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秘剣〈宇宙ノ颶〉 #20 終
人を刺すと肉の感触が生々しく伝わってくるというが、あれは嘘だ。
すくなくとも、刀を握る両手からはなんにも感じ取れやしない。
「かっ……ぅ……ッ」
耳元で聞こえる、か細い喘鳴。
「き、さま……ァ……ッ」
しなやかな肢体の熱をすべて受け止めようと、ぼくは彼女を貫く刃から手を離し、死にゆくその躯を抱きしめた。
力の限り。彼女がまだ生きているうちに。
きめ細やかな肌を、引き絞られた筋肉を、血潮の脈動を、生命の熱を。
すこしでも確かに、記憶にとどめておけるように。
「殺…てやる……殺し…やる……ッ」
怨嗟を吐き出す、彼女の声。
腕にいっそう力を込める。
これで、いいのか。
ぼくは本当は、とんでもない間違いを犯そうとしているのではないか。
今すぐ病院に担ぎ込めば、まだ間に合うのではないか。
未練がましく湧き上がってくる葛藤。
彼女、霧散リツカの血肉が、ひくりひくりと痙攣する。
「こ……し…て……る……」
――だめだ。
だめだ!
秘剣のシステムは、ここで断ち斬る。
剣豪たちの時代から脈々と培われてきた伝説は、ここで終わる。
ぼくが、終わらせる。
「……こ…………る……――」
……彼女の体が不意に重くなった。
勝った、のか。
視界が滲んでいった。
●
あぁ――
何を泣くことがあるだろう。
霧散リツカは、死になどしない。
ただ、そのありようを変えるだけだ。
〈宇宙ノ颶〉の継承は、それを一度見て生き残っていることが条件。
そして二度目を見た瞬間、それは視覚を通じてその者の認識の中に確たる影響を残す。
それは、バラバラの、単体では意味をなさない魂の欠片だ。
だが、それでも確かに存在する、影響。
今、ぼくは赤銀無謬斎を――〈宇宙ノ颶〉を、殺した。
完膚なきまでに、殺した。
だが、それまでに〈宇宙ノ颶〉の中に取り込まれていた、歴代の継承者たちの人格情報は、どこへゆくのか?
そのまま、消えるのか?
否。
〈宇宙ノ颶〉をその身に受け、その原理を悟ったぼくは、自然と悟った。
継承者たちの人格は、散り散りになり、技を見た者の認識の中に紛れ込む。
そして、ぼくと〈宇宙ノ颶〉の魔戦の様子を、今は銃声を聞きつけた多数の人々が見ている。
霧散リツカの意識も、また。
あぁ――
撒き散らされた情報たちは、宿主たちの中で成長をはじめることだろう。
それはやがて、非凡な剣才となって表に出てくることだろう。
この瞬間、ぼくは〈宇宙ノ颶〉を砕き散らし、無数の剣豪の芽を発生させたのだ。
ぼくが周囲への被害を考えずに銃を乱射したために、そのあおりを受けた者もいるだろう。
そのことについては、まったく、詫びの言葉もない。
だから、もし〈宇宙ノ颶〉の欠片を宿した彼らが復讐を企図したとしても、ぼくはそれを受け入れ、最高に憎むべき仇役を演ずるだろう。
そうして、恨みの連鎖は、徐々に加速してゆくことだろう。
やがて覚醒した剣豪たちは、たがいに合い争うことだろう。
散り散りになったとしても、それは〈宇宙ノ颶〉の一部。
彼らを魔戦へと駆り立てることだろう。
その渦に、ぼくもまた、当然のように身を投じてゆくだろう。
秘剣の痕跡を、完全に滅ぼすために。
あぁ――
そして。
相討った剣豪たちの中に宿る継承者たちの人格は、勝者のほうへと受け継がれ、そんなことを幾度も繰り返すうちに、徐々に元の人格を再構築しはじめることだろう。
霧散リツカの情報も、また――
●
《いつか》
《幾多の死闘に彩られた時の果て》
《因果の終着点で》
●
玄関を抜けると、まだ紫が抜け切らない早朝の光が、鮮烈に差してきた。
吐く息が、白い。
「行くのか」
門から出ようとすると、親父がそこにいた。
……お見通しってわけかよ。
「あぁ」
視線をそちらに流し、睨む。
相変わらず、嫌な笑みの剥がれない男だ。
最後になるから、言いたいことは言っておく。
「……ほんと言うとな、あんたも殺してやりたいよ」
「ほぉう」
何嬉しそうな顔してんだよ。
「だが先に、散らばっていったクソ秘剣の宿主たちをなんとかする」
地面を、見る。
「あんたは、最後だ」
それだけを言うと、ロングコートを翻し、歩みだす。
●
《ぼくは》
《ふたたび》
《彼女と》
●
「まぁ待てよ」
「あぁ?」
苛立ちながら、振り返りもせずに。
後ろからカッ飛んできたものを掴み取る。
ずしりと、重い。
「生き試しの大業物認定だ。てめえがぶら下げてるチンケな雑魚よかよく斬れる」
「……何のつもりだ」
「それから、東京紅鎬会ってぇトコのおやっさんを尋ねな。俺の息子だって言やぁ、いろいろ手ぇ貸してくれるぜ。他の組はあれだ、いろいろ恨みを買いまくったからなぁ」
「あんたのコネなんか、死んでも使うかよ」
そう言い捨て、しかし刀を捨てる気になれないでいる自分に気づく。
手にぴたりと吸い付き、しかし離そうとすればすっと身を引く。
そういうのは、嫌いじゃない。
「……じゃあな、クソ親父」
刀を持った手を掲げながら、今度こそ立ち止まらずに、歩き始める。
「あばよ、クソガキ」
斬鬼羅の道を。
●
《そのときが来ることを》
《きっと信じて》
【完】
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