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ケイネス先生の聖杯戦争 第四十九局面
――運動量。
質量と速度の積で求められる数値である。
月霊髄液の自律防御は、当然ながらケイネスに近づく物体すべてを遮断するわけではない。
握手や抱擁などの「友好的接触」は拒まぬよう、一定数値以下の運動量しか有していない物体に関しては素通りさせている。
この仕様の穴を突かれた。
あれほど細い貴金属ワイヤーであれば、質量などほとんどない。つまりかなりの高速で動いても月霊髄液には感知されないのだ。
《ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。並びに間桐雁夜。盗人のごときこそこそとした訪問に関しては寛恕を賜します。今すぐに無礼を自覚し、退くのならば命までは取りません》
柔らかに澄んだ声が、傲然たる女帝の貫禄を湛えて周囲一帯から発せられる。
再びランサーに絞殺針金を切断させ、ケイネスは咳き込みながら答える。
「察するにあなたがアイリスフィールか。つまりここはあなたの工房というわけだな」
口の端を歪める。
「――敵に退去をお願いするなど、自分たちは追い詰められていますと言っているようなものだな。問答無用で殺せばいいではないか。そんな弱腰では足元を見られるばかりだぞお嬢さん?」
《ッ! 警告はしました。後悔なきよう!》
ケイネスはすでに、ランサーが迫りくる針金を警戒していたことを知っている。そして不可視の絞殺ワイヤーの切断に成功していたことも。
「どうやら切れ端それ自体が動いて首を絞めにかかってくるようです。我が主よ、あまりにも不利かと……!」
「いや、待ってくれランサー。それに関しては俺がどうにかできるかもしれない」
ランサーは目を丸くする。
「どういうことです、雁夜どの」
「……ふん、なるほどな。大方読めたぞ。ではこのままセイバーを潰す。ランサー、お前はバーサーカーへの加勢を」
「りょ、了解しましたが……」
「ついでにこいつを持って行ってくれ。あいつには必要だろう」
雁夜は肩から下げていた竹刀袋をディルムッドに手渡す。
「承りましたが、あの、本当に大丈夫なのですか?」
「問題ない。どうやらアイリスフィールとやらに対して俺は相性がいいようだ」
そこで、今まで大人しくしていた桜が雁夜の腕を引っ張った。
「ねえ、おじさん、あそこ」
「うん?」
小さな指先が指し示す方から、五歳程度の少年少女が泣きながら駆けて来ていた。キャスターが暗示でかどわかしてきた子供の一部だ。
「た、たすけて……!」「うあああああん」
「放っておけ。行くぞ」
「待ってくれケイネス。セイバーの対城宝具に対する抑止力として連れて行くべきでは!?」
「そんなものは間桐桜一人で十分すぎる。足手まといをこれ以上抱える気はない」
ケイネスが踵を返し、その場を去ろうとした瞬間。
「ァ……!? ギ……ぎぃ……っ!!」
ごきり、と。
みちみち、と。
「い、たぁ、い……!」「や、やだ……!」
幼子たちの骨格が音を立てて歪む。体のいたるところから腫瘍めいたものが発生し、際限なく膨れ上がる。顔は引き歪み、張り裂ける。
雁夜とディルムッドは愕然と目を見開いた。
彼らの目前で、何の罪もない子供たちは血肉を撒き散らして弾け、絶命した。
後には、ぐじゅぐじゅと湿った音を立てながら蠢く、名状しがたい生物が多数そこに現れていた。
【続く】
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