吐血潮流 #15
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「うぬぬぅ~どこまでもコシャクなマネを~……!」
セラキトハートは脚に絡みつくネクタイを引き剥がした。攻牙はあらかじめ自分のネクタイを両側の座席のシートベルトと結びつけ、足を引っかける罠を作っていたのだ。
おかげで踏み込みの脚が取られ、攻撃の威力が五割減である。
しかし――
攻牙は腹の中で暴れまわる衝撃を抱えながら呻いていた。
威力半減だろうがなんだろうが、これは滅茶苦茶効いた。
ガラスを突き破った時にあちこち切り傷ができていたが、そんなものがどうでもよくなるくらいに効いた。
「コザカしいってこういうときに使う言葉なんでごわすね……むきぃーっ!」
――うるせえよ。
地面に降り立って地団駄を踏んでいるセラキトハートを横目に、攻牙はしばらく耐えていたが、やがて限界が訪れた。
「「うぐっ!?」」
二人同時に嗚咽。
そして、
「「ごふぇぇぇぇぇッ!!」」
グラシャラボラス:
ソロモン王が従えたとされる七十二柱の魔神のひとつ。翼の生えた犬のような姿をしており、常に血に飢えている。人間を透明にしたり、仲違えや仲直りをさせる力を持つ。三十六の軍団を率いる虐殺者。
見るも無残な光景がそこにはあった。
攻牙とセラキトハートは地面にうずくまり、痙攣している。
「けほっ! けほっ!」
セラキトハートは咳き込んでいる。
「げぼっ! がほっ!」
攻牙はえずいている。
詳細な描写は省くが、ハムサンドとコーヒー牛乳がラッピングされ店頭に並ぶまでに携わった様々な人々の思いはこの瞬間グランドにブチ撒けられ水泡に帰したとだけ記しておこう。
無念なるかな、養豚場で生を受けたトムとマット。彼らのタンパク質は不毛なる校庭に散布され、新たな命を育むことは恐らくない。
「あぁ……畜生……効いた、ぜ……おい……」
呻きながら、震えながら、攻牙は身を起こす。
体に、力が入らない。それほどまでにさっきの一撃は凄まじかった。
――篤の野郎は、こんなとんでもない奴らと戦ってたんだなぁ……
不良に絡まれてる奴を助けようとして逆にあっさりボコられるという経験には事欠かない攻牙だが、これほど重い打撃を受けたことはない。
「うぃ~、またやっちゃったでごわすぅ~」
手の甲で乱暴に口元を拭きながら、セラキトハートが起き上がるのが見えた。
そしてこちらの方を見て、にひひと笑う。
「痛いでごわすか? 苦しいでごわすか? 思い知ったでごわすか? ケホケホ」
闘志が急速に萎えてゆく。
――いやいや、もう無理だろ。
――意味不明な超常能力を持つ謎組織の謎エージェント相手にここまで粘ったんだからボクはもう評価されるべき。
――なんか哀れっぽい声で命乞いすれば多分許して貰えるんじゃねーかな。こいつアホそうだし。うん、それが一番いい。そうしよう。
などと理性的に主張してくる自らの怯懦を抑えつけ、
「……関係ねえな」
右足を踏み出し、立ちあがろうとする。
そのさまを見て、セラキトハートは慌てたような声を上げる。
「えっ、ちょっ、まだやるつもりなんでごわすか!? いや~、射美は寝てたほうがいいと思うでごわすよ~?」
「関係ねえよ!」
勢いをつけ、左足も地面を踏ませる。体がぐらりと傾ぐが、どうにか踏みとどまる。
「ど、どーしてそこまでするんでごわすかー! 霧沙希センパイがそんなに大事なんでごわすか?」
攻牙は、全身を覆うダルさと吐き気と痛みを吹き飛ばすように、天に向けて吠えた。
「ヒーロー願望ナメんなコラァァーッ!」
「えぇ~!?」
「ボクはなぁ! 人助けがしたいとか世界を平和にしたいとか大切な誰かを命をかけて守りたいとかそんな動機は持ってねえぇぇぇぇぇぇぇんだよ! てめーの命が一番大事だコラァァァァァァッ!」
「なんかぶっちゃけだした!?」
「だけどなぁ! 野郎として生まれたからにはなりてーじゃんか! ヒーロー! 主人公! 英雄! ボクは図体がチビだからよー! ケンカじゃ誰にも勝てねーよ! 勝てたためしがねーよ! でもあきらめたくないじゃん! 体が強くなれねえからって心まで弱くなきゃならねえなんて認めたくねえじゃん!」
鼻息も荒くそう叫ぶ。
――ヒーロー願望。
それは薄っぺらな虚栄心。
だがそれゆえに――
「ヒーローは見捨てない! ヒーローはあきらめない! ヒーローは現実に屈しない! だったらボクもそうするぞ! そうするかぎりヒーローへの道は閉ざされねえ! それだけだ! 男が立ち上がるのに見栄と意地以外の理由なんか必要ねえぇぇぇぇぇぇッ!」
それゆえに、何よりも純真。
「うぅぅ……」
セラキトハートが呻きながら後ずさる。
「来やがれごわす女! てめーの悪行はこの嶄廷寺攻牙がブッ潰す!」
全力で吠える。
「し、知らないでごわす! どーしてもジャマする気なら、ええと、その……い、命の保障はしないでごわすよ~!」
敵がバス停を構えた。
――しかしまぁ、実際問題どうするよ。
攻牙は身構えつつ思考を巡らせる。啖呵を切っている間も、この遮蔽物のないグランドでいかにして奴と渡り合うかを考えていた。結果、五つほど策めいたものは浮かんできたが、そのいずれも分の悪い読み合いを何度か切り抜けなければならない。
「……関係ねえ!」
できるかどうかじゃない、やるかどうかだ。最悪、隙を突いて喉笛に噛み付いてやる。
決意を固め、四肢に力を込めたその瞬間――
「うぅっ!?」
セラキトハートの体を、漆黒の魔風が吹き抜けた。
【続く】