
閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #21
次にフィーエンに認識されたのは、打って変わって暖かい場所であった。
寝室だ。
中央にある寝台の上には、柔和な顔つきの女性が横たわっていた。イシェラ・ダヴォーゲン。フィーエンの祖母。血色は良くなく、傍目にも衰弱していることが判ぜられた。しかし、表情は不思議に穏やかだった。強かに自らの死を受け入れた者の貌であった。
ふいに、部屋の扉が軋みながら開いた。
入ってきたのはウィバロだった。
「泣き止みました?」
柔らかく微笑みながら、イシェラは尋ねた。
「あぁ、ようやく寝てくれた」
ウィバロはほんのわずかに苦笑を宿した。
二人とも、息子夫婦の遺していった赤子が可愛らしくてしょうがなかった。少なくとも、つかのまに悲しみを忘れさせてくれるほどには。
「そう……」
どこか寂しげに、イシェラは孫の部屋の方へ眼を向けた。
「イシェラ。話がある」
「なに?」
つとめて感情を殺し、思い詰めた様子のウィバロ。対して、イシェラはからかうように首を傾げていた。
「正直に言おう。君の体はもう持たない」
「えぇ……そうでしょうね」
「今までの第一医学的治療には限界があった。ゆえに、まったく新たな方法で延命措置を図ることにしたい」
「どんな?」
問いながらも、イシェラの顔には理解と非難の色があった。
気付かないふりをしながら、ウィバロは懐から円盤状の白い石を取り出した。表面には円形に添うように魔法円が三重に刻まれ、簡素な呪紋がまばらに彫り込まれていた。
「呪媒石。最高位の魔導具だ」
言いながら、ウィバロは人差し指に『断絶』の呪紋を浮かべて石に近づけた。
「まって」
イシェラの青白い手がそれを止めた。
「あなたが何をしようとしているのかはわかる。けど、本当に、それでいいの?」
「すでに決めたことだ。覚悟などとうの昔に」
「だけど私は…………」
イシェラは抗議の声を上げかけた。だが、思い直したのか、駄々をこねる子供に見せるような苦笑を浮かべた。
「私が死んだら、あなたやフィーエンがつらく思ってくれるって、自惚れてもいいのかしら?」
「当たり前だろう。自惚れでもなんでもない」
「そう……」
伸びた手が、ウィバロの掌中から呪媒石をするりと抜き取った。
「わかった。あなたの言う通りにする。だから、一晩だけこれを私に預けてくれない?」
一晩明けて、再び呪媒石がウィバロの手に戻った。ウィバロが書き込んでいた単純な魔法陣の上に、信じがたい精度の微細で緻密な魔導構文がびっしりと刻まれていた。
「これは……」
「心配しないで。本来の機能を殺すものじゃないわ」
「では、なんなのだ?」
「私の道楽。その結果よ」
イシェラは青ざめた顔で、楽しげに笑みを浮かべた。
「時が来れば、わかるわ」
疲れたように吐息をつき、遠くを見た。
「さぁ、やってちょうだい。さすがに疲れたから」
「……うむ……」
ウィバロは白い円盤を持った。淡く光る人差し指を表面に当て、すっとなぞり下ろした。指先に輝く顔料が塗られていたかのように、中心に一本の線が引かれた。すると円は音もなく二つに別れ、半円形となった。
その片割れをイシェラに渡すと、
「片時も、肌身離さず持っておけ」
噛んで含めるように言った。自らも、半円の呪媒石を握りしめながら。
生命とは、維持されていることそれ自体が、ある種の魔術である――
そんな観念を最初に提唱したのは、百年近く前に没した一人の内科医であった。
動植物の生命活動は、さまざまな酵素反応の連続によって成り立っている純粋な第一物理現象なのだが、より巨視的に観察すると、熱量の循環という過程によって組み立てられていることがわかる。これは一般的な魔術の仕組みと同質のものであり、定義付けによっては生命も魔術の一項目である、とする捉え方も可能なのだ。
仮にまったく同じものではなかったにせよ、両者の間には応用可能な要素が無数にあり、革新的な医療技術の確立に大きな役割を果たすであろう、と。
ウィバロが行ったこととは、つまり。
●
――今ならわかる。
レンシルは自分に向けて密集してくる世界の情報の直中で、さまざまなことを一度に悟った。
――わたしは今まで、なんて狭い視野しかもっていなかったんだろう。
識った。高速で回転する意識が、答えを導き出していた。
なぜウィバロが、こちらの行動を完全に先読みできたのか。
――あるじゃないか。思い当たるふしが。
一挙一動、間違いなく敵の動作を予測するなんて、そんなことができるわけがない。それはもはや予知の領域だ。将来を完璧に知る術法などは今まで誰も構築できなかったし、これからもないだろう。可能性の枝は現在に至ってはじめて収束する。未来は、不確定だからこそ未来なのだ。
ウィバロは予測も予知もしていない。
ただ、知っていたのだ。そう仕向けた、とも。
――まったく、こんなことにも気付けなかったなんて。
『他人の意思決定に干渉し』
『立ち去らせる』
『無意識のうちに』
誰でもわかる。誰でも理解できる。
――ずっとだ! 試合が始まってからずっと!
ぞっとする。己が自由意志の存在を疑うほど。
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