用は済んだ
オークの周囲を駆け回りながら、執拗に石を顔面に撃ち込む。そうしてできた隙に、ケリオスら騎士たちが斬りかかる。
順調に、暗緑色の肌に手傷が増えてゆく。
無論、決して油断して良い相手ではない。今までで最強格の大族長だ。だが届かない高みではない。
その事実に困惑する。
「どういうこと……?」
もちろん、配下の数と戦闘能力がそのまま比例するほど単純でもないだろうが――何か言い知れぬ不可解さを感じる。
重厚な裂帛とともに〈黎明を貫くもの〉が悪鬼の王の腹を突き破って貫通。直後に二人の騎士が黒い魔鎧の隙間から深々と幽骨剣を突き刺し、即座に跳び退る。
大量の鮮血が、傷口から迸った。地響きとともに、オークが片膝をつく。
「……がァ……はッ……テメェ、ら……ッ!」
そんな昏い熱を孕んだ声がした瞬間――
何かが変わった。大気が、何か禍々しい色彩を帯びた気がした。
朱い斬光が乱舞し、周囲一帯を幾重にも薙ぎ払った。
まるで、そこに巨大な血色の薔薇が出現したかのような、美しくも凄惨な光景だった。
悪鬼の王が、ふた振りの鎖鎌を腕力と遠心力に任せて振り回したのだ。
ふたつの朱い円盤が地面に接触するたびに爆撃めいた威力が解放され、木片と土砂が舞い上がる。
一斉に吹っ飛ばされる騎士たち。巻き添えを食ったオークたちの手足も血飛沫を撒き散らしながら飛んで行った。
無事だったのは、距離を取っていたシャイファだけだ。
顔が引き歪み、眼を逸らしかける。だが思い直す。彼らはあたしの声で糾合し、あたしの指揮で戦い、あたしのために死んでいった。その末路を見届ける責任がある。
だが――そこでさらに不可解な現実に直面する。
吹き飛んでいる。地に倒れ伏している。すでに戦闘不能だ。
なのに誰一人として死んでいない。かすかに呼吸をしているのが見て取れた。
「え……?」
ともかくケリオスらの安否を確かめるために目を眇め――
「あとはテメェだオラアアアアアアアァァァァァァァッ!!」
視界が陰った。この巨体のどこにそれほどの瞬発力が備わっているのか、理不尽なほど迅速な踏み込み。
双戦鎌が振り上げられ――振り下ろされる。
シャイファは思わず目を閉じた。目尻から涙が伝った。
だが、何秒待っても終りは訪れなかった。
ゆっくりと、目を開ける。
目の前に、ひとつの背中があった。闇色のマントを風になびかせ、青白い不浄の幻炎をまとっている。
シャイファとオークの間に、突如として割って入ったのだ。
――幽鬼王!!
人族の間では災害よりも恐れられる、最上位のアンデッド。腐敗と枯渇のもたらし手。
闇黒の魔剣を突き出し、朱い戦鎌の刃を絡め取るようにして止めていた。
いや――止まるはずがない。あの巨体から繰り出される、体重の乗った一撃を、あんな細い剣で受け止めきれるはずがない。
はずがないのだが、いかなる不条理か、受け止めきれていた。しかも、刃が打ち交わされる音すらない。
オークのこめかみに、血管が浮き上がる。地鳴りのごとき怒りの波動が、周囲の精霊力をざわめかせた。
「……テメーはナんだ? いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもオレの忍耐力を試シてんのか? だとしタらとっくに限界なんダけど、よぉッ!!」
一歩引いて、再び鎌を繰り出す。
だが――同じことの繰り返しだった。体重も、腕力も、速度でさえもオークが上回っている。にもかかわらず、幽鬼王が片手で構える魔剣と接触した瞬間、その威力がどこかに吸い込まれたかのように消滅し、オークの動きがぴたりと止まるのだ。
「何とか言えヤテメェッ!!!」
爆風のような怒声。シャイファは思わず縮みあがった。
大気が雷撃を帯びたかのような大喝が過ぎ去り――沈黙が残った。
ぞっとするほど不吉なものを孕んだ沈黙だった。
やがて、低く、深く、どこか枯れ果てた声がした。
「……異界の英雄によって、〈虫〉が撃滅された」
「なニッ!?」
「私としてもこれは痛恨であった。当初の計画はすべて破綻した。ゆえにお前はもう用済みだ」
寒気を覚えるほど滑らかな踏み込み。動作の始まりをシャイファは認識できなかった。
だが、暗黒の魔剣が、眩く目を刺す闇をまとっていることだけは見て取ることができた。
「大義であったヴォルダガッダ。お前は私のためによく踊ってくれたよ。もっとも、結果的には何の役にも立たなかったが」
「てメッ……!!」
幽鬼王が紅刃をぬるりと交わしざまに魔剣を差し出す。撫でるような、柔和な手つきで。
瞬間――切っ先で闇が炸裂し、シャイファを思わず目を閉じた。爆音と、凄まじい風圧がツインテールをなぶっていった。
次に目を開けた時、オークの胸板には巨大な風穴が開いていた。心臓を的確に消滅させる位置だ。
「見事だ。お前もまた記憶にとどめるに値する戦士だよ。アゴスの御許で誇るがいい」
「ア……カ……ッ」
そして水銀が流れるがごとく懐に踏み込み――巨大な顎と甲冑のわずかな隙間を、極めて正確な太刀筋がなぞった。
悪鬼の王の首級が宙を舞う。
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