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吐血潮流 #5

  目次

 そんでもってなんかこう、世界の半分を占めるある種の人間たちが、なんかある種の憧れというか興奮というか競り上がってくる情熱的なものの混じった視線を注ぐであろうある種の隆起というか膨らみというか白い二つの果実というようなある種神話的な表現をせざるをえないなんかこう、ある種のあれ、あれだよ、ホラあれ! ある種!
 普通に言うと胸の谷間がチラリ。
「あわ……あわわ」
 射美が目を白黒させている。状況が理解できないのだろう。
 というかこの場の誰ひとりとして理解できていない。
「ええと、こんにちは。はじめまして」
 あまつさえロッカーの少女はフツーに挨拶してきた。
「あ、は、えと、あぁ、はじめ…まして……?」
 混乱中。
 約二秒間の自失から立ち直った射美は、ロッカー少女をキッと睨みつけた。
「……じゃなくて! なんでそんなところに!?」
「ごめんなさい。あなたの大事な用事を台無しにしてしまって」
 いきなり謝ってきた。
 言い訳なり反論なりを予想していたのか、うろたえる射美。
「はぁ、いえ、その、まぁ、なんというか……」
「邪魔するつもりはなかったんだけど、いきなり始まっちゃったから、出るに出られなくて」
「はぁ、いえ、そういうことなら、なんともはや……ごわす」
 思い出したように語尾。
「あら」
 不意に、ロッカーの中から白い手が伸びてきて射美の頬に触れた。
「はわっ!?」
「血が……大丈夫?」
「いえあのっ、これは……」
「待ってて」
 手が一瞬引っ込み、桜柄のハンカチを持って再び伸びてきた。
「あう」
「じっとしてて」
 ふきふき。
「どこか怪我でもしたの?」
「いえ、あの、射美はそーいう体質なんでごわす」
「まぁ、大変ね」
 驚愕のツッコミポイントをそれだけで終わらせるロッカー少女。
 彼女は、名を霧沙希きりさき藍浬あいりという。
 篤のクラスメートであり、同級生はおろか上級生にまで「お姉」と呼ばれるほど大人びた物腰の女子高生である。攻牙とは逆ベクトルで有名な人物といえるが、実際のところ容姿そのものは「超・高校生級ッッ!」みたいな隔絶した何かがあるわけではない。その顔容はすっきりと整ってはいたが、幼さも色濃く残っていたし、その頬にいつも湛えられている微笑はどちらかというと無邪気なものを感じさせる。星空を映す夜の湖のような漆黒の髪も、特に手を加えることなく自然に背中まで伸ばされていた。まぁ身体のある一部分の発育だけは、超高校生級と言ってもいい雄大な存在感を誇示していたが、何事にも例外はあるのだ。
 彼女、霧沙希藍浬が「お姉」などと呼ばれる由縁は、主にその言動である。
 ――やはり、彼女は、器がでかい。
 と、篤は思う。
 普通、口元が血まみれな少女が目の前に現れたら、もう少しあたふたしても良いと思うのだが、彼女は一瞬でその事態を受け入れる。ことによると「一瞬」というタイムラグすらないかもしれない。
 浮世のよしなしごとをすべてあるがままに受け入れ、しかも別段無理をしている風には見えない少女。
 その心の在り方は、篤にとっては妙にまぶしく映る。
「はい終わり。きれいになったわ」
 ロッカーの中へ、手が引っ込んでゆく。
「あ……」
 何故か名残惜しそうな声を出す射美。
「う……その、お礼なんて言わないでごわすよ~!」
 射美が慌てたように声を上げ、藍浬の手からハンカチをひったくった。
「で、でも借りっぱなしは気分が悪いのでハンカチは洗濯してきてやるでごわす」
 以外に義理堅い性格なのか。
「あら、気にしなくていいのに」
「そーいうわけにはいかないのでごわす!」
「まあ……それじゃあお願いしようかしら、ふふ」
「ふ、ふん、明日持ってきてやるでごわす!」
 ハンカチを胸に抱きながら、プイと顔をそむける射美。
「そ、それから! 諏訪原センパイ!」
 急にこっちを振り向いた。
「むっ」
 鋼原射美は目を細めた。
「どーも出会ったときからお話がかみ合わないと思ってたでごわすが、どーやら射美の正体がバレてたようでごわすね」
 え?
「『ドキドキ☆夏の恋仕掛け大作戦~吐血自重しろエディション~』で油断したところをドクチア! って行く予定でごわしたけど、そんな小細工は通用しないようでごわす」
 聞いただけで脳髄が腐りそうな作戦名である。
 ビシィ! と篤に指を突き付ける。
「ゾンちゃんの仇は、この射美が討つでごわす! 覚悟するでごわすよ~!」
 突き付けたまま走りだし、後ろ手で器用に扉を開け、そのまま廊下へと消えていった。
「ゾンちゃん……だと……?」
 聞き覚えのある語感に、なにやら嫌な予感を抱く篤。
 その時、廊下から声だけが聞こえてきた。
「いてっ!」
「あうっ」
「気をつけろよオイ前見て走れ!」
 攻牙のちまっこい怒鳴り声が響いてくる。
「いてて……う~ん、ごめんなさいでごわす…………って、あれ?」
「あぁ! やめろ! その眼はやめろ! なんでこんな所に小学生が? とかそんな感じの眼はやめろ!」
「なんでこんな所に小学生が?」
「口に出して言うなァァ!」
 廊下で出歯亀っていた攻牙とぶつかったらしいが、なんかもうかなりどーでもいいと思ってる篤だった。

【続く】

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