維沙育成計画方針会議 #3
異邦人ギルドの廊下を、絶無、篤、維沙の三人は歩いていた。
「久我よ……お前のことだから何か考えがあってのことだろうが……勝算はあるのか?」
篤が、静かな目を向けて問うてくる。そこに絶無を疑う色はない。ただ、どうやって「徘徊する悪霊騎士」を討伐するつもりなのか、単純に疑問なのだろう。
絶無は口の端を吊り上げた。
「お前と違って勝ち筋を見いだせないうちは挑まん主義でな。問題ないさ、維沙という最後のピースが揃ったことでようやく必勝を期することができる」
「なら、いい。この命はお前に預けよう」
「やれやれ、当然のようについてくるつもりか」
元の世界ではバス停を武器にしていたなどと率直に言って頭がおかしいとしか思えない世迷い事をほざく男だが、この世界においては重厚な甲冑と大盾と槍を装備して敵の矢面に立つ「ナイト」のクラスとなっていた。
「無論だ。どのみち盾役は必要だろう。それに……」
ぽん、と維沙の頭に手を乗せた。
「維沙の晴れ舞台だ。見逃す手はない」
「篤……うん、頑張るよ」
維沙の隻眼が、篤を見上げる。ごく素朴な敬慕と信頼が、その眼にはあった。
「維沙・ライビシュナッハ」
絶無はそこに声をかける。
「う、うん」
維沙は居住まいを正し、やや緊張した。
「お前には期待している。だが、今のままでは駄目だ。クラスチェンジをしたばかりでレベルが半減している。せめて「徘徊する悪霊騎士」が敷く制限レベル23までは上げておくべきだろう。そこで、だ」
絶無は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「お勉強の時間だァ……」
維沙は、少し顔をひきつらせた。
●
経験の書、と呼ばれるものがある。
主に血統種がドロップする希少なアイテムだ。読むだけで実戦同様の経験が脳髄と肉体に蓄積されてゆく神秘の宝物である。
この世界の筆記言語に関しては、絶無と、魔月と、それから元の世界で珍妙な暗号言語を開発した経験を持つ嶄廷寺攻牙によって速攻で解析が進められ、この三人は特に問題なく文章を書けるレベルに至っていた。
分厚い革張りの書物が、維沙の目の前に山と積み上げられる。
「さて、貴様には今から読書に耽ってもらうとしよう。現在がレベル11だから……まぁ十万頁も読めば足りるだろう」
「待て久我。希少なものなのだろう。大丈夫なのか」
「リソースを死蔵する趣味などない。使うべき時は惜しみなく使う」
維沙が、困惑した眼で見上げてきた。
「僕……字、読めない」
識字率、という言葉すら存在しない世界から来た子供だ。当然だろう。
「知っている。よって僕が読み聞かせてやる。ありがたく拝聴しろ」
「む……その場合、そばで聞いていれば俺にも経験が入るのだろうか?」
篤が首を傾げた。
「さて、それに関しては検証していないな。試しに聞いていけ」
「おーっす、何やってんだお前ら?」
日課の素振りと模擬戦を終えたと思しき少年が、汗ばむ上半身をむき出しにしたまま、漆黒の野太刀を担いで通りかかった。
絶無は眉間を揉み解した。
「服ぐらい着ろ下品な奴め。黒澱さんが見たら卒倒するぞ。今から経験の書の朗読会を行う。どうせ暇だろう聞いていけ」
「ああ、使うのか、アレ。維沙の転職は終わったみてーだな」
「うん、ニンジャになったよ」
維沙は両手を広げて忍び装束を少年に見せた。
「ははぁ、意外と似合うじゃねーか」
太い笑みを浮かべて、少年は維沙の隣に座った。
狼淵・ザラガ。篤と同じく、この世界で最初期から共に死線を潜り抜けてきた仲間である。快活で野性的な男だが、その瞳の底にはどこか哀しい色があった。
クラスは「サムライ」。絶無隊のメインアタッカーとして、幾多のモンスターを斬り捨ててきた。
「そして「徘徊する悪霊騎士」を倒すという話になった。例の軍師どのの発案でな」
篤の発言に、狼淵は顔をしかめる。
「あの野郎……露骨に無茶な注文しやがって……」
狼淵と魔月は同じ世界から来た知り合いらしいのだが、仲は最悪と言っていい。
いやそもそも魔月と最悪の仲にならずに済む人間など絶無ぐらいしかいないのだが。
「血統種に維沙を殺させるつもりなんじゃねえのか? わりとマジで」
「それぐらいは平気でやる男だが、今回は違うだろう。維沙の生命点は三点ある。謀殺は現実的ではない」
生命点、とはこの世界の独自の死生概念である。
致命傷を負い、力尽きても、その遺体を異邦人ギルドまで運び込めば、蘇生させることができるのだ。
ただし、力尽きるたびにその人物が持つ生命点が消費されてゆき、生命点1の状態で力尽きた場合、あらゆる見地から言っても完全なる「死」を迎える。
幸いにして、療養することによって生命点は回復できる。ゆえに、この世界は外的要因による「死」が非常に縁遠い。加えて、絶無は一点でも生命点を消費した者に強制的に療養を取らせることにしていた。
ただし、パーティ全員が力尽きてしまえば遺体を持ち帰る者がいなくなるため、いくら生命点があろうが即、破滅である。
過去一度だけ、そうなりかけたことがあった。そのときは、ただ一人だけ敵の猛攻を耐え抜いた諏訪原篤が単独で血統種を討伐し、他の五人の遺体をすべて担いで異邦人ギルドまで生還するという快挙を成し遂げた。あれ以来、絶無は篤に対しては一定の敬意を払うことにしている。
「さて貴様ら、覚悟はいいか? ありがたい講義の時間だ。姿勢を正して聞くがいい」
「望むところだ。常在死身、勉学とて俺をひるませることはできん」
「げぇー……俺はやっぱいいかな……」
「聞こうよ狼淵。強くなれるんだし」
「うーん、まぁおめーが言うなら……」
絶無は手近な経験の書を開くと、おもむろに朗読し始めた。
●
「……さすがに喉が痛いな」
数時間後。
突っ伏して寝息を立てる篤と狼淵を尻目に、講義はようやく終了した。
十万頁におよぶ文書を朗読し終えた絶無は、喉のいがらっぽさに顔をしかめた。
軽く咳き込む。
膝の上に手を置いて生真面目に聞いていた維沙は、
「ぬるめのお茶もらってくる」
ぱっと立ち上がって食堂に駆けて行った。
後には開始三十分と経たずに寝やがった馬鹿二匹が残された。
隣の篤をぞんざいに蹴る。
「……むぅ」
「起きろ馬鹿。開始三十分も経たんうちに寝おってからに。貴様それでも義務教育を受けた日本人か」
「気が付くと意識を失っていたぞ。特殊操作系バス停使いの攻撃か」
「世迷い事をほざくな馬鹿。バス停にそんな力などない」
たいがい頭のおかしい男だが、このバス停妄想はいったい何なのだろうと思う。