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吐血潮流 #10

  目次

 大過なく授業は終わり、放課後に突入。
「すまん、霧沙希。こいつを抑えておけそうなのはお前くらいしかいない」
「ふふ、諏訪原くんが頼みごとなんて珍しいわね」
 ぎゃあぎゃあ喚く攻牙を後ろから抱きすくめながら、霧沙希藍浬はふんわりと微笑んだ。
「どうしても一人で出向かねばならぬ用向きがあるのだが、攻牙が付いて行くと言って聞かぬ。俺が戻ってくるまでの間、こいつを抑えていてくれないか」
「昨日のコ……鋼原さんと待ち合わせ?」
「……霧沙希に隠し事はできんな。そういうわけだ」
「はいはい了解ですよ。がんばってね」
「うむ、恩に着る」
「ち、ちくしょう覚えてろよ篤この野郎―ッ!」
 攻牙の三下っぽい叫びを背に、篤は教室を出た。

 ●

 ちくしょう。
 あの野郎。
 許さねえ。
 嶄廷寺攻牙の脳裏をよぎるのは、その三つだった。
 鋼原射美と諏訪原篤の意味深なやり取りを聞いた時、これだ! と思った。
 ――このつまんねえ日常から抜け出すカギを、ついに見つけたぜ!
 そう思った。
 主人公。ヒーロー。英雄。
 甘美な響きだ。
 攻牙は小さい頃(要するに最近)、自分の名前の由来について父親に聞いてみたことがある。
「え? 名前? あぁ、えっと、ああー、由来ね、うん、由来。由来を聞きたいわけか、なるほどなるほど、うんうん。えっとな、あれだ、一言で言ってしまうと、あの、あれだ」
 親父はそこで爽やかな笑みを浮かべた。
「父さんが当時ハマっていた鬼畜系エロゲーの主人公の名前からなんとなく取ったんだ」
 普通の少年ならば満面の笑みを浮かべながらドメスティックバイオレンスなパッションに身を任せているところだが、攻牙は違った。
 「なんとなく」という言葉尻が引っかかったのだ。
 普段から何かにつけていい加減かつテキトーな親父だが、不意に予知能力でもあるんじゃないかと思うほど鋭いことを言う時がある。
 そういう時は決まって頭を掻きながら「なんとなくだ!」で済ますのである。さらに聞くと、自分でもなぜそう言ったのかわからないという答えが返ってくる。
 まるで、何かの啓示を受けたかのように。
 ――ボクの名前も、そうなのかもしれねえ。
 アホな親父ではなく、運命とか宿命みたいなものによって決められた名前なのかも。
 そう思ったものだ。
 ――なにしろ攻牙だよ攻牙。
 ――こんな名前で主人公やらずに何をやるっていうんだよ。
 小さかった(今も)攻牙は一人そうつぶやき、ニヤニヤしていた。
 別に根拠はないが、確信していた。
 自分はヒーローとなる男なのだと。
 そして今。
 諏訪原篤は明らかに、何らかの超越的な戦いに身を投じている。
 ――きたぜ! ついに!
 宿命の時が来た。
 ――篤の野郎が手を焼く戦いに、ボクも超巻き込まれてゆくにちげえねえ。そしてもうアレだ、超獅子奮迅な活躍をして世界を超救うに違いあるめえ。あるめえよこりゃ!
 とか何の根拠もなく確信しきったのである。
 嶄廷寺攻牙はマジだった。
 バス停使いの闘いに巻き込まれるということ。
 それが一体どんな意味を持っているのか知りもせずに。
 どれほど強大で人知の及ばぬ戦いに首を突っ込もうとしているのか、まったく自覚せずに。

 嶄廷寺攻牙は、あまりにもマジだった。

 ●

 ……マジだったのだが。
「ボクは何をやっているんだろう……」
 頭を抱える。
 攻牙は、いまだに学校にいた。
 正確には、校舎の辺境に位置する図書室である。時刻は三時過ぎ。飴色を帯びはじめた大気が動き、窓から涼しい風が吹き込んでくる。校庭が一望できる窓際の席で、攻牙は時間が無駄に過ぎるのをじっと耐えていた。
 グランドでは、野球部が練習に精を出している。高等部のむくつけき野郎どもがランニングをしている横で、小学生の子供たちがわいのわいの言いながらキャッチボールに興じていた。
 紳相高校の隣には公立の小学校があるのだが、ド田舎なので子供の絶対数が少なく、いちいち学校ごとにでかい運動場を造るのは不経済極まりない。そのため高校のグランドを他校の生徒にも解放し、自由に使わせているのだ。
 いやそんなことはともかく。
「なあオイ霧沙希」
「うん?」
 隣の席につく霧沙希藍浬は、読んでいた本から顔を上げた。
「ボクはなんでここにいなきゃならないんだ」
 場所が場所なので、小声である。
「ふふ、諏訪原くんのところに行きたいの? でも駄ぁ目。若い二人の邪魔をしちゃあ、ね?」
「いや……ね? とか可愛く言われてもな」
 霧沙希の場合、普段の大人びた言動とのギャップがなんかヤバい。
 ――って何を考えてるんだボクは。
 自分の頬をぺちぺちしながら状況を整理する。
 篤とごわす女の待ち合わせ場所に向かい、世界の存亡をかけた戦いに超巻き込まれる。これこそが攻牙の目下の目標なわけであるが……
 それを嫌う篤の差し金によって、霧沙希藍浬が立ちはだかっているのだ。
 ……いや、立ちはだかっているというか、座って本を読んでいるだけなのだが。
 それでも立ち去ろうとすると、ひょいと白い手が伸びてきて腕をつかまれる。つかまれたのなら振り払えばいいだけなのだが、
「……うぅ」
 攻牙はそれを振り払えなかった。
 霧沙希藍浬の手は、ひんやりとして柔らかい。
 ――いやだからなんなんだよ!
 攻牙は自分が何を考えているのかよくわからない。
 だが、努めて冷静になって考えてみると――
 ――多分ボクは霧沙希の意に沿わないことをするのが恐ろしいんだな。
 そういう答えが出る。

【続く】

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