ケイネス先生の聖杯戦争 第二十七局面
――刻印虫どもによって肉体を食い散らかされるという、言語に絶する苦悶を一年以上耐えてきた間桐雁夜にとって、スズメに背筋を啄まれる程度の痛みなどまったく眉一つ動かすに値しない些事である。
おかげで背中は血だらけとなったが、必要にして有意義な情報交換を行えた。
この身にひしめく刻印虫どもを通じて雁夜の肉体を掌握している臓硯は、当然ながら雁夜の視覚や聴覚などを好きな時にジャックできる。
しかし、ほぼ間違いなく痛覚は共有していないであろうということは推測できた。雁夜と同じ痛みまで味わおうなどという殊勝な心根が、あの妖怪にひとかけらでもあるとは思えなかったから。
ゆえに、意志の疎通は痛覚刺激によるモールス信号という形で成された。雁夜の生業は海外でのルポライターである。英国人のケイネスと筆談を行うことに問題はない。
背後の床に置いた紙に伝えたいことを筆記せねばならないので最初は難儀したものの、おかげで臓硯の警戒を一切呼ばずにことを起こせた。
片脚を引きずりながら、雁夜は間桐邸に戻る。それだけでも二時間ほどかかってしまった。バーサーカーが回復のために吸い上げる魔力を捻出しようと、刻印虫どもは雁夜を痛めつけるのに余念がない。
ケイネスのスズメの使い魔はどこかに行ってしまった。果たして首尾よくいったのか。
重圧感のある玄関を引き開けようと手を伸ばすと、内側から開かれた。
「間桐雁夜どの。お待ちしておりました。我が主もあなたとの会談を望んでおられます」
目元だけを覆う仮面をつけた眉目秀麗なサーヴァントが、雁夜を出迎えた。
●
「はは、はははははっ! 臓硯、臓硯、なぁオイ、「お父さん」? なんてザマだ。ひひ、はははははっ!」
「雁夜、貴様……」
そこに広がっていたのは、臓硯への憎悪と嫌悪と恐怖を抱いてきた雁夜が心ひそかに望んできた――否、それ以上の光景だった。
矮躯の老人は、異様な精気の宿る相貌を憎々し気に歪めている。
だが、その四肢は根元から切断されていた。矮躯の達磨じみた姿に、雁夜は自分の喉から後から後から哄笑がひり出てきて止まらなかった。
「こんなことをして、ただで済むと思っているのか。貴様にチャンスを与えてやったというに……!」
その顔面に拳を叩き込んだ。
今の膂力では、歯を折ることも出血させることもできなかったが、ともかく一発だ。
「――俺はお前とは違う。俺が無意味にお前を痛めつけるのは今のが最後だ。この身は薄汚い間桐の血肉でできているが、魂までお前らのレベルに合わせる気はない。お前はそこで転がっているだけの置物として生かしておいてやる。ふひひ、ははははっ! 無様だなァ、クソジジイ! お前の成してきたことに比べればずいぶん慈悲深い末路じゃないか!」
間桐桜はその様を、茫洋たる瞳で見つめている。いまだにこの状況への理解の色はない。ただ、見ている。今まで恐怖と苦痛の根源でしかなかった存在の、無力な醜態を。
くすり、と。
十にも満たぬ幼児には似つかわしくない、嫣然たる微笑が一瞬浮かび上がったが、すぐにまた混濁した無表情の中に沈んでいった。
間桐家の心温まる団欒風景を尻目に、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは読んでいた魔導書をぱたんと閉じた。
「――気は済んだか? 貴様ら。さっさと契約について詰めた話をしたいのだがな」
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