愛しい君に、呪いを込めて
――僕はギデオンさまみたいに強くはなれませんが、シャロンさまを愛する気持ちだけは勝ってます!
ギデオン・ダーバーヴィルズは、目を閉ざしていた。
脳裏に浮かび上がるのは、娘婿となるはずだった青年の貌である。どこかのんびりとした、相対するこっちが眠たくなってくるような雰囲気をまとった若者だった。
――だから結婚の許可を下さい! 僕は退く気はありませんよ!
彼が娘との結婚を求めてきた時、ギデオンはやんわりと止めた。この自分の血が混じったせいで魔力に不足を抱えた娘と結婚しても、恐らく子宝は望めぬと。自分の不始末を、何の咎もない若者に背負わせるのは忍びなかった。
だが彼は、その言葉を「お前に娘はやらん」のような意味に解釈した。そしてムキになって決闘を挑んできた。
撃ち込まれてくる木剣の重さに、幾度吹っ飛ばされようと挑んでくる気迫に、シャロンへの深い想いを感じた。彼がギデオンから一本取る可能性など寸毫ほどもなかったが、しかし彼はいつまでも諦めようとはしなかった。
そのことが、ギデオンには救いだった。
――あぁ、君は。
私の娘を、不出来な父親のせいで子を産めぬ身となった哀れなシャロンを、それでも愛するというのか。肯定するというのか。
私がシャラウと結ばれたことは、間違っていなかったのだと言ってくれるのか。
どれほど救いになったことだろう。どれほど慰めになったことだろう。
そして君の死に、シャロンがどれほど絶望したことだろう。
シャロン。
愚かで哀れな、私の愛娘。
お前は何も悪くはない。悪いのはすべて私なのだ。お前は命を絶つ前に、私をこそ恨むべきだった。
なぜ、私は生まれてきてしまったのか。なぜ、私はシャラウを愛してしまったのか。結果として栄えある王家に不幸をもたらしただけではないか。
何故。なぜ。
割り切れぬ気持ちを抱えたまま、シャラウのもとを去ろうとしたが、彼女は頑として離してはくれなかった。
――もうやめよう。悲劇の上塗りになるだけだ。
そう言った瞬間、涙を振り乱して彼女はこちらを睨んだ。
いつも朗らかで陽だまりのようだった彼女が、そのときだけは烈しく美しい怒りを見せた。
――誰かのせいにするなんて、わたしは嫌。絶対に嫌。
そのときシャラウは、母でも女王でもなく、どこまでも女だった。
――いいや、真実私のせいなのだ。我が穢れた血のせいで、シャロンはこの世に生きる価値を見出せなくなり、君は苦しみ悲しんでいる。私は君たちを不幸にしかできなかった。夫としても父としても、最低の男だった。
瞬間、音高く頬が鳴った。
ギデオンは、避けなかった。
ただ、ぽろぽろと涙をこぼしながら唇を噛むシャラウを、じっと見つめていた。
――わたしの夫を侮辱する者は許さない。たとえそれがあなた自身だったとしても。
――シャラウ。聞いてくれ。
応えず、彼女はギデオンに手を突き出した。手の中に光の粒子が集まり、滑らかな造形の王錫が出現した。先端には薔薇のごとき緻密で繊細な造形の結晶細工があり、神威の燐光を宿していた。
ギデオンは、慄然とした。
――待ってくれ。何をするつもりだ。
――オブスキュアの王権をもって命じます。
体が痙攣した。震えながら、ギデオンはその場にひざまずいた。体が勝手に動いていた。
支配の権能。一人につき一度だけ、命令を絶対遵守させる。エルフを統括する神統器の、強制の霊威であった。
――ギデオン・ダーバーヴィルズ。残りの生涯のすべてを、あなたが心から愛する女の伴侶として生き続けなさい。
――……っ、……謹んで、拝命、いたし、ます……
脂汗を流しながら、捻りだすように、ギデオンは応えた。
かくして、呪いは完成した。悲劇は、この瞬間、確定した。
やがて強制の霊威が去ると、ギデオンはゆっくりと立ち上がった。
――君は、なんということを……
――わかっているわ。わたし、ずるい女なの。
小さな子供がするように、いじけてそっぽを向くその仕草が、すくめた肩の小ささが、たまらなく愛おしかった。
そして、恐ろしかった。
「完成しましてよ、〈鉄仮面〉さま?」
甘い毒のような声が、ギデオンの青白い耳朶を愛撫していった。
生理的な嫌悪感に、思わず仮面の奥で眉をしかめた。
ゆっくりと目を開く。
清浄なるオブスキュアとは似ても似つかぬ、死と退廃の大伽藍が広がっていた。
輪郭としては、聖樹の森とよく似ている光景だ。棘状の枝葉を無数に茂らせた尖塔が、どこまでも林立し、無機物の森のようであった。
だが受ける印象は真逆だ。ここには苦痛と、嗤笑と、陰惨さしかなかった。
無秩序に増築されつづけた地下都市は、広大な三次元の迷宮と化していた。複雑怪奇にねじくれたその混沌構造は、時としてまっとうな幾何学ではまったく説明できない怪異を秘めている。無限に循環する回廊。時間を遡行しながら存在し続ける階段。重力の働く方向が不規則に変化する玄室、通り抜けるたびに体がすこしずつ小さくなる路地。すべてここではありふれたものだ。
闇の領域。昏き万華鏡。歪みし美の理想郷。〈化外の地〉の下に巣食う巨大な悪性腫瘍。
さまざまな忌み名で呼ばわれるこの場所こそ、ダークエルフたちの都市、メトラ=シェリアノスであった。
こちらもオススメ!
小説が面白ければフォロー頂けるとウレシイです。