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ケイネス先生の聖杯戦争 第四十五局面
布団に包まっているその姿は、想像よりもずっと小さくて、久宇舞弥は近づくことにさえ躊躇いを覚えた。
自分のような人殺しが立てた、ごくわずかな空気の動きだけで砕け散ってしまいそうな気がしたから。
枕にしがみつきながら身を丸める間桐桜は、まるで自分以外のすべてから必死で身を守ろうとしているように見えた。
暗い部屋の中で、廊下から差し込んでくる光を頼りに、久宇舞弥は跪く。
かすかに震える手を、幼子に伸ばす。
くうくう寝息を立てる頬は、子供特有の高い体温をもって、舞弥の指を柔らかく迎え入れた。
「……私ね、子供がいるの」
後ろのディルムッドに語り掛ける。
「そうなのか」
「生きているのか死んでいるのかわからないし、男の子なのか女の子なのかもわからない。母親らしいことは愚か、どんな子供なのか知ってやることさえできなかった」
桜の髪を梳りながら、想いを吐露する。
「仮に生きていたとしても、きっとろくでもない環境にいるのでしょうね。せめて男の子として生まれていることを祈るばかりよ」
応えるべき言葉に迷っている気配がして、舞弥は手首の機構を作動させた。
「……では、探すべきだ」
「ええ、そうね」
袖口から飛び出してきた銃口を、桜の頭蓋に押し当てる。それは一見するとオモチャにしか見えないほどの小型銃。ロシア製PSM拳銃を、スリーヴガンとして改造したものだ。
舞弥自身の体に隠れて、いまだディルムッドには気づかれていない。
躊躇なく引き金を引いた。間桐桜の頭蓋に穴が開き、絶命する。
これで、間桐雁夜がケイネスに協力する理由は消滅した。
直後に自分は魔槍に刺し貫かれ、この世を去る。
正しいことをしたという確信のもとで、意識は闇に散逸してゆく。
●
――そうする自分を、リアルに想像した。造作もなくできた。
だが、引き金を引くことなく鉄の棒を袖の中に戻し、笑顔で振り返って「ありがとう。もう満足よ」と言わせたものは何だったのだろうか。
ディルムッドへの恋心はもちろんあった。切嗣を救いたいという保護欲にも似た気持ちも間違いなくあった。
だが、最大の理由は、トリガーを引こうとした瞬間、間桐桜の目尻に涙があったことだったのかも知れない。
どんな悪夢にうなされているのか、幼い少女は震えていた。
――あぁ、この子は。
まだ、泣くことができるのだな。
自分よりもずっと恵まれている。ディルムッドの理屈ではそうなる。
だから舞弥は、自分と似ていながら異なる存在と初めて出会い、これまでの人生で一度もしたことのないことをした。
相手と自分を重ね、そして嫉妬した。
妬ましいなんて思ったのは初めてのことで。
もしこの引き金を引けば、まるで自分が嫉妬のあまり小さな女の子を殺したみたいではないか。
それはあんまり、みっともなさすぎる。
自分の中に否応もなく芽生えた人間性と、上手く付き合っていかなくてはならない。
――だから、ねえ、桜ちゃん。
「……お互い、生き残りましょう」
間桐邸を出た舞弥は、夜風の中で静かにそう決意した。
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