かいぶつのうまれたひ #15
篤は、窓の外に眼を向けた。
「勤さん」
「う、うん」
「夕陽が綺麗ですぴょん」
「……そ、そうだね」
「夜になれば、月明かりが闇の底を青く浮かび上がらせますぴょん」
「うん」
「……俺は、美しいものが好きですぴょん」
「うん、知っている」
「友誼や、信頼といったものも、美しいと思いますぴょん」
「うんうん」
「勤さんは、どう思われますかぴょん?」
篤は、再び勤に眼を向けた。透徹した眼差しだった。
両手を挙げながら、ため息をつく勤。
「……わかったよ。君の好きなようにするといい。上へはひとまず報告しないでおく」
「ありがとう、ございますぴょん」
バスが、『亀山前』に到着した。
●
翌日、いつもよりかなり早く(具体的には朝の四時)家を出た篤は、校門前で腕を組んで佇んでいた。
すでに二時間近く立ちっぱなしである。
この時間に登校してくるのは、運動部の朝練に参加する生徒のみなので、ほとんど人気はない。
――霧沙希は、毎日かなり早い時間に登校してくる。
彼女曰く、誰もいない教室に差し込む朝陽はとても詩的……とのこと。
確かに、なかなか、悪くない。
涼しく澄んだ空気と、その中に溶け込む陽光。反射して煌めく草木。こんな時間でも、どこかでニイニイゼミが鳴いていた。
まだ損なわれてはいない、夏の日の匂い。
――おぉ、その素朴なる花鳥風月よ。
これからは、毎日この時間に登校するつもりである。趣深いこの光景は、早起きのモチベーションという点で重要だ。
とにもかくにも、確認はしなければならない。霧沙希が今回のウサ耳事件に関与しているのかどうか、篤は確かめるために早起きをしたのである。
やがて。
「あら? 諏訪原くん、どうしたの?」
桜吹雪に揺れる鈴――その音色のような声がした。
「霧沙希か」
すでにかなり前から、涼しげな気配が歩み寄ってくるのは察知していた。
艶やかに揺れる黒髪。ふくふくとした笑み。
盛夏だというのに、彼女の周囲だけ春の薫風が吹いている気がする。
「お前を待っていたぴょん」
事実、彼女が具体的に何時に登校してくるのかわからなかったので、篤は実に朝の四時半からここで立ちっぱなしであった。
藍浬の足が、止まった。
軽く眼を見開いている。
「え……っと……」
声に、多少の困惑が見て取れた。霧沙希にしては非常に珍しい反応である。
――これは、やはりそうなのか?
篤としては、今回のウサ耳騒動の原因を、即藍浬のせいだとは考えていなかった。が、この反応を見る限り、何らかの関係はあるのかもしれない。
「どうして?」
困ったように微笑みながら、そう探りを入れてくる。
「お前が知る必要はないぴょん」
「ええ……? ふふ、なにかしら。気になるなぁ」
とぼけているのか、それとも本当にわからないだけか。
どちらとも取れる表情である。
「お前はすでに、心当たりがあるのではないかぴょん?」
「よく、わからないけど……」
頬に手を当てる。心なしか、目が伏せられている。
隠し事のある人間は、他人と目を合わせたがらないものだ。これはやはり黒なのか。
――勤さんの言う通りに。
だが、それだけでは彼女が犯人だと断定するには弱い。
嘘をついている眼には、形而上の濁りがある。篤は、そういうものを見抜く動物的な感覚が優れていた。あっくんのように、種族も違えば言葉も通じぬ存在とすら分かり合えたのだ。霧沙希藍浬相手にそれができぬはずもない。眼は口ほどにものを言う――実際にはそれ以上だと篤は考える。
――もしも俺が、攻牙や鋼原ほども天才であれば、言葉から真実にたどり着くこともできたかも知れぬ。
だが、自分にはそんなことはできない。
――ならば致し方あるまい。
「霧沙希、俺を見るぴょん。眼を見るぴょん」
「ぇ……?」
「さすればお前が成すべきことは自ずと知れるぴょん」
「諏訪原くんを……見ればいいの?」
「うむ。俺の眼を見るのだぴょん」
「よくわからないけど、了解です」
大きな黒曜の瞳が、篤の眼にぴたりと合わされた。まっすぐで、清澄な視線。人の心の邪念を見透かして、その上で許すような、静かだが力強い眼力だ。
「うぅむ」
篤は思わず唸る。
いつか辿り着きたいと願う境地を、藍浬はごく自然に体現している。
「美しい……」
「えっ」
藍浬の頬に、さっと朱が差した。
その瞬間、
――むむっ、瞳に邪念が入った……!?
篤の気配センサーは、彼女の中に「動揺」と「秘密」の匂いを感じ取った。
「ふっ……馬脚をあらわしたな、霧沙希よ」
「えぇー……?」