絶罪殺機アンタゴニアス 第一部 #16
「……率直に言って、絵空事にしか思えないな」
アーカロトはうっそりと老婆を睨む。
「依存性のある向精神薬は確かに人の心を狂わせることもあるが、それでこの歪に完成された命と罪の循環構造を破壊できるとは思えない」
「当然さ、実際に破壊するのはヤクそのものじゃない。配給券よりも信用の高い通貨が市場に出現するという事実の方だ」
「……どういうことだ?」
「アタシはね」
老婆はテーブルに肘を乗せ、噛みつくように身を乗り出す。
「うんざりしてんだよ、肉団子どもに食わせるために罪を犯すっていうそのしみったれた女々しい構図がね。吐き気がする」
その瞳に、濁った妄執が煮え滾っていた。
「命と罪業を交換することで維持される今のこのクソ社会は、アタシに言わせりゃ非効率の極みだ。誰もが罪を求めて困窮し、誰も純粋に悪を謳歌できない。誰もが人を殺さなければ文明を維持できないと思い込んでいる。お偉いお偉い〈無限蛇〉サマが麻薬の作り方をご存じでいらっしゃらなかったために」
だんだんと、老婆が何を言いたいのか、わかりかけてきた。
「人を殺さずに罪を犯す手段を人々に与えようというのか」
「何が罪で、何が美徳かを決めるのは、お上の都合で定められた法なんかじゃない。全人類の感情論の総体だ。罪業を得る代償が命ってのは頭が悪過ぎる。それじゃあ殺された奴が今後罪を犯す可能性を摘み取っちまう。だからいつまでたっても「罪が足りない罪が足りない」と泣き言をほざくしかなくなる」
「麻薬を作る罪。売る罪。接種する罪。ひとつひとつはさほどの罪業を発しないけれど、代償に人命を要求する殺人よりは総合的に高効率で安定したエネルギーソースとなりうる……と?」
「殺人だの強姦だのは、それを「罪ではない」と錯覚できる環境でもない限り、実際にやれるやつはほんの一握りさ。少数のイカレクズにエネルギー供給を依存していると、本当に簡単に秩序は崩壊する。現にこの世界はそうやって何度も無政府状態を迎え、そのたびに進歩の歩みを戻してきた。〈原罪兵〉に頼らずに十分な罪業を確保できるなら、新たな機動牢獄が作られることもなくなる。〈法務院〉の絶対的武力は瓦解する」
そして、老婆は嗤った。
「――アタシはね、無意味な邪悪ってものが見たいんだよ。とうの昔に滅びちまった、ドス黒く純粋な罪の果実を。それらをこの世から根絶やしにしやがった青き血脈を、必ず皆殺しにしようってね」
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