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絶罪殺機アンタゴニアス #16 終

  目次

 導き手は息を引き取った。
 アーカロト・ニココペクはそのさまをじっと看取った。
 不思議と穏やかな顔だった。眉間に刻み付けられた苦悩の皺が、今は緩んでいる。
 自分は、彼の救いになれたのだろうか?
《導き手のバイタルサインの喪失を確認。絶罪規定1095条に従い、繰り手は再び休眠に入り次なる導き手を待つべし。我ら、求められることなく力を振るうことまかりならぬ》
『駄目だ、アンタゴニアス』
 即座に、言葉を返す。無垢なる深淵を湛えたその目は、目尻を下げていた。
 枯れ木のような腕を伸ばす。導き手の瞼を閉ざし、両腕を胸の前で組ませた。
『僕の導き手はこの人だ。きっと、この人以上に僕たちを適切に使ってくれる導き手は現れない』
《根拠を問う》
『そんなことはどうでもいい。早く彼の遺体を量子情報化してくれ』
《人体すべての量子化など所要ビット数が処理能力を圧迫して深刻な――》
『いいから早くするんだ!』
 腔腸動物の捕食口めいた胸郭より触手が伸び、死した男をなぞった。
 遺体が紫紺の光に覆い尽くされ、粒子に分解されてゆく。
 粒子は本流と化し、触手に寄り添う軌道で胸郭へと吸い込まれてゆく。
《量子情報化、完了。解析の所要時間は十七万二千八百六十七秒》
『言語とエピソード記憶の解析だけをとりあえず進めてくれ』
《了解。所要時間は七千五百二秒》
 アーカロトはうなずくと、思うように動かない手足に苦慮しながら、楕円形の棺に這い戻った。
 荒い息をつき、どうにか寝転がる。
『繋いで』
《了解》
 棺の蓋が音もなく閉じ、全身に埋設された接続端子に次々とコードが差し込まれる。
 神経接続。アーカロトは、自分が全高六百八十メートルの巨人になっていることを認識する。
《並列多元罪業変換機関/起動》《出力安定》《内部探査/開始》《神経系/異常なし》《制御系/異常なし》《駆動系/異常なし》《構造系/異常なし》《待機戒律/解除》《第五大罪ワールドシェルの損耗率/2%以下》《前回の起動より二千二百七億五千二百万四千五十五秒経過》
 脳裏に自動的に情報が入力されてくる。
 七千年の間、メタルセルで構成された第五大罪ワールドシェルは問題なく〈彼ら〉から地球を守り続けてくれたようだ。そして、先ほど情報化して取り込んだ導き手の服装から考えて、彼が人類最後の一人というわけではないと推測される。
 アーカロト/アンタゴニアスはひとまず安堵する。自分たちは大きな賭けに勝った。
 気が緩む。
《導き手の量子情報の解析が一部完了。接続の可否を問う》
 ――あぁ、頼む。
 まだ人類が生存しているなら、円滑なコミュニケーションのためにも言語の習得は急務だ。そして社会の実相への最低限の知識も欲しい。
 その、瞬間。
 びくん、と。少年の矮躯が、棺の中で跳ねた。
 流れ込んでくるものがあった。
 涙と、苦悶と、たまらないほどの愛おしさと、悲哀と、絶望の唄が。
「っ! ぁ……」
 導き手、暗い目をした男の、その生涯の記憶が。
 思わず、目を見開く。アンタゴニアスとのリンク中に、己の肉体を認識するなど、今まで一度もなかったことだ。
「あ、あああっ」
 無数のエラーメッセージが脳裏に浮かび上がるのを無視して、頭を抱える。
 理解し、体感したから。
 透明な雫が頬を伝い、後から後から止めどもなく溢れ出てきた。
 彼がどれほどものに耐えてきたか。ただ一人で、誰にも胸の内を打ち明けることができず、どこにも逃げることもできぬまま、どれだけ孤独に戦ってきたか。そして、どれほど惨たらしく、自らの生の無意味さを突き付けられてきたか。
 雄々しく哀しい、一人の男の魂の咆哮。
 その、最後の残響を。
 棺の中で身を起こし、膝を抱えて身を震わせながら、受け止めた。
「う、うう……う……っ」
《ノルアドレナリン値が急上昇。繰り手の状況を問う》
 アンタゴニアスからの問いに答える余裕もなかった。
 アーカロトはしばらく、自分でもどうしようもない感情の荒波を耐えた。見た目通りの、子供のように。
 肩を震わせ、べそをかいた。
 やがて。
 少年は、顔を上げた。
 その目には、もはや無垢なる深淵はなく、意志の光があった。
「……わかったよ」
 たった今習得したばかりの、この時代の言語を、アーカロトはつぶやいた。
「あなたの無念を、僕たちはぜんぶ酌む」
 再び意識を拡散させ、黒き巨神と自らを同一化する。
「アンタゴニアス。導き手の意向に従い、作戦目標を決定する。僕たちは求められている」
 機体背面より罪業収束器官を露出し、黒紫の炎を放射。翼のような、曼荼羅のようなシルエットを形作った。三千四百トンを超える巨神は、その重量を一切感じさせない滑らかな動作で立ち上がる。関節が上げる軋みが、遠雷のように轟き渡った。全身に降り積もった埃や瓦礫が落ちてゆく。甲殻の各所から罪業場によって形作られる衝角が何本も突出し、全体に禍々しい印象を付与した。干からびた生体部分は急速に潤いを取り戻し、うねり、拍動し、蠢いている。
 アーカロト/アンタゴニアスは、暗い目の男が最期に遺した言葉の意味を噛みしめ、復唱した。

《作戦目標――「誰も泣かぬ世界の実現」。かくて契約は果たされり》

 機体腹部の発声器官が、少年の声を周囲すべてに拡散させる。
 困難な任務だ。今のところ、どうやって実現すれば良いのか見当もつかない。
 だが、成さねばならないのだ。

《第五の絶罪殺機、識別コード「アンタゴニアス」。これより作戦行動に移る。人世の罪を、僕たちが受け止める》

 荘厳な音を立てて、天井のアーチ構造が展開し、外部への射出口が、開いた。
 白い光が差し込み、アンタゴニアスは竜に似た頭部を上に向け、全身から黒紫炎を噴出。
 急速に浮上していった。
 光を目指し。
 無念を抱きながら。

【続く】

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