維沙育成計画方針会議 #7
――地下死街。
かつてエスカリオが浮上せず、地上世界の一地方であった時代の遺構群である。
だが、そこは大量の白骨化した死骸が折り重なり、急速に生命を蝕んでゆく毒素が充満する、まさに地獄と呼ぶべき場所と化していた。
かつてここで何があったのか? エスカリオはなぜ浮遊しているのか? その力の源は何なのか?
その答えを、まだ絶無たちは知らない。
●
魔石によって転移した絶無ら六人は、歓迎するかのように押し寄せてきた屍毒の大気に眉をひそめながら、ダンジョン探索の準備儀式を執り行っていた。
フィンが「フォースヒット」と「フォースアボイド」を唱え、パーティ全体の命中率と回避率を底上げする。
同時に魔月は「フォースバイオ」と「フォースマジック」を詠唱。各種耐性を強化する。
これらフォース系のバフ呪文はダンジョンに潜っている間ずっと効果が持続するため、とにかく潜ったらこの四点セットを唱えることが無意識の習慣と化していた。
「では行くか」
「うむ」
「ごーごーであります! ……けほっ」
そういうことになった。
不気味な紫色の地面はヌチュヌチュと粘液質の感触を靴越しに伝えてくる。
視線を巡らせれば、朽ちかけた人骨が毒の沼から突き出ていたり、何か得体の知れない繭と思しき球体が壁際に実り蠢いていた。
魔月の持つ杖の先に宿った魔力の光源を頼りに、一行は粛々と歩みを進める。必要不可欠な行いであったが、周囲の光景に不気味な陰影を与えていた。
時折、毒素に蝕まれた体にフィンの回復呪文で活力を注ぎ込みながら、奥へ奥へと進んでゆく。
チョコレートは大量に用意しているので、当面MP切れの心配はない。
「奴は闘争の気配に引き寄せられる。まずはその辺のアンデッドと接触せねばならん」
絶無の言葉は力強く淀みない。篤は重々しくうなずいて返す。
この二人のよくわからない安定感は、良くも悪くも隊の要として必要不可欠のものだった。
「……で、でも、本当にうまくいくのかな……」
維沙は二人の確固たる自信がよく理解できないでいた。
出立前に、いかにして「徘徊する悪霊騎士」を打倒するかは伝えられていたが、いささか以上に離れ業すぎる作戦だと感じていた。
「問題ない。僕の作戦は完璧だ。命を預けろ」
――なんの照れもてらいもなく言ってのけるこの人はやっぱりすごいな。いろんな意味で。
「おや?」
「――む」
螺導と篤が、何かに反応した。常人離れして鋭敏な感覚を持つこの二人は、時として未来予知じみた挙動を取る。
「全員、武器を抜け」
それが分かっている絶無は、二人に確認を取るまでもなく命令を飛ばす。
直後――
毒の沼の中から、白骨死体が躍りかかってきた。折れた剣を振りかざし、眼窩の中に不浄の光を宿している。
ゆらり、と螺導が一歩踏み出し、
――直後にかちりと鍔鳴りの音。
その一連の動きを正確に認識できた者はいなかった。絶無と篤だけが、辛うじて中空に蛍火のごとく灼き付く斬閃を視認した。
一拍遅れて「スケルトン」の正中線に切れ込みが広がり、そこから炎が吹き上がった。
猛火はあっという間にアンデッドを焼き尽くし、今度こそ無害な死骸へと変えてゆく。
抜刀即斬撃。斬撃即納刀。言葉にすれば簡単だが、それを動体視力を越えた速度と精度でやってのけられる人間は螺導だけであろう。
「ふむ、素晴らしい。狼淵どのには感謝せねばなりませぬな」
その言葉に反応するように、次々と毒沼から不死者たちが身をもたげてきた。
ほとんどは最低位のスケルトンだが、中には「スカルキャップ」と呼ばれる上位アンデッドもいる。
「調子に乗って全部斬り倒すなよ? 螺導・ソーンドリス」
「無論、心得ておりますとも」
サムライスキルの「斬り込み」を使えば一掃できる相手だったが、奴が闘争の匂いを嗅ぎつけて乱入してくるまでは全滅させないように適度に手加減をしてやらなければならなかった。
絶無は即座にクロッカースキルの「クロックアップ」と「ファストスペル」を同時使用する。
特定の行動を瞬時に二回行える「クロックアップ」で、誰よりも早く魔法を二回唱える「ファストスペル」を倍加させるのだ。結果、一瞬で実に四回も呪文を重ね掛けできる。クロッカーの最大の強みであった。
詠唱する呪文は「アボイド」。戦闘中に限り回避能力を向上させる基本的なバフ呪文だ。
対象は螺導。絶無のINT値の高さゆえに、この一瞬で剣鬼の回避能力値は現状の上限まで達した。
篤と螺導は適当に不死者どもの攻撃をあしらっている。
維沙も隠密状態からニンジャスキル「暗撃」で銀の矢を撃ち放っている。
一体のスケルトンの頭蓋が、シルバーピアースの弓勢に粉砕された。
――あたった!
「むむむむー」
一方フィンは体をぐっと屈めて唸り、高位のクレリックスペルを詠唱する。
絶無隊の中で彼だけが唱えられる、神聖なる加護の呪文。
一気に立ち上がって両のにぎりこぶしを振り上げる。
「デバインアーマー! であります!」
瞬間、篤の鎧姿に発光する神聖文字がまとわりついた。衛星のごとく、篤の周囲を巡っている。
「おぉ、これが……」
篤は自らの体を見下ろし、感嘆の息をつく。その間にもスケルトンどもに殴られていたが、一向に意に介していない。
「戦いに集中しろ馬鹿め」
「うむ、そうだな」
と言ってる間にも、頭にスカルキャップが斧を叩きつけてきた。ごいん、と今までより大きな音が鳴るが、やはり篤には何のダメージもないようだった。逆に斧がひしゃげている。さすがに普段の篤ならここまででたらめな防御力はない。デバインアーマーの劇的な効果と言えた。
魔月も杖を前に掲げ、詠唱を終える。
「――デバインウェポン」
螺導の持つ「魔人の竜刀」に気炎のようなものが宿った。陽炎のごとく背後の光景が歪む。
高位ウィザードスペル、「デバインウェポン」。殺傷能力倍加の呪いである。
「……まだ来ないか」
絶無は再び「ファストスペル」を発動。螺導に命中率上昇魔法の「ヒット」を二回重ね掛けする。
本当ならば「クロックアップ」も併用したかったが、このスキルはほとんどすべての行動を倍加させられる代わりに、一度使うと一拍の間を挟まなくては再使用できないのだ。
「魔月。燃やせ」
「良かろう」
魔導の貴公子はウィザードスキル「マスターキャスト」を発動。呪文を三連続で発動できる特殊な多重詠唱技能であった。
猛炎の範囲攻撃呪文が三度敵陣を薙ぎ払い、スケルトンの群れを一瞬にして焼き尽くした。照り返しに、地下死街がほんのひとときだけ昼間のような光に満たされる。
残るはスカルキャップが二体のみである。
「むむむむむー……デバインアーマー!」
フィンは螺導にも守護の祝福をかける。
他の面々は、これ以上攻撃すると戦闘が終わってしまうので、各自守りを固めるだけにとどめた。
――その、瞬間。
恐怖と名付けられる前の恐怖。
絶望と名付けられる前の絶望。
その感情につける名前を、人類は知らない。
それを味わったものは、確実に死に絶えるからだ。
「……ひっ!?」
維沙が、思わず声を上げた。
何か目に見えない壁が高速でぶつかってきたかのような錯覚。戦意と呼ぶには厭わしく、悪意と呼ぶには呪わしすぎる、しかして極大の熱量を秘めた圧倒的意志の風圧が、高密度の衝撃となって叩きつけてきたのだ。
馬蹄の音が、遠方より破滅の調べを轟かせる。
奴が来る。
奴が、来てしまう。
ただそれだけの事実に、維沙は恐慌に囚われかかった。
その手を、小さく柔らかな感触が包んだ。
「イズナどの……大丈夫であります。みんなで力を合わせるであります!」
にっこりと屈託のない笑顔。
しかしさすがに少し顔色が青ざめていた。小さな手が、震えている。
――怖いのは、自分だけじゃない。
そのことが、維沙にいくばくかの落ち着きをもたらした。
「うん……僕たちなら、できるはずだ」
「馴れ合いを演じている暇があったらさっさと印を組め。貴様の出番であろうが賎民風情が」
横で毒づく魔月を無視して、維沙はキッと前方を睨む。
その、闇の中から現れゆく存在を。
●
――「徘徊する悪霊騎士」という異名を耳にしたものは、皆特定のイメージを抱く。
おおかた、アンデッド化した騎士なのであろう、と。
まぁ、脅威には違いないが、そこまで高い危険度とも思えず、銀の武器を持っていたり、炎の呪文を得意とするものは、軽い気持ちで討伐しようとさえするかもしれない。
何しろ、見るからにただならぬいわれを持つ、禍々しいハルバードを携えていると聞く。
「選ばれし者」ではないから、完全な止めは刺せないだろうが、倒しさえすればその武具は自分のものだ。
そのような功名心に駆られて挑む冒険者が後を絶たず――そして誰一人として戻ってはこなかった。
事実を言うなら――その全員が恐怖のあまり精神崩壊を起こしながら惨殺されたのだ。
なんだ、あれは。
想像していたものとはあまりにも異なる異形に、まず視界が歪むかのような衝撃を受ける。
アンデッド、には違いないのだ。
しかし、何のアンデッドなのか、ということがまったく判然としない。
それは既知のいかなる動物とも似ておらず、まっとうな生物学のいかなる系統にも属さない、完全に未知の生物であったことがうかがえる。
全体のフォルムは、絶無の世界のギリシャ神話に登場するケンタウロスに似ている。馬のような下半身に、人間のような上半身が生えている。だが――蹄の生えたその脚は四対八本存在しており、巨大な蟲のごとき生理的嫌悪を抱かせる動きで、異常なほどの高速を叩き出す。
人間に似た上半身の方と、馬身の中ほどから、黒い甲殻のような質感の、翼、にも似た器官が生えていた。それらは異形の花びらのごとく梢を伸ばし、全体のフォルムに禍々しくも神々しいシルエットを与えていた。
体のいたるところから甲殻状の突起が伸び、その先に今まで刈り取った人間たちの腐乱しかけた生首を突き刺している。
そして、異常な筋密度を感じさせる鍛え抜かれた上半身の、首の部分がすっぱりと滑らかな断面を見せて断ち落とされていた。そこから、今でも乾くことのない血が流れ出て、不吉なウォーペイントとなっている。
この存在が、かつて何だったのか。
どのような役割をこの世界において担っていたのか。
その答えを、絶無はまだ、知らない。
●
だが、ひとつだけ確かなことがある。
「あァ……会いたかったぞ、「徘徊する悪霊騎士」――ガイゼルッ!!」
恍惚さえ感じながら、絶無は凄絶に嗤った。
――貴様のはらわたを抉り出し、骨をことごとく砕き散らし、苦し身悶えながらじわじわと死ぬところが見たい――!
目も眩むような甘い殺意と嗜虐心に、絶無は強烈に生を実感した。
あぁ、素晴らしい。
生きるとはかくも素晴らしい!!
エスカリオンを握る腕に、縄のような筋肉が浮かび上がった。