吐血潮流 #20
「え? な、なんでだ?」
「それよりも、ここを離れましょう。たぶん、普通の病院じゃ鋼原さんは助けられないわ」
「……この症状に覚えがあるのか?」
篤の問いかけに、藍浬は困ったような笑みを浮かべた。
「一度だけ……ね。だけど、わかるの」
篤は、藍浬の眼を見つめる。眼の奥を透かし見る。迷いと、不安と、切実な願い。
「実を言うと、どうしてわかるのか、自分でもわからないんだけど……でも、これは絶対。鋼原さんはわたしにしか助けられないわ。前もそうだった。……信じて、もらえない?」
「わかった。信じよう」
効果のあるなしに関わらず、いまから病院に搬送しても間に合わない公算が高い。それに、彼女が射美に触れると症状がやや改善したのは事実である。
篤は射美の腕を取って軽く捻ると、その体はくるりと回転して篤の背中に収まった。
「ではゆくぞ。寝かせられる場所がよいか?」
●
それから、近くの公園のベンチに射美を寝かしつけて現在に至る。
時刻はすでに八時を回っていた。
「す、諏訪原センパイ……」
射美が藍浬の膝の上で視線を上げ、逆さまの顔で篤に声をかける。
「気分はどうだ」
「いや気分はどうだじゃないでごわすよ! これから射美をどーするつもりでごわすかぁー!」
「うむ、もう少し様子を見てから、大丈夫そうであればお前を家まで送っていくつもりだ」
「なんで……!」
息を吸い込んで何かを言い募ろうとした射美は、膝枕をする藍浬にのどを撫でられて「うにぃ」力が抜けたようだった。
「うぅ~、スリスリするのズルいでごわすぅ~」
「ふふ、かわいい」
「お前の正体は知っている」
空気を読まない篤は構わず話を進める。
「ゾンネルダークの同僚なのだろう。《ブレーズ・パスカルの使徒》が、手段に拘泥しない恐るべき組織であることも、身をもってわかっている」
「じゃあどーして射美を助けたりするんでごわすか。射美は生かしておいたらゼッタイ仕返しにくるでごわすよ~? また何度でも学校とか壊れたりするでごわすよ~?」
篤は眼を閉じ、首を振った。
「主語を混同してはならない」
「ほぇ?」
「問題なのは、お前の組織の是非ではない。お前自身の是非だ」
「……よく、わからないでごわす」
「わからずとも良いさ。ただな――」
眼を開き射美を見据える。
視線が重なる。
「お前は攻牙を殺そうとはしなかったな。それに、わざとバス停の力を見せ付けることで無用な戦いを避けようとした。どのような思惑で成された行いなのかは与り知らぬが……俺にはお前がそういう判断のできる人間に見えた。なにも死ぬことはないだろうと、そう思うのだ」
射美は眼に強い力を込めて睨む。篤は静謐な眼差しでそれを包み込む。
お互いが、お互いを理解しようとして。
やがて、射美が顔を背けた。
「諏訪原センパイは甘ちゃんでごわす。カッコつけでごわす。偽善者でごわす」
「褒めても何もでないぞ」
「むぅ……」
むくれた顔で唸る射美。
勢い良く藍浬の膝から跳ね起きると、駆け足で五歩ほどベンチから離れ、振り返った。
「射美はそーゆーノリはキラいでごわす!」
べーっ、と舌を出してから再び踵を返し、走り去る。
その姿は、街灯が照らす範囲を出た瞬間、暗闇にまぎれて見えなくなってしまった。
「……急に動いて大丈夫かしら?」
「あの様子なら問題なかろう。バス停使いであれば夜道など恐るるに足りん」
「うーん、でももうちょっとナデナデしたかったかも……」
――正直それは自重しろ。
というかこの場に謦司郎がいなくて本当に良かった。彼と攻牙は学校に残り、警察に事情を説明する役を担っているのだ。攻牙は「説明ったってどうすりゃいいんだよ」と困惑気味だったが、別段恐れることはない。ありのまま起こったことを話せばいいのである。警官の諸兄は攻牙たちが何を言っているのかわからないと思われるが、超法規的秘密財団法人『神樹災害基金』の力はこういう権力機構に対してめっぽう強い。穏便な手段でバス停戦闘の隠蔽を図ってくれることだろう。
その時、暗闇の向こうからなんか怒ったような大声が押し寄せてきた。
「助けてくれて~、ありがとぉーでごわすぅぅぅーッ!」
ごわすぅぅぅ、ごわすぅぅぅ、ごわすぅぅぅ……(エコー)
眼を丸くして片田舎の闇夜を見る藍浬。
やがて、その顔に桜のような笑みが灯る。
「ふふ、こういうの何て言うんだったっけ? シンドラー?」
「うむ、インテルだった気がするぞ」