
閉鎖戦術級魔導征圧者決定戦 #28
崩れかけた堤防のような均衡であった。あとほんの一押しで、決壊は訪れる。
――駄目だ!
意識が、遠くなった。紅く染まった世界が、今度は白く霞んでゆく。限界だ。肉体も精神も疲弊し尽くしている。
死んだ。
これは死んだ。
完璧に死んだ。
間違いなく死んだ。
なにをどう間違おうと、レンシルの半壊した仮想質量障壁が、あの超絶連射に持ちこたえられる道理がない。大会運営側がかけてくれた汎魔術防護術法も恐らく耐えられない。
笑えるほど確実な、おわり。
――わたしの死体、どんな状態になるのかな……
まぁ、あまりきれいな様子でもないのだろう。
いろいろと飛び散ってるんだろうなぁ……いやだなぁ、わたしも女の子なんだけど。
そして、何より痛切に胸を締め付ける後悔。
ゴメン、フィーエンくん……キミのお爺さん、人殺しにしちゃった……
これからどうなるのかな。立ち直ってくれるといいけど。……エイレオ、あんたがしっかり支えてあげなさいよ、友達なんだから。あと、お父さんはともかくお母さんは導師ウィバロに復讐を誓いそうだから、そこんとこうまく言いくるめて納めてよね。
あーあ、それにしても短い人生だったなー。まったく、ロクな恋もできなかったし。こんなことになるんならアイツを振る前にもっと優しくしてあげるんだった。でもまぁ、これはお互い様だよね。あー、そういえばあの時も贅沢なんか言わずに食事くらい付き合ってあげればよかったかも。今思えばあのひと、けっこうカッコ良かったよね。爽やか系?
…………………………………………………………って、ちょっと待て!!
いくらなんでも死に様に余裕がありすぎる。
とっくに死んでいてもおかしくない時間が経っているはずだ。自慢じゃないけどわたしは唯物論を信じてる。霊だの魂だの、そんなものはないし、当然死んだ後に意識が存在するなんてこともないはずだ。
ゆっくりと、眼を開けた。
そこは闘技場だった。
……生きてる?
相変わらず風景が熱で揺らいでいた。
……生きてる……
徐々に感覚が戻ってくる。
……生きてる!
眼を見開く。その先にはウィバロがいる。その手には、七つの銃身を回転させて破壊の洪水を吐き出す砲魔術がある。だが、銃身が虚しく回転するだけで、致命の呪弾式は一向に射出されない。
弾切れ。正確には、“燃料”となっていた剣の高濃度攻撃意志をすべて使い切ってしまったために、なにもできなくなったのだ。
だが、ウィバロはそれに気付いているのかいないのか。真円に開かれた眼のまま、無為に機関砲を作動させ続けていた。
レンシルは、自らの肉体に尋ねる。
――動ける?
応えが返ってくる。
――微妙。
根性出しなさいよ、もうっ。
一歩、踏み出した。途端に、酷使され続けていた全身が軋みとともに痛みを訴えた。かまわず、もう一歩。全身の火傷が熱を帯びる。痛い。すごい痛い。死にそう。泣きそう。
でも、踏ん張らなきゃ。
歩く。脚を速める。
駆け出す。速く。疾く。
術を紡ぐ。頭がぐらっときて、前に倒れかかる。
辛うじて膝を突く。
やっばい、もう限界なんだ。
でも、駄目。まだ休ませてあげられない。
軋む首をもたげ、ウィバロを睨みつける。もう余裕がない。勝機は今しかない。
そう、あと少し。あと少しでいい。
動け!
起き上がりざまに地面を蹴り付ける。身体を前に押し出す。
抜け!
同時に形相を組み、刃を引き抜く。これまでの、身長に迫る長さの長大な剣とは比べるべくもない、包丁のような刃を。遠のく意識を必死に抱き寄せる。
ウィバロは、目の前にいる。
魔王はやっと我にかえったのか、銃身の回転が止まる。まだ余力を残しているようだが、もう遅い。どんな術式を紡ぐにせよ、こっちの一撃のほうが早い。それに、元々ウィバロは障壁にほとんど力を割いていない。もうわずかな魔力で吹き散らすことができる程度の耐久力しか残っていない。
これで終わり!
満身の力で腕を突き出す。ウィバロの顔からはすでに驚きの色が消えかけ、諦め、次いで自嘲の笑みが浮かび始める。惨めな敗者として自害するのも自分には似合いだ、とでも思っているのだろう。
刃は、障壁に触れる直前の位置で止まった。
止まったまま、数秒間が過ぎ去る。
ウィバロの眼に、徐々に疑問が浮かび上がり始める。
会心の笑みが浮かんでくるのを、レンシルはこらえられなかった。
これだ。これがやりたくて、これのために今まで戦ってきたのだ。
「えへへ」
さすがに、こんなことをするのはバツが悪いけど。
でも、まぁ、仕方ないよね。
レンシルは、ウィバロの喉元から、ゆっくりと刃を引き戻した。そして術式を解き、刃を消した。
呆気にとられているウィバロに、にんまりと笑いかける。それから勢いよく振り返り、闘技場にいるすべての人間に向けて、大きな声で宣言した。
「すいませーん! 棄権しまーす!」
●
会場中を怒号が飛び交った。フィーエンの聞こえた限りでそれらひとつひとつの意味を拾うなら、「ふざけるな」とか「真面目にやれ」とか「引っ込め」とか「何考えてんだ」とかまぁそういうようなものが大多数を占めていた。
それもそのはず。剣魔術師レンシル・アーウィンクロゥは絶対に勝利の揺るがない状況にありながら、自ら試合を放棄してしまったのだから。
隣の二人は口を閉じるのを忘れているようだった。
「何考えてんだあのバカタレは」
「……いえ、彼女のやることです。何か考えがあるのでしょう……多分」
あからさまに憤慨しているエイレオと、戸惑いを隠せないベルクァート。
だが。フィーエンだけは違った。まさか、と驚く気持ちもあったが、やっぱり、と納得する思いのほうが強かった。ウィバロの過去を呪媒石の中で知り、レンシルの人なりも知っているフィーエンは、ある意味で誰よりも真実に近いところにいた。
不意に、低く押し殺した声がどこからともなく漂ってきた。誰も気付かぬ程度の声量でしかなかったが、フィーエンだけはそれを聞きわけた。あるものと予想していたために、周りの雑音を頭から排し、その音を抽出することができた。
舞台の中央にいるウィバロから発せられていた。
すこしづつ、すこしづつ、それは大きくなってゆく。
フィーエンの祖父はうつむいて、片掌を顔に当てて。肩が痙攣している。
すこしづつ、すこしづつ、それは膨れ上がってゆく。
やがて、フィーエン以外の観客たちも気付き始める。
すこしづつ、すこしづつ、それは忍び笑いとして認知されてゆく。
いつしかそれは堰を切る。洪笑となる。大音声が撒き散らされる。まるで質量を伴っているかのような、あらゆる他を圧する笑声の爆発。
そこにいた全員が気圧され、レンシルに罵声を浴びせることを忘れた。
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