絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #84
アーカロトはシアラが落ち着くのを待ってから、頭をひと撫でして身を離し、中天を振り仰いだ。
「第五の絶罪殺機、識別コード「アンタゴニアス」。僕たちは求められた。罪障滅除プロトコルにて起動し、基準界面下より浮上せよ」
《繰り手のコマンドを受理――承認》《罪障滅除プロトコル:起動》《こは報いなり/こは裁きなり/こは弔鐘なり/正しき理と義によって/我ら人世に降り臨むなり》
そして。
アーカロトを除く全員が、呼吸を忘れた。
空気が変わった。世界のありようが変わった。大気の分子ひとつひとつに、峻険なる霊威が宿ったように感じられた。
それは自然と居住まいを正させる存在感。
厳粛なる聖域が、その場に顕れた。
碧く神聖な静寂。
やがて、中空に黒い点が生じた。そこを中心に、可視光を歪ませる波紋が広がった。まるで、水面が垂直に立っているかのようだ。
黒点は、断続的に波紋を生じさせながら大きくなってゆき、やがてそれは黒い円錐の形をとる。
それより百メートル以上上の方で、別の物体が徐々に姿を露わそうとしていた。円錐と同じく垂直の水面から滑らかに現実宇宙へと浮上してくる。それは竜の頭部に似ていた。鼻面が突出した流線形のフォルムに、王冠めいて複数の棘が後方に伸びている。その両側面には七対の濁った結晶質の球体が埋め込まれていた。ひとつひとつが人間の全身より遥かに巨大なそれは、内部に秘められた複雑な構造をせわしなく蠢かせている。
口は昆虫のように縦に割れ、内部から舌のような口吻のようなものが覗いていた。
円錐と竜の首は、滑らかに前進し、現実空間へと姿を現し続ける。
やがて円錐は、想像を絶するほどの大きな巨人の胸部に装着された装甲であることが明らかになる。空間を走る波紋が急激に複雑さを増し、全高六百八十メートルの美々しき禍津神が、その全容を受肉せしめた。
ゆるく両腕を拡げ、両脚を揃え、あたかもあらゆる罪と罰の均衡を律する〈宇宙の天秤〉のごとく、あるいは全人類の救済のためにただ一人犠牲となった石工の磔刑像のごとく、その威容を衆目に晒した。
前失楽園の文化を教養として知るシアラは、その黒き装甲にフランス古典主義やゴシック建築様式の流れを汲む彫刻が施されていることに気づく。
装甲に覆われていない部分は、粘液に包まれているのか、汁気を帯びた光沢に包まれていた。胴体の両側面には半透明の脂肪塊が十数個、左右対称に実っている。内部には――あたかも孵化の時を待つ胚にも似た、巨大な罪業変換機関が身を丸めて微睡んでいた。
全身の各所から黒紫の罪業場衝角が突き出て、フォルムに禍々しい印象を与えている。
基準界面下より全身が完全に現出した。後背部より罪業場の複雑な文様が空中に描き出され、宇宙と真理を示す曼荼羅にも似た、精緻なる構造を形作る。それは骸布にも、翼にも見えた。
《咎人よ/それでも生くる/徒花よ》
その声は、男のものにも、女のものにも、老人のものにも、子供のものにも思えた。そのどれにも似ており、そのどれにも似ていなかった。
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