
閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #4
灰色の頭が見えた。すぐにこの少年と自分がぶつかったのだと悟った。
震え、消え入りそうな声で詫びてくる。ウチの弟にもこれくらいの可愛気があればなぁ、などと思い、意識せず声が優しくなる。
「ううん、こっちこそよそ見してたみたい」
少年の顔を見る。灰色の髪に真っ白な肌、少女じみた風貌。大きな瞳だけが赤く腫れていた。泣きながら歩いていたのだろう。
痛ましく感じないでもなかったが、別に自分が立ち入ることでもないので、そのまますれ違った。
数歩歩いた時だった。
「あーっ!」
後方で甲高い声がした。そして軽快な足音が近付いてくる。
なにごとかと振り向く直前、後ろから視界の中に回り込んでくるものがあった。さっきの少年だ。彼は両手で眼に溜まった涙を拭うと、こちらの顔をまじまじと見つめてきた。
「あ、あのっ!」
大きな眼をいっぱいに見開いて、微かに頬を紅潮させながら。
「な、何?」
「ひょっとして、導師レンシル・アーウィンクロゥ様ですか!?」
名前を呼ばれるのは久しぶりのことだ。導師とか付けるのはちょっと勘弁してほしいが。
「まぁそうだけど……」
無意識のうちに後首に手をやった。三年の間に自分は有名人になってしまったのだろうか。
「あの、僕、前回の大会の試合、見てました」
レンシルは軽く眼を見開いた。
少年は緊張のためか、少々つっかえながら続ける。
「それで、あの……すごく、カッコ良かったですっ」
「え、本当?」
少しだけ口元を緩めた。素直に嬉しかった。
少年もさっきまで泣いていたのが嘘のように笑い返してくれた。
「え、えっと、今年の大会も頑張って下さい!」
しばらく、立ち話が続いた。ころころと表情の変わる、話していて気持ちのいい少年だった。彼はフィーエン・ダヴォーゲンと名乗った。
「フィーエン、か」
レンシルはふと胸に引っ掛かるものを感じた。
「……ダヴォーゲン?」
「えぇ――――あ」
フィーエンも、その姓の持つ意味に気付いたようだった。
「“魔王”ウィバロ・ダヴォーゲン」
思わず、その名が口を突いて出た。
かつて自分と闘い、地を舐めさせられた相手。間違いなく宿敵と呼ぶに値する男の名。そして、己の心に恐怖と共に刻み付けられた魔導師の名。
「君って、もしかして」
問いかける。問いかけながら相手を見遣る。フィーエンはうつむいており、灰色の前髪が眼を覆い隠していた。うめくように声を出した。
「……はい、祖父の名前はウィバロ。かつて“魔王”と呼ばれていた人です」
全身に震えが奔る。強敵への畏怖、超人的な精度で繰り出される技への驚愕、己の全てを出し尽くして闘える熱い歓喜。三年前に体感したそれらの感情が、蘇ってくるような気がした――
「奇遇だね。お爺さんに再戦を楽しみにしていると伝えておいてよ」
――それゆえ、すぐには気付かなかった。
少年の唇が、小さく震えていることに。
押し殺した嗚咽が漏れ出てきた。フィーエンは口元に手をやっている。それでやっと、泣き出したらしいことがわかる。
正直、かなり慌てた。
自分は何かまずいことを言ってしまったのだろうか。それともいつの間にか怖がらせてしまったのか。三年間の空白は、彼女から年少者への接し方を忘れさせていた。ちなみにエイレオは“年少者”に含まれていない。
どうしたものかと思案しようとするが、焦りが邪魔をする。周囲からチラチラと投げられる非難めいた視線が痛い。多分、こちらが悪いのは事実なので、睨み返すこともできない。
「ごめ……さい……急に……」
俯いたまま、フィーエンは両の拳で眼をごしごしと擦った。
「あ、うん、いや」
言葉を続けようかと一瞬躊躇ったが。
「理由を、聞いてもいいかな」
沈黙の後、少年は微かにうなずいた。
「祖父が、あなたと再び闘うことは、きっとないと思います」
その様子から、レンシルは不吉な推測をした。
「まさか」
亡くなってしまったのだろうか? しかし老衰にしてはいくらなんでも早すぎる。
フィーエンは慌てて言う。
「お爺ちゃんは元気です。でも、“魔王”と呼ばれた無敗の魔導師は、きっと、もう」
言葉は徐々に嗚咽が混じり、小さくなっていった。
レンシルは、手を伸ばした。触れてどうなると思わなくもなかったが、放ってもおけなかった。
指が少年の顔に触れ、そのまま柔らかい前髪を掻き上げた。少し身を屈め、目線をあわせる。驚いたのか、その泣き腫らした眼は見開かれていた。
「何があったのか知らないけど、そう非観的になることもないんじゃないかな。生きているのなら、必ず相見えると私は思ってる」
ウィバロ・ダヴォーゲンとは、ただの一度、それも数分間立ち会ったばかり。それでも、確信に近い思いがある。あれは、魔術に対して真剣に向き合ってきた者の眼だ。妙な言い方だが、信頼している。
少年の濡れた頬を拭う。
「さ、そんなに泣いちゃお爺さんが可哀想」
なるたけ口調を穏やかに言った。
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