠されつつあるらしいこと。
そして、これだけは「らしい」をつけずに断言するが――
彼女は天才だった。
ウチの道場の門戸をはじめて叩いたその日、霧散リツカは道場師範にいきなり真剣を押し付けられ、竹入りの巻き藁を斬り落とせと言われたことがある。
ずぶの素人にいきなりそんなことをさせる父さんも父さんだが、こともなげにスパッと斬り落としてしまう彼女もどうかと思う。
「あ、けっこう簡単なんですねっ」
ちっとも簡単じゃない!
これがどれくらい凄いことかと言うと、生まれたての赤ん坊が逆立ちと屈伸を同時にやってのけるくらいには凄い。
さらにその後一ヶ月で、刀を抜き付けた瞬間に納刀する〈朧曳〉という中目録技法をマスターしたり、まったく固定されていないペットボトルを斜めに斬り落としたり、約十年間居合道をやってきたぼくを組稽古で負かしたりと、常軌を逸した天才ぶりを発揮しまくった。
とにかく――
瞬発力、認識力、判断力、ブレのない正確な肉体駆動など、武道をやるのに有利となるさまざまな才能を、特出したレベルで秘めていたのだ。
しかし、わからないことがある。
彼女の才能をもってすれば、例えば剣道などでは全国レベルでの華々しい実績を上げられたことだろう。
しかし、ここは対峙せぬことを是とする伝統的居合道場である。
もちろん居合道にも試合はあるが、それは動作の正確性や気迫を競うものであって、彼女の即戦能力を活かせるような性質を有してはいないのだ。
なにを思ってこの道場に来たのか。
その問いに、彼女はあっけらかんと答えた。
「秘剣よっ!」
「秘剣?」
実生活ではまず使われることのないその単語。先輩は照れもてらいもせずに言い放つ。
「つまり、必殺技ね」
「はぁ……レバーぐるりにパンチボタンですか?」
ゴヴッ、とかそんな笑えない音を立てて、ぼくの額に居合刀がめりこんだ。
いや、鞘つきだけど……鞘つきではあるけれど!
くずおれて痛みに耐える。
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