見出し画像

維沙育成計画方針会議 #6

 

 極夜のエスカリオに朝は訪れないが、それでも人は時間を測って一定周期での生活を営んでいる。
 午前七時。巨大で黒々とした石造りの異邦人ギルドで、出立する絶無たちを他のメンバーが見送りに出ている。
 ギルドの中心に位置する、大魔石の間。ぼんやりと青白く輝く石碑が立つ、大広間だ。
 大魔石の前に、物々しく武装した六名が立っている。
 前衛――絶無(LV30クロッカー)、篤(LV29ナイト)、螺導(LV25サムライ)。
 後衛――維沙(LV23ニンジャ)、フィン(LV28クレリック)、魔月(LV29ウィザード)。
 忍び装束に身を包んだ維沙は、どこか透き通った高揚を感じていた。高ランクの退魔弓「シルバーピアース」をぎゅっと握りしめ、緊張感が全身にめぐって力となるのを感じる。
「イズナどのイズナどの、一緒に頑張るでありますっ!」
 フィン・インぺトゥスが、きらきらとした瞳でこっちを見ていた。
 同年代の仲間がいるのがうれしいのか、この世界に来て出会った瞬間から仔犬のように懐かれている。
 その無垢な目は、維沙にとっては眩しくもあり、少し妬ましくもあった。
 維沙は少し困ったように微笑み、
「うん……勝とうね」
 原因不明のかすかな罪悪感を覚えつつ、そう返すのであった。
 瞬間、優しく甘い香りが二人の子供を包み込んだ。
「あわわ、アイリどの?」
 霧沙紀藍里(LV28人形使い)が、歩み寄るなり膝立ちになって維沙とフィンを抱きしめたのだ。

藍浬

「正直……くやしいかも。あんな危険な相手に、小さな子が向かっていって、自分はここで待つことしかできないのは、思った以上に堪えるみたい」
 ぎゅぅ、ときつく抱きしめられる。たわわに実った乳房が維沙の胸で潰れた。性別などない維沙だが、少し頬を赤らめる。
「むぅー、小官は子供では……」
 一方フィンは頬を膨らましていた。しかし、彼女の哀切なまなざしに、もごもごと口を閉じる。
 藍里は顔を上げ、絶無を見た。
「わたしじゃダメですか? 人形使いとして、これでも役に立ってきたつもりですが」
「駄目だ。「徘徊する悪霊騎士」は特殊な相手だ。お前では戦力にならん」
 軽量の鎧を身につけ、山ほど修正値を盛った「マスターバックラー」を手首に括りつけた絶無は、冷徹にそう返した。
 その腰には――機械的な意匠でありながら濃厚な神秘を宿す霊妙なる剣を帯びていた。
 「エスカリオン」。この世界に三柱いる神的存在のうち、竜王ペイデの代理戦士として証を立てた者のみが帯びることを許された、剣の街エスカリオの運命を決するための神器である。
「霧沙紀よ、心配はいらん。二人は俺が命に代えても守る」
 要塞と見まごうばかりの重装備に身を包んだ篤が、兜のバイザーを上げて言った。
「もうっ! 諏訪原くんは諏訪原くんで心配なんです! 簡単に「命に代えても」なんて言わないでよ……」
「むぅ、ではもし死んだら腹を切って詫びよう」
 この人はたまに何を言っているのかよくわからない。
 さておき、維沙は口を開く。
「藍里」
「うん、なあに?」
 とろん、と優しい瞳が、こちらを向く。出会ってから、何度となく抱きしめてもらった。たくさん優しくしてくれたし、たくさんご飯を食べさせてくれた。この、アギュギテムと比べれば楽園のように優しい世界で、よくわからないがたまらなく哀しくて苦しい気持ちになったときも、何も言わず一晩中一緒にいてくれた。
「藍里が僕を守りたいように、僕も藍里を守りたい。一方通行は、嫌だな」
 だから、これは維沙の意気地である。
 藍里は、一瞬寂しそうに眉尻を下げたが、やがて気持ちを切り替えたのか、困ったように笑う。
「もう、なんだかわたしだけ我がまま言ってるみたい。それじゃあ――うりゃっ」
 再び、維沙とフィンは抱きしめられた。
「必ず、生きて帰ってくること。お姉さんと約束ね?」
「うん……必ず」
「了解であります!」


「愁嘆場は終わったか? もう出発して良いのか?」


 魔月がまったく興味のなさそうな目でこっちを見ていた。
 キッ、と藍里は貴公子を睨むが、すぐに維沙とフィンに向き直る。
「あの人に何を言われても気にしちゃ駄目だからね?」
「も、もちろん」
「委細承知であります」
 魔月はほとんど全員から疎まれているが、特に藍里は筋金入りであった。もはや根本から相容れないのだろう。魔月と同じ空気を吸うことすら厭うている節すらある。
 だが、それでも軍師として、実務者として、ウィザードとして、絶無隊に必要不可欠なほど有能であることだけは認めざるを得ず、それがこの無反応として表れているのだ。
 だが――維沙としては少し違う見解を持っている。
 たぶん、魔月は自ら意図して疎まれようとしているのではないか。そうして不満の矛先を自分一人に集中させれば、絶無隊の組織運営に益となる。そういう打算があるのではないか。
 そう、打算である。自己犠牲などでは断じてない。何故なら魔月は他人からどれだけ疎まれようがまったくもって知ったことではないし、何ら不都合を感じることもない異常者だから。
 低い笑い声が、魔月の隣でさざめいた。
「何がおかしい、剣鬼よ」
 微かな忍び笑いを漏らす螺導・ソーンドリスに、魔月は目を向ける。
「いえ、これは失礼。お若いことであるなと思いまして」
 秀麗な眉目が、不快げにしかめられた。魔月を不快がらせることのできる人間は極めて限られる。螺導はその一人であった。
「効率を重んじるのであれば、あなたは沈黙を守るべきでございましょうな。そのほうが話がこじれない」
「同感だぜ――おいジジイ!」
 若く野性的な声と同時に、黒い野太刀が回転しながら飛んできた。
 はっしとそれをつかみ取る螺導。
「おや、これは?」
「使いな。俺の刀だけど貸してやるよ」
 刀を投げた当人――狼淵・ザラガが口をへの字に曲げていた。
 螺導は少しだけ鞘を払い、刀身を露出させる。
 途端、黒紫の魔炎が立ち上った。
 「魔人の竜刀」――殺傷力だけならエスカリオンとも伍する、暗黒の利刃である。
「これはこれは、禍々しいまでの秋水でございますな。よろしいので?」
「ほんとは俺が行きてえぐれらいなんだが、そうもいかねえからな。俺の代わりにそいつで野郎をぶった切って来な」
「ふむ、心得ました。剣に生きるものとしてこれ以上ない餞別でございます。感謝を」
「言っとくけど貸すだけだからな! 返せよ?」
「ほっほ、それは悪霊騎士どのの気分次第でございますなあ」
 福々しい笑いを浮かべる老爺の後ろに、維沙は妙な人影を発見する。
 柱の陰から顔だけ出してこちらを伺っている娘が一人。
 不健康なまでに青白い膚に、目元を隠す漆黒の前髪。
 維沙は微かに苦笑して、藍里の袖を引っ張る。
「うん?」
 無言で柱の方を指さすと、すぐに藍里の顔に理解の色が広がる。
「あらあら、まあまあ」
 すぐに柱の陰に向かうと、そのまま野菜でも引き抜くように柱の陰から引っ張り出して、こちらに引っ立ててきた。
「ほら、瑠音ちゃん? ちゃんと彼の前に行かないとダメよ?」
「……っ。……っ」
 両腕を掻くようにあわあわと動かして抵抗しているようなそうでもないようなよくわからないキョドり方をしている彼女は黒澱瑠音(LV27ダンサー)。極端な引っ込み思案だが、戦闘中は打って変わって美しく澄んだ歌声でパーティの戦意を高揚させ、舞踏めいた流麗な動きで敵を切り裂く。

黒澱さん

作者注:全国七京二億五千万人の黒澱さんファンの皆様方、お怒りのほどはごもっとも。ごもっともでありますが、本ゲームには目隠れ娘のキャラグラが存在しないのです。目鼻から血が垂れるほどのお怒りに作者としても大いに共感するところではありますが、どうか、どうかご寛恕を賜りたく思います。本作が完結し次第、作者はセプクをもってお詫びする所存です。

 絶無の前に引っ張り出された黒澱さんは、唐突に陽の下にさらけ出された地下生物のようなうろたえぶりである。何もそこまで、と思うほど慌てている。
「見送りに来てくれたんですね、黒澱さん。とてもうれしいです」
 柔らかに微笑む絶無。誰だよ、と一瞬思ってしまうほどの態度の豹変ぶりである。極端な話、魔月と他の面々との間にすら態度に変化が感じられない人物であるにも関わらず、黒澱さんに対してだけは物腰柔らかい好青年に変わる。いったいこの人にとって黒澱さんは何なのだろう、と維沙は思う。
 彼女はぱくぱくと魚のように口を動かすが、言葉にはならない。
 しかし絶無がその口に、まるで餌付けでもするかのように自らの指を差し込むと、彼女はびくりとしたのち、陶然とした様子で絶無の指先をちうちうと吸い始めた。
 目が点になる周囲にも構わず、絶無は語りかける。
「……はい。……はい。もちろんです。いえ、そこは大丈夫。すでに勝ち筋は見出しました。問題ありませんよ。はは、そうですね。それでは一つだけ」
 よくわからないが、二人の間だけで伝わる何らかの意思疎通方法があるようだった。
「――首尾よく帰ってきたら、あなたの指が舐めたいです」
 耳元で囁くような絶無の言葉に、黒澱さんは耳まで真っ赤になって、こくん、とひとつ頷いた。
「イズナどのイズナどの、お二人は何の話をしているでありますか?」
「いや、えーと、ぼ、僕もよくわからないな……」
「うむ、実に奇妙な絆である。霧沙紀はわかるか?」
「す、諏訪原くんはわからなくていいのっ」
「コラてめえらコラァ! そゆことは部屋でやれやァ!!」
 狼淵の大声に、一瞬飛び上がった黒澱さんは、脱兎のごとく逃げ去って柱の陰に隠れてしまった。
「まったくどいつもこいつもデリカシーのない野蛮人どもばかりでウンザリさせられる。黒澱さんを驚かせた罪は貴様の眉をそり落とすことで贖ってもらおうか」
「じゃかしいわぁ!! 俺の目が黒いうちは許さんよしかし!!!! とっとと行けやぁ!!!!」
 狼淵に追い立てられるように、六人は大魔石の前に立った。
「……ふん、貴様ら、覚悟はいいな」
「愚問だな。俺に覚悟の決まっていない瞬間などない」
「小官も完了でありますっ!」
「ふむ、敗れてもたかが死ぬだけのことでございますゆえ、特段は」
「……さっさと行くぞ。下らん時間であった」
 そして、維沙は。
「ここで、証を立てるよ。みんなの役に、立ちたいから」
「よく言った維沙。では行くぞ」
 六人はそれぞれ手を伸ばして大魔石に触れ、念じた。
 瞬間、視界は眩い光に包まれ――

 ――光が収まったときには、強烈な毒素に満ちた大気が全身を押し包み、首を絞められるような苦痛とともに刻々と命が削れてゆくのを感じた。
 転移したのだ。
 かの「徘徊する悪霊騎士」の狩場。
 闇と瘴気に沈みし、地底の地獄へと。

【続く】

小説が面白ければフォロー頂けるとウレシイです。