フィン少年の透明な哀しみ
いつだったか、カイン人との戦いで深手を負ったことがある。
ははうえのところで何週間か療養、ということになった。
正直なところ、心が浮き立ってなかったと言えばウソになる。
行動を共にしていた小隊の撤退を支援するにあたっての名誉の負傷である。右目と右腕はずたずたに引き裂かれ、毒が回る前に切除しなくてはならなかった。痛くて泣いてしまったけど、でも小隊のみんなはちゃんと守り抜けた。
――ははうえ、ほめてくれるかな。
鎮痛成分の混じった保養液の中で朦朧とする意識。少し緩んでしまう頬を持て余しながら、自分の入ったカプセルは搬送されていった。
ははうえがいるのは、狭苦しいアルコロジーなどではなく、セツ防衛機構の中枢たる〈統一神話無限螺旋塔〉の中層街である。厳格な軍事政権の中にあって、英雄アバツ・インぺトゥスの家族には、かなりの優遇措置が取られていた。淡い人工光に満ち、庭先にわずかばかりの花を植える贅沢に恵まれた者など、ほんの一握りだ。
「フィン・インペトゥス准尉には、白化柏葉付緋衣白鳥章が授与されることになりました。ご子息の勇気と忠誠は、まさしく戦士の鑑と言えましょう」
ここまで送ってくれたカシア小隊長どのが、生真面目に敬礼しながら言った。そのさまを、カプセルののぞき窓から見た。普段の彼を知っていると、あまりの違いに吹き出しそうになる。
ははうえは、にこにこと笑顔でそれに応対していた。
――よかった、喜んでくれている。
いますぐ外に出て、戦いの様子を話してあげたかった。そしたらきっと、もっと喜んでもらえる。だけど意識はぼんやりしていて、ははうえの声もあまりよく聞こえなかった。
「生体素材の義眼と義手の錬成には三日かかります。それらの定着に数週間は見ていただくとして、戦線復帰は早くて一ヶ月後といったところでしょうか」
ははうえは、それに対して何ごとかを返し、そして深く頭を下げた。
カシア小隊長は再び敬礼で答え、「それでは三日後にまた伺います」踵を返してこちらに向かってきた。
「よう、しばらく母ちゃんに甘えてきな」
カプセルをこんこんと叩き、太い笑みを見せてから、彼は去っていった。
手を振り返そうとしたけれど、やっぱり体は動かなかった。
それから、ははうえの手で家の中に運び込まれた。
カプセルの固定された台車を押すその表情は、のぞき窓からは見えない。
そこで、ふいに意識が遠ざかっていった。
――あぁ、まだほめてもらってないのに。
すこし残念に思いながら、意識は昏睡の中に沈んでいった。
次に目が覚めた時、ははうえはそばにいてくれた。
一瞬、喜びに飛び跳ねそうになったけれど、なんだか様子がおかしいことに気づく。
ははうえは、顔を覆って、肩を震わせていた。
――どうしたんだろう?
笑っているのだろうか? でも、ひとりで笑ってるなんてへんだな。
だけど――押し殺した嗚咽が耳に入ってきた時、はじめてははうえが泣いていることに気づいた。
衝撃と、混乱が、胸を掻き乱した。
どうして? どうして? どう、して……?
――おけがをされたのですか? 痛むのでしょうか? あぁ、なんてことだ。どうしてこんなときに体は動かないんだ。
しかし、見た所どこにも怪我などしておられない。
それに、怪我ならどうして自分のそばで泣いているのだろう。
混乱がひどくなる。なぜははうえが悲しんでいるのか、心当たりが全くない。
ははうえのくちが動き、声なき声を形作る。
――どうして……こんな……どうして……フィン……
うわごとのように、それだけを呟き続けている。
自分のことで、泣いている……!?
混乱は、ほとんど恐慌と化していた。わからない。わからない。わからない。
ははうえの笑顔が好きだった。こちらの髪を梳く手の優しさが好きだった。
笑っていて欲しかった。泣いてなどほしくなかった。
ちちうえや、連隊のみんなは、セツの大義に身命を注ぎ、勇敢に戦えば、ははうえはよろこんでくださると教えてくれた。それを疑ったことなど一度もなく、そもそも疑うという発想が生じることさえなかった。
今、このときすらも。
だから――きっと自分になにか至らないところがあったから、ははうえは泣いているんだと思った。
すぐに思い当たる。
右目と右手を斬伐霊光で切除したとき、情けなくも泣いてしまった。
戦士として恥ずべきことだ。
そんな息子が情けなくて、ははうえは泣いておられるのだ。
猛烈な自己嫌悪が、体を満たす。何が「ほめてくれるかな」だ。心得違いも甚だしい。
――ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
また目頭が熱くなりかけるのを、気力を振り絞ってこらえた。
――もう泣きません。もっともっと強い戦士になります。ちちうえの言うこともちゃんと聞きます。たくさんカイン人を倒します。どんな痛みにも耐えて見せます。だから。だからどうか、泣かないで。
あなたのえがおが、みたいのです。
「どうか、ははうえ……」
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