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ケイネス先生の聖杯戦争 第三十八局面
契約の径を通じ、主が負傷した事実を察したディルムッドは、即座に霊体化してケイネスのもとに馳せ参じた。
「わ、我が主よ……!」
「鼓膜が破れている。聞こえん。運転を代われ。治癒魔術に専念させろ」
いつになく余裕のない様子。
下知に従い運転席についたディルムッドであったが、当然経験などなく、騎乗スキルも持っていないので、相当に危なっかしいドライブとなった。
早朝ゆえの人通りの少なさが幸いし、どうにか事故は起こさず間桐邸近くまでたどりつけたものの、車体にはいくつかの擦り傷が刻まれる始末。
隠蔽工作は聖堂教会の連中に任せ、屋根部分が吹っ飛んだタクシーを乗り捨てる。意識を失いかけているケイネスを肩に担ぎ、急ぎ足で間桐邸に駆け込んだ。
●
ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、奇妙な夢を見た。
どこか現実離れした色彩豊かな森の中で、老いた男が目の前で水を地面にぶちまけている光景。
自分はそのさまを、地に倒れ伏したまま、悄然と見ていた。
自らの脇腹には、明らかに致命傷となる風穴が空いていた。ついさきほど、異父弟の化身たる魔猪の歪曲した牙によってつけられたものだ。
悲しみが胸を満たす。
終生の親友であった騎士オスカが、自分の頭を膝に乗せ、「どうかディルムッドの命を救ってください」と必死に訴えていた。「もし我が友を見捨てるような真似をなさるのなら、このバルベン山を生きて降りるのは、私とあなたのどちらか一方だけとなるでしょう!」
悲しみが胸を満たす。
オスカとフィンは、硬い絆で結ばれた祖父と孫であった。
だが今や、二人の間には冷たい隔意と憎しみが横たわっていた。老いたりとはいえ、フィンがオスカに負けるとは思えなかった。にも関わらず、オスカは断固として主張を曲げるつもりはないようだった。
命を賭けて、仮に勝ったとしても父祖殺しの大罪を背負う覚悟で、オスカは自分を救おうとしてくれている。
喜びよりも、哀しみの方が大きかった。
――あぁ、自分は。
裏切りの代価として見捨てられることには納得していた。無様に助命を乞い、しかし聞き届けられず命果てることで、ようやく自分の罪は清算されるのだと思っていた。
だが、あれほど仲の良かった祖父と孫を引き裂く原因となってしまったことだけは受け入れがたかった。それはいくらなんでも代価として重すぎる。
「駄目だ……あなたたちは、争ってはいけない……」
そう言うために吸い込んだ空気は、しかし末期の吐息となって、どちらにも気づかれることなく霧散していった。
これが、この世で最期に見る光景だと言うのか。
「愛」と「忠義」を秤にかけ、グラニアの手を取った自らの生涯に、後悔はない。
だがもし、死後に機会があるのなら。
俺が愛した者たちすべてが手を取り合い、笑い合えた可能性が、本当にどこにもなかったのか。
聖約を破ってでも「忠義」を貫けば、俺一人が恥辱のうちに息絶えることになろうと、丸く収まったのではないのか。
その可能性を、追い求めて見たかった。
今度こそ、裏切らない。
今度こそ。今度こそ。
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